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Carpe Diem

ここ2ヶ月ほど、ずっとあることに集中していたのだけれど、その間に感じてきた伝えたいこと、書きたいことがずっと積もっていました。
それはつぶやくというような制限された文字数での簡潔な行為ではなく、もっともっと、繊細に時に過剰に気持ちを言葉にする作業をする必要がありました。
このことはイマドキの感覚から言うと、時間がかかって面倒くさいことも確かです。
でも、最近は自分の中だけでとどめている感覚や考えを、そのままにしていると自分でも獲得しきれない、もどかしさがあって、そのことを今はほっておくべきではない気持ちです。
けれど、起こったことや生じたことを、こうやって書くまでに、時にはタイムラグができてしまうことの方が多くなるはずです。
その間に起こる変化というフィルターを通した後で、どれだけ飾らずに素直に書くことができるのか、これは私自身が独自に体感することになると思います。

まずは、やはり衣服を作ることにまつわることを今回は書きます。

DEMI DECO LABOとの出会い
「100年前の”感動”を100年後に伝えたい」
そんな想いを「体感」を持って伝えるために「半・分解展」という個展活動を行っている、長谷川彰良さんの展示に初めて詣でたのは、2018年5月、そしてそんな展示のさらなる先を伝える場としての「半・分解展研究所」に参加したのが、2019年9月から12月のことです。

「半・分解展研究所」では、8回にわたる講習の中で、各々の知的好奇心を元にした「アウター」の製作をしました。それは長谷川さんが今まで30着ほどのヴィンテージの衣服の半分を解体して、型を取り出し、その形を作業を分析して、新たにサンプルを作った経験と蓄積をもとにした、「100年前の感動」の仕組みを分かりやすくした解説も交えながらのサポートとともに進めていくことで、展示の一歩先にある感動を提供したいという彼の想いから企画されました。

私は服飾を学ばないまま、アパレル企業に入社し技術職としてキャリアをスタートさせたことと、その中で袖のある衣服を作ったことがほとんどありません。
結構長い間この仕事に関わっていますが、未だに一人で服を作っていると、迷うことや反省することばかりです。
だから、今までも私塾のような場で、勉強し直したい気持もありましたが、「その知識や技術を身につけて、どこを目指すのか」というところが明確にならなくて、そのベクトルの行方や種類を決められないままでした。
でも「半・分解展研究所」では、着心地とその構造を通して「技術」ではなく、「感動」と「探求心」と「情熱」を提供するというコンセプトがあったので、これならば、この受講を通したその先に何かを目指すのではなく、今、知りたいと思うことを、体感と作業を通してシンプルに満たしてくれるかもしれないと思って、参加を希望した結果、生徒として受け入れていただくご縁ができたのです。

修了証の言葉と涙の理由
そして、受講に際して「インプットしたからには、アウトプットをしなければいけない」という長谷川さんの信念から、講習が修了した後の1月に、受講生全員の作品を展示するという企画を知りました。
その時に私が思ったのは、何をアウトプットできるんだろうか?ってことでした。私が知りたいと思ったことは、ほとんど全て長谷川さんが、今までの自分の展示の中で完結させているのに。
そして先に結果から言うと、結局作ったものを下げておく、そしてその作品を守るために触らせないでおく、ということだけでした。特に作ったことに対して、伝える言葉や表示や資料を作品に添えることはしませんでした。ただ、長谷川さんは修了証と称して、私の製作のそばに文章を寄せてくださいました。

”下村さんのことは、LABOに応募してくださる前から知っていた。
正確に言えば「顔はわからないけれど、意識する存在」として認識していたのだ。

ある日Twitterを眺めていると、こんな呟きが目に留まった。

”袖を通して体感する、自然に腕を前に伸ばしたくなる設計。自ずから目の前にいる人を、朗らかに抱擁したくなる動きに誘導する衣服の形、身体の器。こんな感覚、100年先にも1000年先にも不滅であってほしいと思うと、急に涙が出て思わず、即座に会場を出てしまっていた。

この呟きが下村さんだった。
この時から、私は下村さんを意識し始めた (以下略)”

このツイートを長谷川さん本人が見ていることに気づいていたけれど、彼がそのことをとても大切に思って下さっていたことに、私は気がついていませんでした。
また、彼はそのことを受講で初めてお会いした時に、決して口にしませんでした。
そして彼自身がかつて体験した感動を、同じように私が感じて泣いたことで、彼は、彼の本望に対して、私が到達している存在とみなしていたことを、この"修了証"で知りました。

けれど、私はあの時、長谷川さんが感動した着心地だけが理由で、泣いた訳ではないような気がしています。
あの時の長谷川さんと同じように、巡り会った古着を着ていたとして、その時に泣いていたか?と言われると、やっぱりそれは違うと思います。

その時の半・分解展では、長谷川さんが出会って半分だけ分解した数々の古着のパーツと、その再現されたパターンから作られた試着サンプル、その製図と彼独自の検証の解説、そして出会った古着に対するエピソード…それらは全て彼の好奇心と、感動の着心地に対する強い信念と古着に対する変態すぎる愛情を表現するために、全身全霊の熱量を持った時空間となっていました。

本気で感じたことを、思ったことを、伝えたいっていう情熱が、あの場所にはどこを何を目にしても存在していました。情熱だけではなく、それを伝える為の手段を彼はひとりで試行錯誤して学んで考えて、膨大な作業を遂げて、創造した場だということが素直に伝わってくる中で、サンプルに袖を通した数秒後、「ああ、これはもうダメだ」って思ってしまいました。もう今日はこの場所に留まれないと。

本気の想いを本気で伝えなければ、今を掴むことにつながらない
本気で思って伝えたかったけれど、伝え方が分からなくて伝えられなかったこと。
思っていながらも相手がどう思うのかと考えると、言葉にできなかったこと。
なんとなく伝わるんではないかと思って、あえて言葉にして言わなかったこと。
言葉にしてしまった後で、ひとりになってこれで良かったのかと思うこと。

もう、思い出せないけれど、私のどこかに確実に存在している後悔とか怠慢とか、いわゆる負が、一斉に正に向かっていこうとするような、その時点では、どうしようもできない流れみたいなものが、自分の中で動いているのを感じながらの帰り道でした。その都度に掴めなかった「今」とその名残が、長谷川さんの情熱に触れたことで、かなりの質量を持って生じてきたのを、私には止めることができませんでした。でも私はきっとその負を忘れることがなかったから、その時に感じた流れを堰き止めて覆したくなるような意識を持っていたことも、今は感じるのです。

それから4ヶ月後、私は縁あって長谷川さんの情熱をシェアしてもらうことになり、彼の指導と協力のもと、まずは目に見える形あるものを結果として残すために、1着のジャケットを作ることができました。途中、それをやりきるために、生活の環境も変えなければいけないこともあったとはいえ、それが出来上がったから、私の何かが劇的に変わるということはありません。でも、この時に本気の情熱をもとにして長谷川さんと共有した時間は「いつか」ではなく「今を掴む」という選択だったと思います。そしてこれからどんなきっかけになるかもわかりません。

やっと、涙の理由をアウトプットすることができました。私自身も書くことで自ずと発見を求めていることに気がつきましたので、また長い文章を書くと思います。

最後にこの文章を書かせていただくきっかけとなる長谷川さんに最大の感謝を。

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