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鯨を追う 〜叙事詩『月の鯨』第一の手紙(10)〜

太陽の光は大気を銀色に染め
万物は茫洋とした昏睡状態に陥っている
うつらうつらとして
眼を半眼に閉じていた
すると下の方から泡が吹きはじめる
マッコウクジラの巨体が浮き上がってきて
海面をうねりはじめた
巨大な黒い鏡のごとく煌めく背中は
ひっくり返った軍艦のようだ
居眠りしていた船員たちが眼を覚ます
四方八方からけたたましい声
号令のやり取りがはじまった
大クジラは銀の水を天高く噴き上げた
(ボートをおろせ!風上へまわれ!)
マイ船長が叫ぶ
操舵手から舵を奪い取り自分で操った
その動きはモンキーのように素早い
(オールは使うな!クジラに気づかれるな!)
ボートに乗り込んだオレたちは
オールを置き
パドルを使って静かに進む
指揮をとるのはスズノスケ
マイの右腕の二等航海士
珍妙な名前はマイの付けたあだ名だ
鷹揚に泳ぎつづける大クジラ
忍者のように静かに追尾するオレたち
しばらくその状態が続くと 突如
怪物は十数メートルの尾をひるがえし
ズブズブと海に沈んでいった
呼吸に合わせた沈下と上昇はクジラの習性
スズノスケは泰然自若としていて
パイプを咥えてプカプカやりはじめる
顔のまわりは真っ白なケムリ
舟子たちもつかの間の休憩
だが 時が経ち
次にクジラが浮き上がって来たとき
巨体は至近距離にあった
舟子たちは興奮して声を抑えきれない
クジラはいよいよ追跡者に気づいた
おのれの危急を全身で感じ取った海獣は
頭部を斜めに海面に突き出し
狂乱の泡をあたり一面に沸騰させる
(追い立てろ!追い立てろ!)
スズノスケが叫ぶ
(あわてるな!たっぷり時間をかけて追い立てろ!)
舟子たちも声を合わせる
(追い立てろ!追い立てろ!)
意味不明な声を上げていたのはクエクエだった
(オーヘーホー、オーオーへーホー!)
彼の故郷の言葉だろうか
ボートは混沌の渦に巻き込まれていき
グルグル回転して方向がわからない
だがその刹那
マッコウクジラの背中はすぐ目の前にあった
スズノスケは野獣のように叫びながら
手にした銛を巨体に向けて投げつける
空に稲妻のようなものが走った

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