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説教、幻術、憤怒、血の涙 〜叙事詩『月の鯨』第一の手紙(4)~

神父さまの説教が始まる

淫祠邪教に呪われたる舟子ども
貴様らの祈祷で嵐が鎮まることはあるまいて
何となれば 貴様らの崇拝する偶像こそ
我らが神の怒りの火種
この荘厳なる白き妖獣を見よ
貴様ら舟子の帰依すべき神は月の化身たるこの妖獣なり

神父が厳かな声でそういうと
一条の光が轟音とともに礼拝堂を貫いた
神父の眼は爛々と輝き
濡れそぼった僧衣は海の臭気をただよわす
鳥肌が立った
その姿は数日前に見た海坊主だった
背中に擦り寄ってきてオレをゾッとさせた
あの不気味な海坊主
間もなく
礼拝堂の右の入口から水が流れ込んできた
船体が大きく斜めに傾ぐ
浸水が始まっているようだった
神父すなわち海坊主は構わずに続けた

我は黄泉の臓腑を見たり
我は三日三晩、鯨の腹の中にいたり
鯨は我を月白とともに吐き出し
海獣として再生せしめたり
我は月の鯨の子どもなり

神父すなわち海坊主は恍惚とした表情でそういうと
咽喉からチュルチュルと音をたてた
その強烈な印象に圧倒され
オレもクエクエも船員たちも
改心し
ついに白き妖獣の信者となる決意を固めた
そのとき
海坊主の背後から何者かが現れた
船長だった
船長は持っていた杖を振りまわし
唐突に海坊主を叩き始めたのだった

この化け物が! この化け物が! この化け物が!

船長は叫びながら容赦なく海坊主を叩き続けた
やがて
海坊主の全身から柑橘色の液が流れはじめ
説教壇からどうっと崩れ落ちた
折りしも礼拝堂の床を浸しはじめた黒い水に
半身を沈めた神父すなわち海坊主
海坊主は断末魔のように口から泡を噴き出し
全身を痙攣させ 自らの吹いた泡にまみれ
黒い水の中に消えていったのだった

我々が言葉を失っていると
今度は船長の説教が始まった

この馬鹿ものどもが!
子どもだましの幻術に易々と騙されおって
この白き妖獣は我らの敵じゃ 忘れるな!
何年かかろうと
いや何十年かかろうと
天と地の果てまで追いかけ 捕獲し
完膚なきまで打ち据え
血を噴かせよ
此奴こそ悪魔そのもの
邪悪なる白き妖獣を滅ぼし

我らの統合の象徴たる真なる神への生贄として捧げ奉ること
それが国家から与えられた我々の使命である
ゆめゆめ忘れるでないぞ

船長は怒り狂っていた
いつか日本の書物で見たことのある不動明王のような憤怒の姿
後背に復讐の炎が燃え盛っているのだ
彼は突如として説教壇から飛び上がると
曲芸師のごとくに舞い
あの真白き鯨の膏でできた義足で
壁画に描かれた白き妖獣 すなわち
月の鯨
その顔面を激しく蹴りつけた
船員たちはどよめく
月の鯨の目から
血の涙が流れ始めた
血の涙が果てしなく流れて辺りを凄惨な色に染め上げた

オーオーオー
号泣が聞こえた
オーオーオー
泣いていたのはクエクエだった
オーオーオー
彼は立ち上がると礼拝堂の出口に向かった
オレはクエクエの後を追った
甲板に出るといつの間にか嵐は静まっており
天頂に月が出ている
クエクエはひざまづき
咽喉から絞り出すような声で号泣した

なあ相棒よ
さすがのオレもこんなのありかと思ったよ
受け止めることができなかったよ
オレはあの船長こそ悪魔だと思ったんだ
我にかえると
オレの左眼からも血が流れていた
月の鯨の流した血の涙と同じ涙を
オレも流していたんだ

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