雨と話す町

あれはどの道をどう曲がってあの街にたどり着いたのだろうか。
小雨の降る中、少し憂鬱な気持ちに合わせて山間の道を右に左にと軽自動車を走らせているうちに着いたのだった。
そこは海を眺めれる小高い場所で、四十から五十世帯が連なる集落だった。
どこの道にもどこの民家の庭にも紫陽花がところ狭しと植えられ、まるで緻密なちぎり絵のように精緻な景色を織り成していた。
特徴的なのは民家の屋根のどれもが巻貝型の形をしており、その屋根の先端はおおきなおおきな金色の中華鍋のようなものが貼り付けられていた。
あまりに面白い形の屋根に惹かれ、車を降りて見入っていると、ひとつの民家の中から
「これはわたくしらの心をみます屋根ですじゃ」
というしわがれていて、それでいて異様とも思えるほど言葉の一つひとつを大切にしたような発音の声がした。
中から出てきたのは妙に耳が大きく、目の澄んだ老人であった。
「ここんらの地区のひとはみな、雨になったら仕事らもせんと、こうして雨の音を家でききますじゃ」
「わたしらとこは先祖代々、畑やらお仕事のほかに、こやって雨の音きいて、われらあの心の中の話をたくさんだいじにしますじゃ。そして、雨の日の度、心の中の話を増やして、反省したり、喜んだりして、子供に話を継いでいきますじゃ」
のんびりとした抑揚で話されながらぼくは家の中へ通されてゆく。
家の屋根は貝殻などを特殊な製法で固めているのか、微かに光が透けてくる。
自分自身がなにか違う生き物になって卵の中から世界を覗いているような、静かな感動に襲われる。
「ここで丸まって、聞いたり、めをつむってたりするとええよ」
と促され、部屋の真ん中の少し窪んだ部分に腰掛けると、
金属でできた屋根から絶え間なく、雨の音が増幅されて部屋中に降り積もってゆくのを感じた。

こうん、こわあん、こうん、くわん、とやわらかい雨の音が際限なく輪郭を失いながら倍音を伴って降り注いでくる。

不思議な事にこの不思議な雨音は、やかましくなるほどの飽和状態になる前にふっつりと消えていって、一定の心地よさを保っていった。

そのたくさんの子供がにこにこと笑うような、朝日の中の海の日差しのような音の流れに存在を洗われていると、ふいに、世の中のあらゆる事は泣きたくなるような輝かしいことなのではないか、と思えてくる。

その後には、子供の頃どこそこで転んだなあ、
とか、
お気に入りのコップでジュースを飲んだ後コップの底を眺めるのが好きだったなあ、などととりとめのないことが浮かんでは消えてゆく。

ああ、そうだ、そういや、子供のころにはたくさんのことを上手に話せなくとも、世界のあらゆるものが話しかけていた、とも。
涙を流しながら、目を開けると、雨は止み、民家の庭先の紫陽花たちが手を振るように日差しに照らされていた。

ぼくは老人に礼をいい、また自動車に乗って元来た道を帰ることにした。

このような夢とうつつの間を生きるような心持ちで生きていたいなあ、と思いながらも、やがてよく知った道に出るとこんな気持ちも消えてしまうのだろうなあ、と名残惜しく感じながら、ゆっくりカーブを曲がって山を降りた。

#短編 #ショートショート #偽紀行文 #架空の街 #SF

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