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産後の仕事復帰で、無自覚にパンクしたことを振り返る。

31歳の秋、わたしは子を産んだ。

それは自身にとっては初の出産であり、第一子の男の子であった。つわりが地獄のようであったり、出産に伴う陣痛はこの世のものとは思えない痛みではあったが、幸いにも母子共に順調な毎日を過ごしていた。

実母も夫も産後はとても助けてくれて、一緒に子供を可愛がってくれた。私はそれがなんだかすごく嬉しくて、みんなで同じ気持ちで同じように彼を愛してくれているという事実がすごく身に染みて仕方なかったのを覚えている。育休中は本当に溶けるような毎日で、とにかく食べて、寝て、乳をあげて、体を回復させながら赤子のいる日常に慣れることに無気力に全力だった。

里帰りを1ヶ月でおえて、12月には東京に戻ってきた。

1ヶ月の育休をとってくれた相方と一緒に、なれない子育て生活を送ったがこれもこれで面白かった。よく考えれば「毎日夫婦で一緒にいる」という状態自体を出会ってから一度も経験したことがなかったし、おむつを変えたり寝かしつけをしたり、彼の写真を撮ったりして時間を過ごした。夫婦で同じ趣味にハマったような、そんな不思議な感覚であった。

しかし夫の育休も1ヶ月で終わり、私は残り1ヶ月の育休の残数を数えながら少し戸惑っていた。わたしはフリーランス兼、事業責任者としてサービス運営もしている身の上もあり、育休は3ヶ月しか取らなかった。その期日が、日に日に近づいていたのだ。


見切り発車の産後復帰

今思えばもっと長く取っても良かったとも思うのだが、自分が産後にどれくらい働きたいと思えるかは未知数であった。それにずっと育児だけしている方が不安になりそうだなと思い、産前に申告しなければいけないことも相まって見切り発車で「育休は3ヶ月」と言い出した手前、引っ込みがつかなくなってしまったのが実情であった。

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