見出し画像

日本の有料トイレの発祥の地 有馬温泉

「トイレをつくれ!」「トイレが先決だ!」有馬温泉のまちづくり基本計画を策定すると、地元の人達からトイレコールがわき起こった!

ところが行政にお願いしても公衆トイレは新規にはなかなかつくらない。なぜならば維持管理費用がかかるのと総論賛成でもいざつくるとなると隣近所から反対意見が起こるからだ。

(1)有料トイレをつくったらどうか!?

「有料なんかもってのほかだ!」という意見が強いので、大学の先生と学生に協力してもらってトイレアンケートを取った。

トイレは無料が良いか有料が良いか、有料が良いならいくらぐらい払うか?

有馬でどれぐらいのお土産を買う予定か?飲食店でどれぐらい使う予定か?など等、これらのアンケートをクロス集計して結果を出した。

その結果、トイレが有料なんてもっての外!という人は有馬でお金をつく量が少ない。一方、きれいなら有料でも良い。という人はお金を使う額が多かった。有料トイレ反対派に「有馬はどちらのお客様を大事にしたら良いねん!」と言って賛同を得た。

(2)有料トイレの歴史

世界の有料トイレの歴史を調べると、最古のトイレはメソポタミア文明の「テル・アスマル遺跡」で、紀元前2200年ごろのものです。その後、古代ローマ帝国では上下水道が発達し、随所に公衆トイレが設置されました。

それを有料化したのが皇帝「ウェスパシアヌス」(在位69~79年)。用を足す人々に課税し、集めた尿を売ったのです。当時は羊毛の脂分を尿で洗い落としていたので、販売先は主に羊毛加工者らでした。だからイタリアでは今も公衆便所を皇帝にちなみ「ウェスパシアーノ」と呼ぶそうです。

日本でも江戸時代になり、排せつ物が農耕の堆肥として使われるようになると、ふん尿の商業取引が始まったのです。

(3)有馬小便

赤穂浪士が討ち入った翌年の元禄16(1703)年、江戸で大地震が起きて上方に人々が流れ込み、町人文化が発達します。生玉(いくたま)神社(大阪市天王寺区)では大道芸人が腕を競って大いににぎわいました。

その中で、ひときわ人気を集めたのが米沢彦八です。上方落語の創始者の一人で、元禄16年に彼が出版した「軽口御前男(かるくちごぜんおとこ)」の第4巻に有馬が出てきます。

演目名は「有馬の身すぎ」。ある男が、何かよい商売はないかと近所の知人に相談すると、有馬の旅館で夜ごとに宴会を開いていると聞かされます。「で、その2階から小便をさせる商売をやったらどうだ?」。そう助言されて早速、竹ざおと桶(おけ)を持って温泉街を巡り始めます。

竹ざおの中の節々をぶち抜いてパイプ状にし、2階からおしっこを地上に流させるというわけです。「2階から小便させまっせ!」と売り声をあげると「俺も俺も」と注文が相次ぎ、男は大喜び。

代金を回収する段になって困った男は「旦那さん!お金も竹筒の中に入れて!」と言い、明日はザルを持ってこようと考えるのです。

しかし、そうこうしていると若い娘さんにお願いされて…。

「恥ずかしいから、見ないで!」と言われて、男が下を見ていると、頭からパラパラと・・・

「しもた! 漏斗(じょうご)を持ってくればよかった」というのが落ちの落語が「有馬小便」なのです。

太閤橋のバス停付近にトイレをつくる際、有料にするかどうかを検討したことがあります。有料にするなら有馬小便所縁の「日本の有料トイレ発祥の地」をキャッチフレーズにしようかと考えました。

画像1

結局、場所柄 無料にしました。

ただし、完成したトイレは2階建てに見えるようにしました。そう、「有馬小便」を想起してほしいと考えたのです。有馬に来られたら是非ご利用ください。

有馬歴史秘話ヒストリアは、もちろんパロディーで“有馬の歴史を今後、書いていこうと思っています。そしてこれをまとめてマガジンにしたら良いんだろうと考えています。

よろしければサポートをお願いいたします。