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【小説】『うまれた』第11話

 はっとして目が覚めた。
 部屋の中はもうすでに明るかった。朝の光が部屋いっぱいに満たされている。
 真冬でこの明るさということは、いつも起きる時間よりだいぶ遅い時間になってしまっているようだった。
「あ、藍奈っ」
 

 ぱっと体を起こし……そうになって、慌ててかたまった。藍奈の体の下にわたしの左腕が入っていたのだ。わたしはそのままの状態で、藍奈をじっくり観察する。
 藍奈は、わたしの横でぷすう、ぷすうと寝息を立てていた。気が付かないうちに二人で眠ってしまっていたらしい。
 ああ……よかった。
 ほっと胸をなでおろす。藍奈の口や鼻を毛布や布団で覆ってしまうこともしていなかったし、自分の手や肩で藍奈の小さな体を踏んでしまうようなこともなかったようだ。  
 本当に、昨日あれだけ眠らずに永遠と泣いていたのが嘘だったかのように、藍奈は眠りに落ちていた。自分がどうやって藍奈を寝かしつけたのか、記憶にない。
 目をこする。じんわりと熱を持っていた。目がひどく腫れていそうだ。
 とりあえず、体を起こそうと思って、なるべくそうっと左腕を引き抜く。
 目を覚ましてしまったらどうしよう。また泣かれるのが怖い……お願い、起きないで寝ていて……。
 懸命に祈りながら、ゆっくりゆっくり、左腕を引き抜く。



 引き抜いた、その直後、藍奈の体がびくっと動き両腕が動いた。
 あ、泣く。
 思わず、体がこわばる。固唾をのんで藍奈を見つめる。
 起きた? 
 あ。
 笑った。
 藍奈は、目を細めて、口をにっこり逆三角の形にさせて、ふうわりとさも自然そうに、笑みを浮かべた。
「藍奈……っ」
 小さな声で素早く藍奈の名前をさけんだ。
 その笑みは一瞬で、すぐに藍奈はいつもの寝顔に戻った。
 生理的微笑だ。新生児の赤ちゃんに見られる笑み。特に嬉しい気持ちや楽しい気持ちがあるわけでなく、生理的に浮かべる微笑。すぐにそうだとわかった。
 わかったが、その笑みは、昨日あれほど泣いたわたしの目から再び涙をぽろっとこぼれさせた。
 藍奈、笑った。
 藍奈の笑顔を見て、初めて、そして唐突に、藍奈がこれまでずっと泣いてきた意味がわかった気がした。
 ああ、気が付かなくてごめんね。
 藍奈はずっと、きっと、あの必死の泣き声で、藍奈のたった一人のお母さんであるわたしのことを呼んでいたのだ。
 体全体を使って声をとどろかせ、大粒の涙をスコールのように激しく降らし、生命を息づかせる熱で、ひたすらに、懸命にお母さんと呼んでいたのだ。
 藍奈が唯一できる、泣くという表現で、世界中の誰よりも、強く、わたしを求め、必要だと叫んでいた。
 泣くことは、わたしに対する愛の表現だったのだ。
 大好きだと、そんな言葉さえ知らないから。小さな体を揺らして、あらんかぎりの声で呼んでくれていたのだ。
 ぽろりと一粒の涙が頬を転がり落ちた。つーと涙の通り道を残していく。
 藍奈、わたしも、藍奈のことが大好きよ。
 お母さんも、世界中で誰よりも一番あなたのことが好き、大切よ。
 胸の内でつぶやいた言葉は、誰にも聞こえることなく、わたしの中で静かに波紋とともに体中に満ちていった。
 心からの自分のつぶやきに、胸がじんと痛む。痛みをかみしめながら、藍奈の寝顔をいつまでも眺めていた。
 昨日の夜、確かにこの部屋は、夜と波の区別ができないほどの冷たく暗い海原だった。藍奈とわたしの涙が交錯して広がっていった、どこまでも孤独なその海原は、朝の陽の光と共に、透き通って消えていた。残ったのは、ちょっぴりしょっぱい涙の匂いだ。
 藍奈の鼓動の振動とともに、透き通った空から降り注ぐまぶしい光が、窓ガラスを通って、部屋の中の空気の粒子、一粒一粒を縫いつけられていく。あたたかい、空気の層が何層にも重なり合って、藍奈の体温の温かさが部屋中に満ちていく。
 そのうち、涙の匂いも消えるだろう。
 藍奈の、ほんのり母乳の匂いがする、甘く柔らかい吐息が部屋いっぱいに満ちるだろう。
 藍奈、と胸の内で呼ぶ。寝顔を見つめながら、何度でも、呼ぶ。
 いくらでも、どんな方法でも愛を伝えることができる。
 わたしはこの子の、世界でたった一人の母親だから。

…End

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