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いのちを大切に

こんにちは、ハルヤギです。

「命を大切に」

ってあるじゃないですか、だれもが耳にしたことがあって、口にしたことさえある、そんな言葉のひとつ。

ここでは"人間"の命を前提にお話をさせていただくことにしますが、

子供に教えたりする場合、自分の口で言っていても、やっぱりどこかしっくりこないんですよね。

何を伝えたいのかちゃんとわかってないというのもあるし、言葉で伝えて意味があるのかどうか、とも思えるし。

遺伝子レベルで必ず書き込まれているものであって、本能的に自分の命を大切にするのはあたりまえなんですよね。

となると、わざわざ呼びかけたり教えたりする必要のある『命』とは何か、多くの場合、

「かけがえのないものだから、自分の命を大切にしよう」

と謳い、自殺防止のキャンペーンなどを行っている。

なんて短絡的で、あまり意味のない文章なのか、とつい考えてしまいます。

もっと広い意味でとらえた場合、

それは新しい命・・・ということか。

僕らは既に存在し、生命活動を続けている。ただし寿命というものがある以上、一個の命は必ず尽きる。

となれば、僕らの共通の目的である種の保存を遂行するのであれば、それはやはり新しい命を優先的に考えなければならない。

つまりは新しい命。

すでにある命よりも新しい命。

社会通念上、命の価値は同じと考えるけど、どちらが優先するべきか考えた場合、それが平均的な「個」であるとするならば、生命活動をより長く続けられるであろう新しい命に軍配が上がる。

とりわけ、自分の子孫については親となった時点で、証明するのに理由は要らない。

仮に、の話だけど、もしも自分の命で子供の命が助けられるとなった場合、躊躇なく実行する。その自信はある。

と同時に人間社会全体の義務として、新しい命というものは何としても守らねばならないはず。

それが「いのちを大切に」という意味、そのように考えた方がいいのかもしれない。

そこで言葉を「新しい命を大切にしよう」にしてしまうと

「じゃあ時間の経過している命はぞんざいに扱っていいのか?」とか、

「命に優劣なんてつけられない!」だとか、

ありきたりを振りかざして正義感振る人が出てきてしまうから。

だから「いのちを大切に」にしておいた方がよさそうだ。

いずれにしても言葉の解釈は自分のしたいようにするものです。

ここで僕があーだこーだ言っても始まりません。

「じゃあ新しい命って何よ?」そんな意見もごもっともなのですが、そのぐらいの曖昧さは、残しておいた方がいいでしょう。

子どもたち自身で見つけさせるめにも。

堅苦しくなってしまいましたが、

いつも頭でこんなことを考えているハルヤギでした。。

ありがとうございます

#エッセイ #命 #いのちを大切に #義務 #種の保存 #子ども #独断と偏見

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