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【エッセイ❓】個性と、その理解について

こんにちは。
今回はいつもと趣向を変えて、
個性と、その理解について
自身の経験を交えて
考えていきたいと思います。

下記の記事に感銘を受けたのがきっかけです。
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興味がある人は読んでみてください。

かくいう私にも
口蓋裂があるのですが
この記事の子のようにこの若さで
個性と言い切ることはできませんでした
だからこの記事には驚愕しました
この女の子はすごいなあと思います。

口蓋裂は、口の中が裂けた状態なので
外見は普通の顔です。鼻が低い位です。
口唇裂は、ぱっと見で口と鼻のバランスが
なんか違うなあと気づくので、幼少期は
正直者の言葉の刃に切り刻まれる経験を
宿命付けられているのだろうなあと
想像するだけで胸が痛む思いです。

私の場合、ぱっと見で
障害を理解されることはありません
隠れていることの最大の利点です。

それを良いことに、
黙ってしれっと生きてきました。

でもでも、
もしかして?
そんな生き方をしているから❓

口蓋裂についての理解が、

・大丈夫大丈夫、全然普通ですよ
・治ったんでしょ❓もういいじゃないか
・口唇口唇裂に比べて軽くてよかったね
・見えないんだから良いじゃないか
・できないことを障害のせいにするな
・もっとひどい人はいっぱいいる
・そんなことを言われても困る
・お前の喋り方おかしい

その程度になってしまっている人が多いのかな❓

なんて思い直しました。

自分では口蓋裂は自分の一部で、若い頃は
なんの気なく口蓋裂の話をしていたのですが
その度に必ずなんらかの叱咤激励を受ける始末…
だから、面倒で言わなくなったのもありますね
口蓋裂より、花粉症の方が同調してもらえます。

多分これって、理解力の差なんだろうなーと思います。
正直者の刃って、いなすのが一番なんですが、
若い頃にその修行をしすぎて色々ボロボロになるのは
症状が重かろうが軽かろうが共通していることなのでは
ないかと思います。

花粉症並みの同調を求めていたら、すごい切り返し来た…っ
口蓋裂でなくても、そういうことってあるんじゃないかな

例えば、起立性調節障害の高校生が親や担任の先生に
「甘えているだけ」と思われる事例を耳にしたことが
ありますが、多分同じ現象なのではないかと。
理解に不足があるんだろうと思います。

本人は個性と思っていても
本人以外がどう思っているかで
本人のせっかく持って生まれた個性が
障害に変わってしまうかもしれません。

本人の周りにいる人たちの理解力次第で
個性となるか、障害となるかが決まるとするならば?

「個性」と受け止められるように
周りの人がどう接していったら良いかを
考えた時、やっぱり大事なのは、

「理解しようとする心」
…かな。と思います。

「よく分からないけど、わかった。」みたいな。

そういう愛情の中で育った人は、
個性と受け止めるのが早いのかなと
今回の記事を見て思いました。

私は、理解のない人の前での口蓋裂は障害だと思っています
逆に、理解のある人の前での口蓋裂は個性だと思っています
記事の女の子のように、個性と言い切るのはまだ先になりそうです。

ただ、「よく分からないけど、理解しようとする気持ち」
この心を持って、今後とも人と接していきたいと思っています。
この記事と、自分の半生からの、大事な学びの成果として。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な今日を。

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