今更ながらの大学入試・ロースクール入試小論文合格体験記

1 10年以上越しの合格体験記+α


 私は司法試験こそ不合格で終わってしまったが、大学入試(法学部)とロースクール入試(未修コース)は現役で合格した。両者の共通点はどちらも小論文一本で合格したということだ。私は大学入試の国立前期試験には不合格になったことや司法試験に不合格になり続けたことから、多くの科目を効率よく勉強することについては不向きのようだったが、制限時間内に一定量・一定水準の評論文を論理的に正確に読み込んだ上で自分の意見を論理的に表現する能力には長けているらしい。このnoteの投稿を続けているのもそうした理由からだろう。

 大学入試もセンター試験から共通試験に変わり、大学入試の試験科目に情報Ⅰが追加されるという変革が続いている中、小論文が課される入試において受験生に要求される能力は一貫して変わらないと信じている。そういうわけで、特に私の記憶に強く残っている某国立大学法学部後期入試の小論文試験に関することを記述しようと思う。そして、筆が乗れば反省の意も込めてロースクールの入試についても言及しようと思う。

2 北海道大学前期試験不合格通知から北海道大学後期試験までの約2週間


 私は10年以上前に国公立大学の前期試験・後期試験については同じ大学を、すなわち北海道大学を受験した。受験生の中には国公立試験前期試験を本命の試験と捉え、後期は滑り止めで別の大学の試験を受けるという受験戦略をとる者もいるだろうが、私は第1志望の国立大学は前期試験も後期試験も同じ大学の北海道大学を志望した。それだけ行きたい大学だったのだ(というか正直に言えばそこ以外の国公立大学に進学する積極的な動機がどうしても見つけられなかったのだ)。後期試験になってしまうと自分の志望よりも偏差値が上の学生が滑り止めとして受ける可能性が高まるので大変な戦いになることも想定されたが、それだけで自分は自分の志望大学のランクをそれ以上下げるようなことはしたくなかった。不本意な大学に行けてしまうくらいならば、全力を出し切って浪人生活を望んだ方が自分の理想だと思ったからである。

 そんなわけで高校3年間を主に勉強に費やした(それでも生徒会活動は真面目にやった)が、結果としては自分の第一志望である北海道大学の前期試験には落ちた。全体的に大学入試に現役合格するためにはあまりに非効率な勉強をしすぎたというのが原因であると今にしてみると思う。まず、過去問研究をする時期が遅すぎた。特に数学だ。北大の文系数学レベルの問題をもっと解く訓練を積んでいればまだマシだったかもしれないが、時既に遅し、ほとんどの問題を白紙に近い状態で提出した気がする。北大の受験をする前に東京にて青山学院大学法学部を数学で受験したところ、数学で完答できたのではないかと思い余裕をこいた(それで実際に青山学院大学法学部には合格した)ことも北大数学で失敗したことの一因かもしれない。あとは、好きな科目の勉強に時間を割きすぎたことも不合格の原因の一つだろう。私は英語が好きで得意だったが、それにかまけてその勉強を(非効率なやり方に拘って)続けてしまった。いつまでも単語帳やNext stageといった問題集にばかりかまけて志望校の過去問研究を怠っていた。おかげで国語の古文・漢文や当時センター試験でしか使わない科目の日本史や政治・経済、生物といった科目の学習時間をきちんと捻出することを怠ってしまった。大学入試をはじめとした試験は好きなことだけを突き詰めれば合格できるほど甘くはないということを今更ながら思い知った。ちなみに現役のセンター試験での得点による志望校の合格判定はE判定とかだったような気がする。センター2日目の数学と生物で大失敗してしまったのだ。ここまで来ると「E判定は良い判定」と開き直って二次試験の準備に取りかかるしかなかった。しかし、勘の良い読者様はここで分かるかもしれないが、間違った方向の努力が正しい結果を生むことはあり得ないのだ。

 どれだけ成果を積み上げても結果が現れるのはほんの一瞬。それで人生の分岐はハッキリ分かれる。私は幸運にも前期の試験は落ちたが後期試験に挑戦する権利は得られた。前期試験の(不)合格発表から後期試験の開始までの2週間もない期間を現役最後の全力で勉強する機会と捉えて死に物狂いで勉強した。

 北海道大学の前期試験が終了するまでの高校3年間は私は地元の東進衛星予備校の授業をメインに受けて受験対策を進めていた。英語と数学は先取り学習という形で勉強を進めていたので、英語と数学について学校の授業で苦労することはなかった。「英語は高校2年生の3/31までに完成させる」ことを目標に学習計画が組まれたので、必死に英単語や英熟語、イディオム、英文法を次から次へと習得していき、徐々に長文読解が出来るような勉強にシフトしていった。高校2年までの数学は学校の授業を先取りして基本的な計算問題が解けるように演習を積み、学校の定期テスト対策として青チャートを重宝した。高校の定期考査レベルではこれで9割を取ることが出来ても、公式の理解や定理の証明といった基礎基本を身につける習慣がなかったので応用問題には苦戦した状態が長らく続き、結果として本番の北大の前期試験には間に合わなかった。高校3年生になってから英語と数学についてはセンター試験を70%から90%とれるようにする講座を受講してセンター対策を進めた。国語、特に現代文(加えて、結果的には小論文も)については元祖カリスマ現代文教師である出口汪先生の「驚異の現代文」という講義を受講していた。そこでは論理的に文章を解くだけに留まらず、自分で論理的文章を書けるようになるまで指南がされた。出口先生に言わせれば論理的に文章を読むことと論理的な文章を書くことは表裏一体であり、現代文の読解の訓練はそのまま小論文作成の対策になるし、小論文対策として文章を作成することは現代文の読解力を向上させるのに役立つということだった。結果としては、この出口先生の教えが北海道大学後期の小論文対策に大きく役に立ったわけである。

 高校での卒業式を終えても自分の高校三年生としての立場は未だハッピーエンドを迎えられていない。少なくとも後期入試を残した状態では半殺しにされているのも同然だ。なので、後期入試までの2週間弱は高校の自習室にこもって北海道大学後期の小論文の過去問を現代文の先生(生徒会の顧問の先生でもある)に添削してもらうことになった。自習室の隣では既に進路が決まった同級生が「○○大に決まったんですよ~」とか「○○に住む予定で~」等と希望に満ちあふれた会話を繰り広げられていたが、隣の部屋で自習しながら聞いていた自分には呪詛の言葉としか思えなかった。普段だったら絶対こんなこと思いもしないが自分が受験で追い詰められていると「まだ隣の部屋で戦っている奴がいるんだから空気を読みやがれぶち殺すぞ」「脳みそと自制心を受験会場に落としてきたのかこの馬鹿どもは」等と罵詈雑言が自分の脳みそを覆い尽くすようであった。しかし、こうなったのも正しい努力を積み重ねてこなかった自分の責任なのだ。悔しければ耐えて合格を勝ち取るしかない。そうして、短い時間での小論文対策は1日また1日と過ぎて、とうとう本番の日がやってきたのである。

3 北海道大学後期小論文試験当日の様子


 そんなこんなで北海道大学後期小論文試験当日がやってきた。遅くとも前日には札幌JRタワーホテルで宿泊していたはずである。記憶が正しければ北海道大学の前期も同じホテルに泊まっていたはずだ。後期入試の前日に最終チェックをして、これ以上することはないとの自負を持って試験当日を迎えることが出来た。実質的な準備期間は2週間にも満たなかったのだろうが、その基礎となる論理的に文章を読み込む訓練は1年以上続けていた自負があるからである。
 法学部前期試験は文系棟のW棟のW101号室かW102号室あたりで受験した気がするが、法学部後期試験は何故か農学部棟で受験をすることになった。辺りを見回してもとりあえず知り合いはいない。前の方を見ると明らかに高齢の60~70代の男性受験生の姿が見えた。「彼も北大法学部を受験するのか。まさかと思うが弁護士志望なのか?司法試験合格の前に天寿を全うされるのが先ではないのか」等と失礼かつ不謹慎なことを考えていたおかげで緊張は全然しなかった。

 そうこうしている内に試験問題が配付され、注意事項などが読み込まれ、いよいよ試験が開始した。とにかくまずは名前と受験番号は絶対に忘れないように記入することを念頭に置いて問題に臨んだ。

 ところが最初の設問で問題が発生する。解答用紙のマス目をどう埋めるべきなのか疑問に思ってしまったのだ。現代文のような本文中に下線部を入れてこの下線部の意味を何十字以内で説明せよという問題が出題されるが小論文はこの分量が軽く100字を超える説明量を要求するので、小規模の作文のような文章体裁にあわせるべきなのか迷ってしまったのだ。要するに、マス目の一文字目を空けて作文的に正しい解答を作成すべきか、マス目の一文字目から文字をギッチリ入れて解答すべきか迷ったのである。解答用紙の使い方が分からなかったので試験官の人に挙手をして質問したら、試験官の人も予想外の質問だったのか「しばらくお待ちください」との返答をいただいてしまった。この時点で「やってしまったか」と思ったが時既に遅し。結果的には「好きにしなはれ」ということになったのだが余計な時間を使ってしまったと思った。そんなこんなで第1問目の解答を何とか埋めたと思い次の問題に取りかかろうとしたらなんと埋めたはずの解答用紙が空白になっているではないか。そんなはずはない。ならば俺が埋めた解答用紙とは何だったのかとよく見てみれば自分が埋めた解答用紙は下書き用の解答用紙だった。下書きにいくら書き込んでも一点も得点になりはしない。貴重な時間を体感30分は潰してしまった。失敗したと思ったが、これが現役最後の試験、魂が燃え尽きるまで本気の全力で挑んでやると再び闘志を燃やした。

 私が受けた2010年度の北海道大学後期の小論文の試験は、1問目が外国人労働者が介護の現場に出てくるようになったという評論文、2問目は何か民主主義とは何ぞや的な内容の文章だった気がする(2問目については内容は正直忘れた)。1問目の外国人労働者の評論文の設問2が個人的に面喰らった。たしか「介護の現場に限らず外国人との異文化交流について貴方の具体的な体験を踏まえ○○字程度で論ぜよ」的な問題が出題されたのだ。「貴方の具体的な体験」等と言われても私の貧相な外国人との体験では小学生の頃に外国人の大人の人が交流に来ていたな程度の記憶しか無くその人と何か具体的なエピソードなどあるはずもなくどうしようもなかった。本当のことを素直に書いても合格するわけではないと直感で悟った私はその瞬間、「存在しない親友マーク」とのやりとりをその場ででっち上げることにした。試験の数日前に実家で読んだ英語のジェスチャーに関する本の内容を織り交ぜてこのような内容を答案に盛り込んだ。

「アメリカ人の親友マーク(本当はそんな奴いない。日本人でも友人が少ないのに外国人の親友などそうそう出来るものか)に『こっちに来なよ』と手でジェスチャーを送ったが、マークは向こうへ行ってしまった。追いかけて何故向こうへ行ったんだいと問い詰めるとマークは『君が向こうへ行けってジェスチャーしたんじゃないか』といった」

 「そう、外国人とのコミュニケーションというと言語的な挨拶などと言ったことが連想されがちだが、非言語的なコミュニケーションについても意味合いが違ってくることは往々にしてあり得る。だから、まずは非言語的なアプローチから接触を試みるというのも一つの文化コミュニケーションにあたるのではないか」

的な内容の答案をでっち上げてやった。大幅な時間ロスが生じてしまったので、下書きをしないでそのままペン入れを行う岸部露伴のように答案を一気に仕上げていった。そのままの勢いで残りの大問2も回答欄を埋めた。その結果、試験時間が10分ほど余ってしまった。ただ、これが大学受験人生最後の10分と思うことにして、絶対に記載漏れ・誤字・脱字がないように徹底的にチェックを怠らなかった。解答用紙を凝視するその姿は妖怪の如き出で立ちをしていたかもしれないがそんなことは知ったことではない。こちらには第一志望の大学の合否がかかっているのだ。四の五のつまらない見聞など構ってはいられない。他の受験生に害を与えなければ文句を言われる筋合いはないのである。試験終了時間まで現役最後の受験という貴重な時間を骨の髄まで味わったと言えた。

 そうして、試験は終了して解答用紙は無事に提出された。終わった後はなんとも言えない開放感に包まれた。やりきったという感覚はこのことだとも思った。帰りに札幌のJRタワーで中華を食べて地元に帰った気がする。

 そして、後期の合格発表の日。パソコンで受験番号を確認すると私の受験番号が表示されていた。私は北海道大学法学部校規小論文試験に現役で合格したのである。このときの感想は、当時の高校の合格記にも記したことだが「やれやれだぜ」であった。

4 北大後期試験終了後から大学入学までの細々としたアドバイス

 北大の後期試験に合格して、やっと少なからず春休みが訪れた。通っていた高校に現役合格の報告をしに行き、何故か担任ではない別クラスの先生から焼き肉を奢ってもらった。正確に言えば私とは別クラスの担任の先生が受け持つ生徒が北大の(私とは別学部の)後期試験に合格したお祝いの焼き肉にご一緒させてもらったのである。「他人の金で食う焼き肉がこの世で一番旨い」という背徳的事実を未成年で知ってしまった罪は深かったと今でも思う(もっとも最近は加齢のせいか胃が焼き肉を受け付けなくなってきてしまったのだが…)。

 そんなことをしつつ、実家にいる間に自分が大学受験の現役時代に使っていて消化不良に陥った多数の参考書や問題集なんかを後輩にあげるために書籍の整理をしたり、母校の後輩宛に北大の合格体験記を急遽作成することにした。その合格体験記は「逆転合格のための奇策」的なタイトルだった気がする。「秘策」ではなく「奇策」にしたのは、私大入試受験の際に東京に行った時に偶然見たテレビアニメ『刀語』に影響を受けてつけたものである。『刀語』には自称「奇策士」とがめさんという方が登場するのだが、そこから合格体験記のタイトルの着想を得た。そして、その合格のための奇策の数を主人公の使う奥義の数になぞらえて七つか八つと無理矢理挙げて作成した。更に、後輩の中に『ジョジョの奇妙な冒険』に精通している者が何人かいることを知っていたので、彼らが私の文章を読んでクスリと笑えるようにジョジョの台詞をいくつか引用した(実はこの投稿にも一つ既に載せてある)。そんなわけでいくつものネタをねじ込んだ合格体験記を楽しく作らせてもらった。私よりも優秀な進学先が決まったクラスメイトがいれば半分ふざけて作った私の合格体験記はお蔵入りになったわけだが、ありがたいことに私のクラスでは国立で一番良い進学先に合格したのは私だったので多少遊び心が入った合格体験記を作っても多少は目を瞑ってもらえるだろうという算段をつけたのであった。
 
 そうこうしている内に春休みも終わりを告げ、大学生という新生活が始まる時期に差し掛かってきた。大学合格の結果が前期合格者に比べて遅れてしまった分、居住環境にせよ家電やネットなど生活インフラを整えるのに余裕がないというのが率直な反省点である。めぼしい物件や家電は先に前期合格者にとられていたり、入学式までに家具が一式そろわない自体もありうるという、受験勉強をしていたときには全く想定していなかった一人で現実的な生活をしなければならないという問題と向き合うことになった。親の力を大いに借りて(ほとんど親主導で決めてもらって)、なんとか大学生として一人暮らしできる環境を手に入れることが出来た。

 新型コロナウイルスが流行してからの大学の行事の詳細は不明であるが、私が大学1年生の頃は入学式前にオリエンテーリングなるものがあった。確か任意参加であったが、入学前にあらかじめ新入生で交流会を開催することで入学式の時点で顔なじみを少しでも増やそうという趣旨の企画であったと思う。周りは当然知らない人たちばかりであったが、幸運にも同じ法学部に合格した同期の何人かとすぐ打ち解けることが出来た。もっとも、そのオリエンテーリングで仲良くなった同級生とは後のクラス分けで別々のクラスになってしまったので(大学でもこれまでの学校教育と同様に「クラス」という概念があるのを入学してから知った)、結局入学式で最初から人間関係を構築し直す羽目になってしまったが。

 入学式の後のクラスごとの説明会で自己紹介的なことをした後に学級委員会的なものを選任する手続に移行した。当時のクラス担任であった教員は「何事も受け身ではなく積極的に自分から動かないと大学生活は大変ですよ」的なことをのたまっていたが、言われるまでもなく私は学級委員的なもの(確か「仮総代」とか言われた気がする)に立候補し、就任した。別に私はリーダーシップを積極的に取りたいから立候補したわけではなかった。基本人見知りで他人と積極的に関わるのが苦手な自分のような人間が初対面の人間と(特に異性と)自然に関わり合えるようになるには、あえてリーダー的な面倒臭いポジションに収まることで合法的に初対面の人たちの連絡先を手に入れ交流する権利を得られると踏んだのである。そんなわけで私の当時使っていたガラケーには新たな連絡先が男女問わずどんどん増えていった。この時点で反省することがあるとすれば大学入学を機にスマホデビューすれば良かったと言うことだ。「まだ使えるから」と無駄に・意固地にガラケーの使用に拘っていた自分を殴りに行きたいくらいだ。

 そうこうしている内に最初の大学生活がスタートした。初めての履修登録やら一人暮らしやら部活・サークル勧誘やら大学祭の準備などであっという間に時間が過ぎ去っていった。小論文対策の効果は、大学入学後の授業でも大いに役に立った。特に、大学一年生時の教養科目のレポートの提出には大いに役立ったと言えよう。まず大まかに授業の内容を要約した上で、自分の意見を少し交えるいうことをするだけで「優」という成績が多く付いた記憶がある。大学に入学したばかりの前期は調子に乗りすぎて、講義の内容よりも「僕が考えた最強の理論」的なものを重点的に書いたレポートを出してしまいがちで成績が芳しくない科目が生まれてしまった。その反省もあって、後期の授業に入ってからは初心に立ち返り、大学入試の小論文と同様に問題本文=授業内容の要約と私見を後でいれ自分の評価を付け加えるという「小論文の型=レポートの型」を押さえることで大学1年生のレポートとしてはまずまずの出来のものが生まれたと思う。勿論、他の論文の引用などレポートとしての正確性を保つ努力もあったのだが、そうした細かい部分にも目をやることで大学1年生時の成績はそこそこ安定して良かったと思う。

 もっとも、そうした勉強は司法試験(ひいては予備試験)に合格するための勉強からはかけ離れていたので、そのことに学部生時代に気づけなかったのが痛かった。「勉強」はしていたのだから、この小論文の延長の「勉強」で司法試験対策にもなると勘違いしてしまったのである。そして何より、地方からそこそこ都会に一人暮らしを始めた大学生は勉強だけでなく色々遊ぶことを覚えるようになった。友達と深夜から朝方までカラオケをしたり、1人で深夜にニコニコ動画を見漁ったり、推しのアーティストのライブに参戦したり、友人が劇団員をやっている劇を見に行ったり、無駄に映画を見に行ったり、サークルのメンバーと旅行に行ったりなど、今後の人生の中で一番遊べる時期を逃すべきではないと遊びに対してはいつ死んでも悔いが無いように全力で遊んだ。そのことに関しては一切の悔いを残さなかったと自信を持って言える。しかし、それが後にロースクールの既修者コースの不合格を招くことになるとはこのときは知るよしもなかった。

5 北大ロースクール入試~合格であり不合格でもある~


 そうこうしている内に大学4年生になった。大学4年間の生活を振り返れば遊びに関しては自分のできうる限りで全力で遊び尽くしたと言えるし、サークル活動は法律系のサークルに所属しそこで真面目に取り組んだ。学業については、ゼミなど他人との協力が必要不可欠なものは積極的に取り組んだし単位も留年しない程度にはとっていた。さらに、自分の知的好奇心の赴くままに読書にもいそしんでいた。

 しかし、「司法試験受験」ということを考えるとまるで準備不足な4年間を過ごしてしまった。学部生の頃の自分は予備試験受験についてはほとんど考えずロースクールに進学することしか頭になかった。予備試験は当時実施されたばかりで過去問の量などをはじめ情報が乏しく当時の自分の正直な意識としてはわざわざ予備試験を受けるよりもそのままエスカレーター式でロースクールに進学することが合理的だと思っていたのである。当時としてもこの認識は甘かったというのが学部時代の唯一の反省点である。大学3年生から司法試験対策として伊藤塾の講座の受講を始めたが、意識が司法試験や予備試験の合格に正確に向かっていかなかったのはよろしくなかった。司法試験の合格を本気で目指すのであれば、学部生の内に司法試験合格の基礎=予備試験合格が現実的となる法的知識・思考力・論述力を磨く必要があったのに、学部生の私はこの意識が決定的に欠けていた。とにかく伊藤塾の膨大な講義を消化するのに精一杯で、各科目の本質的な理解を深める機会が無かった。まして、論述対策などほとんど形だけで実質的な対策など出来てないというに等しかった。

 そういうわけで、結果として北海道大学ロースクールの既修者試験には不合格となった。ロースクールは学部と地続きの北海道大学一択としていたのも色々な意味で詰めが甘かったと言える(もっと真剣に司法試験合格率なども踏まえたロースクールの研究をすべきであった)。普段の北大法学部の定期考査の延長戦でロースクール入試があると捉えてしまったのはあまりにもロースクール入試を舐めていたと思う。そういうわけで、大学で約4年間の法律を勉強したにもかかわらず母校の既修者コースのロースクール入試には落ちることになった。

 一方で、念のため出願していた北海道大学ロースクールの未修者試験、つまり法律学を勉強したことのない純粋未修者向けの小論文試験には合格した。それも上位で合格できたようである。何故自分が上位で合格できたことを知ることが出来たのかと言えば、入学後最初に行われた未修者向けのゼミの最初の発表者はロースクール入試の上位生で占められていたことが後にゼミを担当した弁護士の先生も交えた飲み会で明らかになったからである。

 さて、北大のロースクールの未修者試験対策はほとんど何もしなかった、というよりもしたくても出来なかったというのが正直な実態である。北大のホームページにはロースクールの過去問が掲載されているが、未修者試験の問題文は著作権の関係で問題文の掲載が省略されており、どれだけの文章量を制限時間内に読み解かねばならないのか全く未知の領域であったのである。仕方ないので、大学入試の小論文対策で掴んだ感覚と、学部生で培った読書の習慣を信じて既修者試験の対策の方を優先していた。結果としては、小論文の本番は10分ほど時間が余った。

6 最後のアドバイス~法学部進学までは小論文でも勝負の価値はあるが、ロースクール未修はオススメしない~


 北大法学部で4年間、北大ロースクールで3年間の計7年間を北大で過ごし、そのどちらも小論文で合格した者の率直な意見としては、学部までは小論文対策も有効だということを言いたい。一般的な前期試験で合格するような、センター試験(共通試験)+二次試験の科目で合格しても、小論文一本で合格しても結果的には同じことと評価されるのだ。なので、法学部に入学し、それから4年間で大学を卒業して一般就職するなり公務員を目指すのであれば小論文の対策(実際に文章を作製する機会は少なくとも、一定水準の論理的に書かれた文章・評論文を読み続ける訓練を続けること)はしておいた方が良いと言える。公務員試験を受ける場合は、別途公務員試験対策にも力を入れるべきではあるが。

 一方、司法試験・予備試験合格を目指すのであれば、その過程としてロースクール進学を考えているのであれば、小論文の能力はほとんど役に立たなくなってしまうというのが正直なところである。司法試験というより法曹を目指す者に求められている能力は、小論文を一定時間内に書き上げる能力以上に、①最低限度=予備試験択一を突破できる程度の広く深い法律知識事案を正確に分析し法的三段論法に基づく説得的な論述を展開する法的表現力法的表現力を裏付けるための効率的な問題読解能力、といったものが要求される。こうした能力は、残念ながら全国のロースクールで十分に養成されているとは言いがたい。むしろ、ロースクール入学前までにこれらの能力=司法試験や予備試験に合格しうる能力を求められているのが残酷な現実なのである。

 たしかに、ロースクールの授業内容と司法試験の試験科目の勉強が重複することはあるが、それは必ずしもロースクールの授業が司法試験の合格に寄与しているとは言いがたいということである。ロースクールの授業は司法試験から見ると過剰すぎる知識や理解を要求したり、あるいは逆に足りないとされることがある。少なくともロースクールの授業でまともな論文作成能力が向上するといったことは期待しない方が良い。知識は身につけられてもそれを答案で点数に結びつけるための方法論までは教えてくれないのがロースクールの現実である。特に、純粋未修者は最初の1年で通常の法学部生が4年ほどかけて学ぶ内容を1年で凝縮して学習し、既修者の授業に追いつくというカリキュラムなのだが、これがそもそも現実離れをしている。もし仮にそのようなカリキュラムを優にこなせるのであれば、彼ないし彼女はロースクールに進学などせず予備試験ルートで司法試験に合格出来るはずだからである。

 弁護士をはじめ法曹を目指そうとしている者の中にはロースクール進学も視野に入れている者も少なくないだろうが、予備試験も10年以上実施されるようになっている現在においては、まず予備試験の合格を念頭に置いて学部生の頃から本気で法律学習を進めるべきである。そして、予備試験合格にどうしても足が届かない場合に、司法試験合格率の高いロースクールの既修者試験合格を目指して勉強することを勧める。間違っても私のように小論文一本でロースクールの未修者試験でロースクールに入学することは司法試験合格という観点からはオススメしない。なまじ小論文が得意になってしまうと、かえって各法律の論述試験の趣旨からズレた論述をしてしまいがちである。具体的には、自分の意見を強く主張ばかりして出題者が求めてないことを延々と論述したり、逆に出題者が求めていることについて説明不足の論述をしてしまいがちである。そして、そのことに自分の力で間違いを認めるのがほぼ不可能になるので、はやめに予備校に頼り論文添削の機会を設けてもらった方が良いのだ。司法試験は金ばかりが飛んでいく嫌な試験ではあるが、かけるべきところに金はかけないと間違った方向の学習を進めてしまい社会的に死にかけてもおかしくはない世界なのだ。そうならないように、早期の対策をしておくべきである。

 私のような「失敗者」をこれ以上増やさないようにするために、あえて小論文の合格日記とそれに続く不合格日記を綴った。読者の皆様の参考に少しでもなれれば幸いである。

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