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聖なる夜の特別編:死肉サンタガール。

 こんこん。
 木製のドアを恐る恐る叩く。
 中から音がしないことに戸惑い、ドアに記された部屋番号をもう1度確認する。
「D-9」。
 間違いない。ここだ。4階の「D-9」号室。
 こんこん。
 もう1度。今度はもう少し強く。
 微かだが、中からこちらに近付いてくる足音が聞こえた。
 とん。
 ドアに体重がかかる音。
「合言葉は?」
 同時に、低い女性の声。気怠げで、同性でも、どきっとしてしまうぐらいの妙な色気がある。
「……トリカブト」
 事前に伝えられていた言葉を、囁くように言った。興奮か、緊張か、声が震えているのが自分でも分かる。正直に言うと、あまりこういう現場に慣れていない。
 がちゃ。
 解錠する音が聞こえた。
 数秒待ってもドアが開かないということは、自分で開けろということだろう。
 右隣に立つ相棒を見る。馴鹿のマスクを被った少女が無言で頷いた。去年まで私が被っていた物だ。
 私には大きく感じたが、身長の高い彼女にはちょうどいいように見える。
 私はゆっくり横長の金属製のドアノブを掴むと、下へ押し、力を込めた。
 しいぃぃぃぃぃ……。
 嫌になるぐらい、ドアはスムーズに開いた。
 紫色とピンク色の照明が、部屋へと続く暗い廊下で飛び散り、交差し、混ざり合う。
 中に入り、静かにドアを閉める。
 玄関で靴を脱ぎ、床に足を乗せる。このひんやりとした床を何人もの人が踏んできたかと思うと、気持ち悪くて仕方がない。
 3メートル程の廊下を進む。馴鹿のマスクの少女も後に続く。
 右側の壁にドアがある。トイレ兼用のバスルームだろう。
 部屋と廊下を仕切るドア。そこに嵌められた硝子から、部屋の照明が廊下に漏れていた。
 軽く目を瞑り、意識して鼻で息を吸って、口で吐き出した。意を決するとはこういうことか、と実感する。
 ドアノブを回し、ドアを開ける。嫌なぐらいスムーズに開くのは、先程と同じだった。
 天井の中央には、シャンデリアのような派手な照明器具が垂れ下がっていた。そこから紫色とピンク色の星のような光が放たれ、部屋を宇宙のようにしていた。
 部屋の右側を見て、固まった。
 確かに、私が依頼したのだから、あって当たり前だ。注文通りだ。でもまだやっぱり、慣れはしない。
 ダブルベッドの上には、大の字で寝かせられているパンツ一丁の男がいた。彼の両手両足首には、それぞれ手錠の片側が嵌められており、もう片側はベッドの柵に付けられていた。彼の首の左側に5本の斜め線が見えた。依頼通り、しっかり殺されている。
 それにしても、煙草臭い。
 部屋の左側に目をやる。丸テーブルの中央に硝子製の灰皿が置かれていた。中には何本もの吸い殻と、火が消えていない煙草が1本。そこから白い煙がゆらゆらと上がっている。
 そうして、気が付いた。
 殺し屋の姿がないことに。馴鹿のマスクの少女の動作音が消えていることに。

「奴が来るぞ 奴が来る

 聖なる夜に 奴が来る
 真っ赤な帽子と鬼のお面

 奴が来るぞ 奴が来る
 聖なる夜に 奴が来る

 大きな袋と錆びた鋸
 奴が来るぞ 奴が来る

 人肉求めて 奴が来る」

 外にいた時に聞いた声と同じ。気怠げで色気のある歌声が、背後から聞こえた。年中湿度の高いこの街特有の、じめじめしたクリスマスソング。
 悲鳴を上げそうになるのを堪え、恐る恐る振り返った。
 そこには、美しい女子高生がいた。長い睫毛と澱んだ瞳が特徴的な美少女。女子高生が開いた右手を、馴鹿のマスクの少女の背後から首元に近付けていた。毒々しいぐらい紫色の爪を。
 全部、噂通り。美少女、セーラー服、毒を塗った爪。「湿気の街」のラブホ区域で男を殺す、イカれた女。
 美しき殺人鬼兼殺し屋、「毒爪女子高生」。
 毒爪女子高生が死んだ目で、私を睨み付けた。
「あなた……誰?」
 敵意しか感じない。下手したら、下手しなくても殺される勢いだ。慎重に、慎重に言葉を選ばないと。
「私は……『死肉サンタ』」
 震える口を必死に動かして、答えた。
「違う」
 毒爪女子高生の紫色の爪が、更に馴鹿のマスクの少女に近付く。
「『虐殺サンタ』は、そんなのじゃないでしょ?」
 私の存在を、虐殺サンタと呼び間違えている人は多い。クリスマスになると、死肉を求めて、美味しそうな人を虐殺すると噂されているから。噂が人を経由する度に歪曲する。よくある都市伝説みたいな間違いだ。
「虐殺サンタは老人の筈。それに、白色の鬼のお面を被っていた」
 やはり、こういう現場では、正確な情報が必要になってくるのか。なら、きちんと説明しなければいけない。
「あなた達のよく知る虐殺サンタ……正確には、死肉サンタだけど、彼は去年で引退しました。今年からは、私が死肉サンタです」
 極力声を柔らかくし、敵意も、悪意もないことを表す。
「嘘……そんなの、嘘」
 毒爪女子高生の声が震えているのは、気のせいじゃない。
「私が白色の鬼のお面ではなく、ピンク色の鬼のお面を被っているのは、その……ただ単純に、お爺ちゃんと同じお面を顔に付けたくなかったから」
 話していくうちに、毒爪女子高生から殺意が薄れていっているように感じる。その代わり、動揺というか、感情が昂っているように見えた。「あ、後、あなたに殺人の依頼をしたのは、子羊のお面を被った少女達でしょ? お爺ちゃん……元死肉サンタの孤児院で暮らしている子供達なの」
 馴鹿のマスクの少女の首に向けられた爪は、明らかに震えている。
「私達もそう。で、死肉サンタの後継者は、孤児院の子供達から選ばれた。ね? こんな情報、死肉サンタ本人じゃないと、分からないでしょ?」
 私は人が不快にならない程度の、わざとらしくない笑みを浮かべた。鬼のお面を被っているから分からないか。
 数秒間、毒爪女子高生は無言で私を睨み付けていた。
「ふんっ」
 突然、馴鹿のマスクの少女の背中を押すと、彼女を解放した。
「依頼料」
 毒爪女子高生は無感情に言った。
 どうやら、信じてもらえたらしい。
「はい」
 私は真っ赤なスカートのポケットから、49万円の入った茶封筒を取り出し、彼女に渡した。
 毒爪女子高生は無言で受け取ると、封を開き、札束を数えた。きちんと確認出来たのか、毒爪女子高生は茶封筒を胸ポケットに仕舞い、部屋と廊下を隔てるドアに向かった。ドアノブに手をかけると、何かを考え込むように静止した。
 その綺麗な横顔は、何だか不機嫌そう。
「……私を、期待させないで」
 毒爪女子高生は、顔をドアノブに向けたまま言った。
「『虐殺サンタガール』」
 だから、死肉サンタだって。

*

 灰皿の隣に置かれていた4本の鍵で、男の死体に嵌められていた手錠を外すと、解体作業に入った。
 まずは左腕。死体の左手首を左手で掴む。冷たい。冷たくて、固い。でも、氷とは違う。妙に生っぽい気持ち悪さ。
 錆び付いた鋸の刃を、左腕の付け根に入れる。見た目とは異なり、固くなった肉にスムーズに入っていく。
 きゅし、きゅし、きゅし……。
 鋸を前後させる度、肉が裂け、刃が奥へ進む。簡単に骨まで辿り着く。
 変わらず、鋸を動かし続ける。
 ぎゅり、ぎゅり、ぎゅり……。
 固い物を削る振動が右手に伝わる。心地いい震えと音。一心不乱になって切断する。
 ラブホの一室、煙草の臭い、紫色とピンク色の照明、殺し屋とのやり取り、ダブルベッドの上に置かれた男の死体、鋸で解体をする鬼のお面を被った私。
 状況に酔っていた。
 休みの前日の夜に摂取したアルコールみたいに、程よく身体をふらつかせる。飲んだことないけど。
 きゅし、きゅし、きゅし……。
 肉が裂ける。肉が裂ける。肉が裂ける。ラブホの一室で死体を切断する。切断する、私。
 ぷしっ。
 肉を裂き切り、左手で左腕を、右手で胴体を掴んで、皮を切った。左手に乗った男の左腕。筋肉質のそれに、少しきゅんとしている自分がいた。「いぇい」
 切断した左腕を馴鹿のマスクの少女に見せ、右手でピースする。
「元気そうで何よりです」
 呆れたような声で言うと、馴鹿のマスクの少女は白色の大きな布袋の口を開き、こちらに向けた。
「ん、ありがと」
 私は布袋めがけて、左腕を投げた。
「あ、ちょっと、危ないですよ」
 と言いながら、宙に舞った左腕をきちんと布袋へ入れる馴鹿のマスクの少女。
「もう……遊ばないでください」
「へいへーい」
 今度は右腕の切断作業に入る。左腕同様、スムーズに肉が切れる。
「あ、そう言えば」
 手を前後に動かしながら、思い出したかのように馴鹿のマスクの少女に聞いた。
「大丈夫かな……この死体」
「何がですか?」
 布袋の中にある左腕を眺めていた馴鹿のマスクの少女が顔を上げた。
「今更だよ? 今更なんだけどさ、毒爪女子高生って、爪に塗った毒で男を殺すでしょ? 爪で引っ掻いてさ。そんな……毒が回った死体なんて食べられるのかな」
 私の疑問に、馴鹿のマスクの少女はそんなことかと言わんばかりの溜め息を吐いた。
「殺害依頼をしに行った子達が言ってたじゃないですか。成人した男にしか効かない毒を使ってくれるって言ってた、って」
 あぁー……言っていたような、なかったような……。
「じゃあ、お爺ちゃんは食べられないね。可哀想だから、闇市区域で人肉買ってこ」
 馴鹿のマスクの少女は、私の提案に無言で頷いた。
「じゃあ、行っくよー」
 右腕を切り終え、布袋へ投げる。
「だから! 投げないでください!」
「へいほーい」
 次は両脚の解体作業だ。
 男の下半身に目をやる。真っ赤なブリーフを履いていた。
 何故か突然、ブリーフを捨てたいと思った。
 固くなったお尻を持ち上げ、無理矢理脱がす。脚を切ってから脱がした方が絶対楽なのは分かっていた。でも、そんな時間すら煩わしかった。
 ぶゅおんっ!
 その時、目の前に何かが勢いよく飛び出してきた。

*

 聖夜。
 12月24日の日没後から同月25日直前までの、美しくも儚い数時間。
 赤い帽子とピンク色の鬼のお面を被り、真っ赤な服を着て、大きな真っ白の布袋と錆びた鋸を持ち、夕食に使う人間を狩りに街へ出る。
 私の名は、死肉サンタ。
 狩りと言っても、生きている人間を虐殺するわけではない。命を失ったただの容器を、孤児院の子供達の為に持って帰るのだ。
 聖なる夜は、私達が唯一人肉を食べることが許される夜。その夕食時だけ、薄暗い孤児院がオレンジ色に染まる。
 ネオンの妖しい光に照らされたラブホ区域を、すっかり重くなった布袋を引き摺って歩く。その後ろを鋸を持った馴鹿のマスクの少女が続く。
 ふと、足を止めた。
 視線のようなものを感じ、横を見る。
 薄汚れたラブホとラブホの間にぽっかりと開いた異空間。正気と狂気の狭間に影が1つ。地から足を離し、少し高い位置から私達を見下ろしている。
 ゆらゆらと揺れる上下スウェット姿の男の縊死体が、去年のクリスマスの記憶を呼び起こす。
 馴鹿のマスクを被って、元死肉サンタのお爺ちゃんに付いていった。
 彼の解体作業を眺めて、胸が温かくなったのは嘘ではない。親のいない私達を喜ばせる為に、街に転がっている死体から人肉を集める。
 本物のサンタクロースに見えた。
 今日から私の番なんだ。
 そう思うと、今更ながら緊張と誇らしさが私をふわふわとした宙を漂うような感覚にさせた。
 ……ただまぁ、腐った肉はもう食べたくない。いつ死んだかも分からないんだから、そりゃ、お腹も壊すよね。
 だから、今年は殺し屋に人を殺させ、新鮮な肉を持ち帰ることにした。これって、間接的に人を殺すことになってるんだろうか。本当に、虐殺サンタかも。
「毒爪女子高生……何だか相当ショック受けてましたね」
 背後で馴鹿のマスクの少女が呟くように言った。
「渋谷とか、新宿とか、高円寺とか……他の街では、クリスマス、カップルで賑わうらしいですよ」
「へー……そうなんだ」
 何でもない振りをして、歩き続ける。
 左手をスカートのポケットに突っ込み、中に入ってる物を確認した。
 死体の男が自分のタイプできゅんきゅんしちゃった、なんて……若かりし乙女の、ありきたりた寂しさだろうか。
 2人の間に、嫌な沈黙が流れた。
 ずぢっ、ずぢじょぼぼぼっ……。
 何かを引き摺るような音がして、そちらに目をやる。
 黒色の紙袋を被った少年が、大きな何かを引き摺りながら、ゆっくり歩く私達を抜かした。
 彼が左右の手でそれぞれ握り締めていたのは、人間の足首だった。両足首を持って、ぐちゃぐちゃになった女の死体を引き摺り歩いていた。
 方向的に、私達と向かっている先は同じだろう。
 闇市区域。
 死体を売りにでも行くのだろうか。
 立ち止まって、2人して眺めていた。
 ……いいじゃないか。
 一生懸命死体を運ぶ紙袋の少年の姿を見て、ふと思った。
 いいじゃないか。
 好きな人と一緒にいなくたって。
 人肉と過ごす、死臭漂うクリスマスがある街があったって。
 私は左ポケットの中の物を優しく撫でた。
 冷たくて、固い、棒状の物体。釣り餌を大きくしたみたいな、グロテスクな見た目の。
 さっきこっそり切り取ったこれだけで、満足出来る人間もいるんだよ、この街には。だから、こんな気持ちになるのは間違いだ。人と比べて、他の街と比べて、ない物に縋って。
 それに、だって、私は……。
「……『死肉サンタガール』、だから」
 まるで自分自身に言い聞かせるように言うと、振り返った。
「死肉サンタガールが、湿気の街のクリスマスをもっともっと湿らせるから」
 何の根拠もないけれど、
「だから……」
 馴鹿のマスクの少女に向けて、飛び切りキュートな笑みを浮かべた。
「だから、大丈夫!」
 数秒の沈黙の後、馴鹿のマスクの少女が首を傾けた。
「……もしかして今、すっごい笑ってます?」
 あ、そうだ。鬼のお面被ってるんだった。



【登場した湿気の街の住人】

・死肉サンタガール
・馴鹿のマスクの少女
・毒爪女子高生
・人肉紙袋

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