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専業主婦として子育てしたい女性が堂々と希望を言える社会にしたい#2

真のジェンダー平等を目指す上で、グローバリスト、伝統的秩序破壊系ジェンダー平等論者の、一見反論しづらい主張の何がおかしいだろうか。

まず、よく言われる「女性の活躍推進」という言葉にすごく違和感がある。家庭で家事や育児をしている女性が活躍していないと言わんばかりだ。

この背景には、家庭を守るより、社会で活躍する方が価値があるという考えが潜んでいる。本質から見ると非常におかしな考え方で、この誤りを正すことはとても重要なように思う。

結論を先に言うと、今の社会においては、子育ての方がよほど仕事なんかより重要だ。そう考える根拠を順を追って説明する。

まず仕事の方に価値があるとなんとなく思われやすいのは、育児・家事より外での仕事が直接的に対価としてお金を得られるためだろう。

しかし、なんでもお金という物差しで価値を計る考え方そのものが、人の心を金で縛り付け支配しようという意図の下で勧められてきた企みである。

そうは言っても、家事・育児だけでは食べていけないし、離婚した場合女性が経済的に困窮するじゃないか。というのは、ジェンダー平等論者が必ず持ち出す議論だが、これは政治がまともであれば解決できる論点であり、後でまとめて取り上げたい。

よって、本質的見地から考察するにあたっては、除外する。お金という悪意のある物差しはポイして、生み出される価値で比較してみよう。

人間の活動を3つに分けると、
 1. 次世代のためになるもの
 2. 今の世代の命をより生かすもの
 3. どちらでもないもの
に分けられる。

人間以外の動物も同じだが、時間にするとほとんどが 2.摂食のための行動であり、1. の生殖活動は時間こそ短いが注ぐエネルギーとしては大きいものになるだろう(種によっては命がけだ)。

人間が動物と異なるのは、1.と2.にまたがる活動において、精神性を高める、スピリチュアルに言うなら、魂を磨く、といったベクトルが加わることである。

何を重んじるかは人それぞれかもしれないが、個人的には、今の世代が個々に精神性を高めて、次の世代によりすぐれた英知や社会を受け継いでいくことだと思っている。

そんな観点で、育児・家事、仕事について見てみよう。

まず、外での仕事の方から考えてみる。1〜3まで幅広いのが一つの特徴である。

実業のうち農業・水産業などは、命を支える大切な仕事である。しかし、工業・商業については、同様に生きるために必要なもの、次世代に引き継がれるもの、心を豊かにしてくれるものも多い一方で、虚栄心を満たすもの、過ぎたもの、退廃的なものなど、3に属するものが多くなる。

行きすぎた広告で人の欲望を刺激する大量消費経済、そのために働き、疲弊し、レジャーや娯楽で気を紛らわせ、そのためまた働くというラットレース状態に関連する仕事は果たしてどれほどの価値があるのか疑問である。

付け加えると、金融業は、実業に必要なお金の流れをスムーズにするという本来の目的を大きく逸れ、マネーゲームで巨額のお金が動き、時に暴騰暴落して実体経済に迷惑をかけるという点で弊害が大きい。

色々書いたが、今の日本で、休みなんかいられないほど喜んで仕事をし、子供たちに自分の仕事の魅力を情熱的に語り、ぜひとも同じ仕事に就いてほしいという大人がどれぐらいいるだろう?

体感的には、多くても1、2割がいいところではなかろうか。お金のためにイヤイヤ働き、お金が十分あったら辞めたいと思っている人が大半ではなかろうか。
そんな仕事に、人間の活動として、本質的な価値があるだろうか?

次に、子育てについて。子育ては次世代を育み、未来を紡ぐ行いであることには疑いがない。その上で、育て方というのはもちろんある。とにかく勉強だ、いい大学だ、いい会社だ、とお尻を叩いて育てたとしたら、それは動物で言えば餌の取り方を教えただけだ(1.と2.の中間ぐらい?)。

人としての高みを目指す生き方、徳を高める生き方まで教えられたら、初めて、その子のみならず、次の社会をよりよくしていくための完全な 1.分類の活動と言えるだろう。

最後に家事は、もちろん生きるために必要な活動であり、主として2.に分類されるだろう。

このように見ると、次世代のため、未来の社会への貢献という点で、子育ての方が、お金のためにイヤイヤするような社会にとってあってもなくてもいいような仕事より圧倒的に価値が高いように思うのだがどうだろうか。

家事でさえも、3.分類の仕事よりは価値があると私は思う。

ジェンダー平等論者が、「活躍」と位置付けている「仕事」というものは、実はほとんどが大したものではなく、家庭で真っ当に生きるために家事をし、次世代を担う立派な人間を育てる方が、よほど立派で尊いのだ。

子育てや家事を担う女性たちがもっと胸を張って堂々としていられるよう、考え方から変えていきたいものである。

次は、「性別役割分担」をめぐるジェンダー平等論者のおかしさについて考えてみたい。

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