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「お金のために働く」と「生きるために働く」 体験から実感した大きく違う本質

お金のために働くことと、生きるために働くこと。

この二つは似ているが、実は、決定的に違うことにさっき気がついてしまった。

現代の日本では、この二つの意味することが同じになっている人が大多数のように思えるが、それにはある条件がある。

その条件とは、「お金がなければ生きられない」という信念を持っていることだ。

そういう人は、生きるためにはお金が必要で、生きるためのお金を得るために自分は働いていると思っている。

たしかに一面の真実ではあるが、それが全てとは言えないように思われる。

「お金がなければ生きられない」の論理的な対偶は、「生きられるならお金がある」だ。

ところが、現代人の多くは、「お金があれば生きられる」と逆転してしまっている。

「逆」は必ずしも真ではない、つまり、「生きられる」かもしれないし、「生きられない」かもしれない。

にもかかわらず、「お金があれば生きられる」が真実と信じ込んでしまうと(こうした論理的混乱はよく起きる)、「お金があればあるほどより生きられる(可能性が増す)つまり、安心」と思ってしまう。

この思考に行き着くと、「お金はたくさんあればあるほど安心なので、いくらあっても十分ではない」に変化しやすい。

実際、お金がいくらあっても完全に命が保証されるわけではないので、エゴの作用として際限なくお金を求めてしまいやすい。

こうなると、生きることよりもお金を得ることが目的化してしまう。

体を壊すほど働くのは明らかに生きるという本来の目的に反するものだし、何年も暮らしていけるほど蓄えがあっても将来が不安だからと、好きでもない仕事をやり続けるなんていうのはそういうことだ。

お金と生きることの間にはある程度の関係性はあるが、当然ながら連動するものではない。

お金が自分の主人という状態を指す「お金の奴隷」という言葉はあるが、「命の奴隷」なんて言葉はナンセンスだ。

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ここからは私の個人的体験である。
以前の私は会社員時代、明らかにお金のために働いていた。そして、生きるためと思っていた。

総資産は億に近かったかもしれないが、やっぱり不安で、お金に縛られて生きていた。

それで、お金のために働くのはやめようと思い、生まれてきた目的を果たそうと思って10年前に会社をやめた。

「身を守ろうとして貯めたお金があるうちは、本当の安心感は得られない」と当時、師に言われた。

動機こそが、お金がまとうエネルギーに決定的な影響を与えるためらしかった。

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