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生きる意味がわからなくなる仕組み

「生きる意味がわからない」
「やりたいことが見つからない」
「幸せなはずなのにむなしい」

今の世の中、こういう思いを持っている人がけっこう多いように感じています。

あるいは、立ち止まってそんなふうに考える前の段階、つまり、目の前のやるべきことに追い立てられ、それをこなすのに必死で、やるべきことの段取りや解決すべき課題で頭の中がいっぱいな人を含めると、ほとんど全員かもしれません。


生きる意味が分からないのは洗脳のため

前者が後者より明らかに希望が持てるのはお分かりでしょうか。疑問さえ持たずに洗脳にどっぷりなのと、何かは分からないけど何かがおかしいと気づいている状態は、雲泥の差です。

今、洗脳と書きました。

そうです。生きる意味が分からなくなるのは、ハッキリと洗脳によるものです。それは生きることの本質、大元に遡ることで明らかになります。

人間として生まれてまもない赤ちゃんを見てみましょう。

赤ちゃんは基本的に生きる喜びに溢れています。「生きる意味がわからん」などと嘯く、もしくは態度に表す赤ちゃんなんか見たことありませんw。赤ちゃんの存在が周りの大人を魅了してやまないのは、純粋無垢な生命力の輝きに溢れているから。生きることはうれしいことであり、喜びそのものなんですね。


サバイバルのために自由を捨てた過去

その輝きが成長するにつれて失われるのはどうしてでしょうか。
好きなことをする自由を制限されるからです。
「あれをすべき」、「これをしなさい」と命じ、「親の言うことを聞いたら愛してあげる」、「そうでないと愛されない」という飴と鞭の脅しです。

このプロセスによって、「自分は条件を満たした時にだけ価値がある」と思うようになります。ということは逆に、「いつも価値がある存在ではない」ということです。つまり、「自分はありのままでは愛される価値がない人間」なのです。

さらに成長すると、「お金がないと生きられない」という呪縛が加わります。条件付きの愛も、お金の呪縛も、親自身が囚われて洗脳されてきたもので、それが当たり前の考え方、多くの人の常識となっており、容易には気づけません。

そうやって、愛されるため、生きるために好きでもないことを延々と続けていったら成れの果てが今の大人たちです。

好きなことをして自由に生きるという本来のあり方から乖離することはあまりにもつらく、感覚を鈍麻させて生きることで何とか耐えようとします。

すると、やがては、自分が好きなことややりたいことなどもわからなくなってしまうという仕組みです。

人生の大前提の誤り

人生における最初のボタンの掛け違い、それが肯定ベースか否定ベースかということです。

別の視点でいうなら、誰でも自分の現実を自分の思いが創っているので、自分を否定する思いが根底にあると、ことごとくうまくいかなくなります。

いくら頑張っても、ダメな自分はそのままだからです。業績で穴埋めしても、他人からの承認で満たそうとしても、一時的で、それがなくなれば元の木阿弥なのです。

まとめ

だからこそ、自分の価値を認めるのは自分しかなく、自分を満たせるのも自分だけなのです。自己受容、自己承認、自己肯定が大切と言われるゆえんです。

否定ベースから肯定ベースへの切り替えは洗脳が深いほど潜在意識に入っており厄介ではありますが、できないわけではありません。

まずは現状を招いた原因を知り、それは自分が悪いわけでもなく、常識に隠された洗脳を解くと決めることが第一歩といえるでしょう。



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