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タイの友人(そのニ)生まれ変わり

 タイの友人、カムトーンがこの五月、また日本にやって来た。

 昨年の夏、私が夫と娘とタイに行って、カムトーンと五年ぶりに再会したとき、彼は「神奈川で春にローズフェスティバルがあるみたいなんだけど、それに行ってみたい」と話していたので、「来なよ、来なよ!」と答えたが、本当に実現した。

 夫の二十代のころからの友人である彼に私が初めて会ったのは二〇〇四年。友人と二人で来日し、東京滞在中はわが家に泊まった。二歳になったばかりの娘をとても可愛がってくれ、人見知りの娘も彼になついた。

 我々のタイ訪問をはさみ、二回目の来日は二〇〇七年、妻や友人家族と計八人で来た。

 三回目は二〇〇九年、母親や兄姉、姪なども加わり、人数は十二人になった。一行の中にはカムトーンの叔父さんであるお坊さんも含まれていて、東京滞在中はお坊さんと世話係三人の計四人がわが家に泊まることになった。

 お坊さんの食事は朝一回だけで、お世話係が作るので、私と夫と娘は何もすることはなかった。女性が触れてはいけないという決まりがあって、当時七歳だった娘は、夫が買った電車の切符を渡そうとしたら、優しく微笑んだまま受け取ってもらえず、不思議そうに見上げていた。

 晩秋で、みんなはダウンコートを着ていたけれど、叔父さんだけオレンジ色の僧衣一枚で寒そうだった。みんなで夕飯を食べに出かけても、一人だけわが家に残り、暗くなっても明かりもつけず、居間にじっと座っていた。帰国したあとの部屋には、小さな仏像がそっと置かれていた。驚かされることばかりだったのを覚えている。

 四回目は二〇一一年三月末で同じく十二人。当初、カムトーンは「二十人で行く」と言っていたが、東日本大震災と福島第一原発事故が起き、「残念だが中止する」というメールが来た。しかし、叔父さんが「今行かなければいけない」と言ったので、人数は減ったものの、旅行は決行された。仏教徒である彼らの一番の旅の目的は巡礼なので、京都や岐阜のお寺でお経を唱えては、寄付をしていた。

 五回目の二〇一三年と六回目の二〇一七年はわりと少人数で、北海道をレンタカーで巡ったり、あしかがフラワーパークに行ったりした。

 その後、高校生になった娘が一人で春休みにカムトーンの家に泊まりに行ったのを最後に新型コロナウイルスの流行が始まり、行き来ができなくなった。だから今回の七回目は、カムトーンにとって六年ぶりの来日だった。

 今回の参加者は計十三人。久しぶりに僧侶の叔父さんも来た。叔父さんは七十代になって年老いていた。今回、新しく現れたのは、叔父さんの甥の僧侶だった。つまりはカムトーンの従兄弟になるのだが、初登場だ。四十歳ぐらいだろうか。大学でエンジニアの勉強をしたあと、僧侶になったという。オレンジの僧衣を着て、静かな笑みをたたえる叔父さんと甥の姿は、当然ながらよく似ていた。

 今年のツアーは長崎から始まって、由布院や鎌倉、御殿場、成田、浅草などに行き、最後は東京で買い物をするというコースだった。合間にカムトーンは単独で神奈川のローズガーデンにも足を運んだ。私と夫と娘は彼らが東京に来た最後の三日間、一緒に夕飯を食べたりしたが、お坊さんは朝ごはんしか食べないので、今回、私が叔父さんと甥に会ったのは、最終日に羽田空港に見送りに行ったときだった。

 そのとき、一行の一人からこんな話を聞いた。

 「今回、私たちが長崎に行ったのは、僧侶になったあの甥が前世で長崎にいて、原爆に遭ったことがわかったから」

 それで一行は長崎で祈りを捧げてきたのだという。私の英語が拙いのと、当人たちからは話が聞けないので、それ以上の情報はなかったが、私は今回のツアーの日程表を見て、「なんで長崎なのかな?」と思っていたので、ああ、そうだったのかと思った。

 と同時に思った。

 やっぱり前世ってあるんだ。

 これまでカムトーンが日本に来たり、私たちがタイに行ったりする中で、私はたびたび彼から輪廻転生について聞かされてきた。現世の行いは来世に影響するので、来世を良いものにするために、現世で徳を積み、お祈りをしなければいけないのだと言っていた。「だから志津もまずは瞑想しなさい」と。死んだら無になると考えている私は、それを聞くたび、思っていた。来世といっても、来世の自分には今の自分の記憶はないのなら、私とは関係ないのではないか……。せっかく徳を積むのなら、現世の私に利益があるようにしてほしい……。そう思うだけで口には出さないが、顔に出てしまうのか、カムトーンは悲しげな表情で私を見ていた。

 しかし、やっぱり前世はあるのだ。三年前に亡くなった私の母に教えてあげたくなった。母は子どものころから死を怖れていたからか、本棚には昔からシャーリー・マクレーンが自分の輪廻転生や体外遊離の体験を綴った「アウト・オン・ア・リム」があったし、イアン・ウィルソンの「死後体験」もあった。もちろん、立花隆の「臨死体験」もあった。父が死んだあとは、日本の臨床医が自分の体験にもとづいて著した「人は死なない」という本を買って、私の娘用にさらにもう一冊買って送ってきたので、娘が戸惑っていたこともあった。

 母が死を恐れた一番の理由は、やはり死んだら無になるから、だった。たくさん本を読んでも、この考えはおそらく、最後まで変わらなかっただろうと思う。しかし、がんが再発して最後の入院をし、緩和ケア病院に転院するころになると、救いを求めて、友人たちに「死ぬのが怖い」とメールをしまくっていたらしい。ちょうど新型コロナが始まって見舞いが禁止されたのと同じ時期だったから、クリスチャンの友人はせっせと病室に聖書や関連本を送ってくれた。けれど、キリスト教はしっくり来なかったのか、母はそれらの本を私に家に持ち帰らせた。

 別の友人は母から「死ぬのが怖い」と言われたので、「大好きだったご主人のところに行くことができるのだから、何も考えずにいてね」と慰めの手紙を書いたという。でも、そのあと母から返事が来ないまま別れを迎えたため、母の葬儀後、「『怒らせちゃったのかな』と思って眠れない夜を過ごしていたの」と私に打ち明けた。返信しなかったのは、たぶん、しっくり来なかったことと、感謝と別れの思いを友人にうまく伝える文章を書く体力が、母にはもうなかったからではないかと推測している。

 そんな中で、母を一番救ったのは、晩年に移り住んだマンションの近くの喫茶店で親しくなったハルコさんの、自分には生前記憶があるという話だった。

 小さいときからハルコさんには、ある古い家で母親の年の離れた弟が勉強している記憶があり、その部屋には格子窓と掘り炬燵があったと母親に言ったら、とても叱られたという。大変な剣幕で叱られたので、ハルコさんは二度とその話をしなかったが、大人になって母親から、「あなたを叱ったのは、そのころあなたはまだ生まれていなかったからだ」と言われたという話だ。生まれる前だったけれど、ハルコさんはその部屋にいたのだろう。生まれる前に光の中にいた記憶もあるという。

 転院した緩和ケア病院から、母が「病状はかなり悪いらしいけれど、週単位か月単位か、わかりません。昨夜、もしかして週単位? と思ったら死ぬのが恐くなりました」とハルコさんにメールを送ったとき、ハルコさんはこのエピソードを綴ったあとでこう書いた。

 「私のつたない死生観ですけど、自分なりに納得しているのは、生命は永遠に繋がっていくということです。死は、例えば疲れて眠って、朝、元気に目が覚めるように、疲れた生命が少し休んで、新たなエネルギーを蓄えて生まれ変わるという考え方です。私が子どものころから長い間探していた答えでした」

 母は返事を書いた。

 「ハルコさん、すごく優しいメールをありがとう。とてもうれしいです。めんどうな死生観よりずっと素直に入って来ました。ありがとう。あなたは本当に優しい人です」

 亡くなる三十日前のこのメールが、死後、携帯に残っていた。母が死んだあと、母より二十歳ぐらい若いハルコさんは、「自分のことを優しいと言ってくださって涙が止まらなかった」と私に話した。

 母と折り合いが悪かった私は、母が昔から死を怖がっていたことを知っていたのに、そういう話を一切聞いてあげなかった。聞いてあげればよかったと今は思う。そもそも、私に聞く姿勢がないから、母はそんな話をしようともしなかった。私に失望していただろう。最近読んだ新聞の投書で、認知症が進行したお母さんの介護で、初めのうちは言い争うこともあったけれど、お母さんに「私の人生は幸せだった」と言ってもらいたいと考えるようになり、自分の態度を変えたら、母親が「ありがとう」と言ってくれるようになったという息子の話があったが、私は病室で母から「私たちは昔は幸せだったよね?」と言われたとき、ただ眉をひそめて黙っていたことがある。母の言葉に「昔は幸せだったけど、今は不幸だ」という不満を感じ取り、それは現在の私への当てつけだと受け取って、不愉快になったからである。どれだけ私の性格は曲がっていたんだろう。

 母は六月の終わりに死んだので、六月になると、三年前の今日は雨だった、この日、母は病室でこうだった……とカウントダウンのように考えて、心細くなる。そんなとき、ハルコさんがメールをくれた。

 「紫陽花が咲くと、お母様を思い出して、切なくなります。うちの下に咲くガクアジサイが、私もお母様も大好きでした」

 タイにも紫陽花があると聞くから、ガクアジサイとどんなふうに違うか知らないけれど、今度はタイの紫陽花も見に行こうと思った。「カムトーンの叔父さんの甥は前世で長崎にいたんだって。やっぱり前世ってあるんだね」と母に話したら、母もカムトーンに会ったことがあったから、どんなに喜んだだろう。今度、私がカムトーンと会うときは、私も輪廻転生の話をしよう。それまでに、私も現世で徳を積むようにしなければ。

                 (黒の会手帖第22号 2023.7)

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