我が子の発達と悩み③

こんばんは。
今日もありがとうございます。
昨日の続きを書いていきます。

自分の思考癖で目の前の我が子をジャッジして
自分で自分の首を絞めて苦しんでいた茶番に気づき
我が子の個性、我が子の良さに目を向けることが
出来るようになってきた私。

心もぽかぽか、親子関係も良好。
ハッピー家族。

・・・そう簡単には変われません😂😂😂

人間の思考癖も潜在意識も、何年前にインストールして
いつそれが自分の思考の軸になったのかも思い出せないレベルで。
ごく自然に、無意識のうちに私たちの思考の礎を築いてる。

脳とか心とか、ぱっと見は全くわからないし
カタチのないものだから余計にベールに包まれていく。
だから気が付きにくいし厄介でもある、と思ってる。

かと言って、脳とか心の仕組みを知らなきゃ生きられない
わけではないし、知ってても知らなくても
どっちでもいい、どっちもいい👍

さて本題。
幼稚園も2年目。子育てラボにも参加。
我が子は、というと相変わらず会話が成立しない。
問いかけに対してはオウム返しが殆ど。

こーゆう状態をネット検索すると
めっちゃ色んな事でてくる・・・😂😂
検索しても落ち込んだり不安になるだけ、と
分かってるから検索魔はだいぶ落ち着いていた。

でも、私のものの見方、考え方、捉え方、が
変化したからと言って我が子が流暢に喋り始める
わけでもないし、劇的に何かが変わったわけではない。
我が子の状態は変わらずゆっくりのんびりマイペース。

たまにそんな我が子にイライラもするし
ジャッジしちゃうときもあるけど
自分ってそんなもんの人間で
不完全、完璧じゃないよな、と。

自己否定じゃなくて、そんな自分も居るよね。
って、その存在を認めてるだけって感じかな。

割りと平和に過ぎていく日々。
ただ、その年の暮れに私は爆発した。
長男と言葉のやり取りができず、そんなの
嫌というほど理解してたのに大爆発。

いつになったら会話できるの?
もう何年も待ってるのに進歩しない。
もう限界。

泣きながら、罪悪感にまみれながら
しばらく落ち込んだ。いや、絶望してたね。笑
変わらない現実と自分に対して。

そのタイミングで、また頭をよぎる療育。
どうしよう。。。
結局また検索魔アゲイン。

今度はいよいよ危機感も強くなってるから
公立の療育に電話をした。
まぁ、分かってたけど一度来るように言われて。
検査も受けるように言われた。

でも当時はもう自分が限界を感じていたし
少しでも言葉によるやりとりができるように
なりたいと思っていたから、受け入れた。
予約も完了して、事前記入の資料も届いた。

もう、あとは行くだけ。
ずっと悩んできたこと、これでラクになるかな。
でも、診断つけられたら私は受け入れられるかな。
だったら行かない方が良いんじゃないか。
頭の中を堂々巡り。

迫ってくる来所日。
自問自答したり他人に相談したり。
どうにか、自分の選択は間違ってなかった
と、思いたくて。そう思える材料を必死に探した。

悩んで悩んで。
来所2日前。
キャンセルの電話をかけた。
結局、私は行かないことを選択した。
最後は誰にも何も言わずに決めて電話した。

どうして療育をキャンセルしたのか。

行かなくても悩む、行っても悩む。
自分の性格、性質上、そうなることは
少し予想できた。

解決する部分もあるだろうけど
余計に悩む部分、新たに悩む部分、も
確実にあるだろうなと思った。
だから辞めた。

どうせ悩む
だったらわざわざ電車とバス使って
行くことないよな。めんどくさい。
その思いが強くなったから。

療育をやめてまた見守る生活を選択した。
当時、子育てラボのまっとさんやメンバーさん、
心の勉強をしていたり、そういうことに
理解のある人たちには、こぞって
行かなくてよかったね
って言われた。

でも当時はそう言われたことにも
その意味も、正直ピンときていなかったけどね。。

会話は成立しない。
ほぼオウム返し。
その姿に焦りや不安を感じないわけではないが
そもそも、なぜ私は不安になる?なぜ焦る???

自分の感情を深掘りする癖がこの辺りからつきはじめた。

みんなと同じ
そうで在ることが正しい。
みんなと違う。
そうで在ることは間違い。


そう信じて疑うことすらなかった。
大体、自分の感情の根っこにこの思いがあるなんて
気づかなかっただろう。

何で正しいと思うの?何で間違いと思うの?
ひたすら自問自答。
自分が我が子と同じくらいの頃に感じた感情や
経験したこと、親や周りの人が言ってたこと。

色んな事が絡み合って出来上がった
わたしのモノサシ。
そのモノサシって、本当に”正しい”のかな?
そのモノサシで測ってきて苦しい時は無かったのかな?

さらに自問自答は続く。
たまに考えすぎて、沼ってたこともあるけど。
そのモノサシが現在の自分に必要か不必要か。
そのモノサシを創る要素になってることが
現在の自分に必要か不必要か。
心地良いのか悪いのか。

自分のモノサシをぶっ壊す、刷新する。
その必要があるんじゃない???
やっぱり、変わるべきは自分、自分の内面じゃない?

目から鱗が落ちまくり。
自分の感情を深掘りする、内省する、自問自答する。
もう、日常のちいさな自分の感情にさえそれを
持ち込むから、ホント私は面倒くさい奴だ(笑)

でも、紐を解いていけばいくほど合点がいくし
何よりめちゃくちゃ軽くなる。
そこに快感すら覚えて、そんな自分が愛おしくて
好きになった。←


そう。
私は、長男の発達の遅れ、悩みを通して
自分の向き合うべきところに気づくことができた。

自分と向き合って、どんどん自分を知っていく、思い出していく。
それを繰り返し、日常に落とし込んでいるうちに
長男の発達のことで悩むことが激減した。

言葉は遅いよ。
他にも動作とか色んな部分が
同年代の子よりは遅い。
それは分かってるし認める。

でも、それが何???悪いの???問題なの???
長男はいつも楽しそうに生きてるし。
私は気にならない。

気にしてる暇あったら私は別の事したい。
って、人が変わったように考え方、捉え方、見方が
またさらに変わった。

ここに気づくまで2年かかった。
その間、長男を不自由な子、にしてしまったし
不自由な子、で在ってもらわないといけなかった
我が子を巻き込み、2年も歳月をかけてしまったけど。

そこに罪悪感も背徳感もない。
ふざけた親だと思う?お好きにどうぞ。

だって、私が気付くためには
そのすべてが必要だったから。
何かひとつ欠けても成立しなかった。
それが私。

この経験のおかげで、私は自分の使命、天命を
思い出す、再発見することまで出来た。
家族と周りの人たち、特に長男には感謝しかない。

ここまで書いて、何が言いたいかって。

もし子どもの発達や言葉を改善したいなら
専門家に相談するのが何だかんだ最短だと思う。
きっと、専門的な技術とか場合によっては医療の
介入が必要なこともあるだろうから。

自己流が意味ないとは思ってないけど
専門家を介した方が良いと思う。

もし、私みたいに子どもの外側の事よりも
自分の内側の事に向き合った方が
自分がラク、生きやすいって人は。

まずは自分と向き合うことをしてみるといいと思う。
目の前の”問題”を引き起こすことで自分が感じる
メリットって何だろう?とか、
なんで私ってこう思うんだろう?
って、ところから内省していくといいかもね。

どちらも正解はないからどちらも良いと思う。
どちらも経験するのも良いと思うし👌👌

一番大切なのは自分が楽しく生きること。
悩んでもいい、悩みがなくてもいい。
どちらの自分にもOK出すこと💕💕
まずはそれくらい簡単なご自愛からスタートしましょ。

最後まで読んでくださりありがとうございました。






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