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この家どうするの?(21)ぬきんでた家事能力

わたしが結婚してつぎの年。安心したのか祖母は旅立った。大正のはじめに生まれ、さいごは4日の入院だけで。
今回は、昭和のおばあちゃんの思い出などを。

はたらかないと生きれない

とにかくよく動く祖母でした。
そんな世代。女性に学問は要らなくて労働力のみ。結婚し、あとつぎを産むこと。それが女性。


祖母は、ずっと掃除をしていた。
女中奉公が身に染み付いていたのだろう。祖母の行動を見ていてそう思った。


むかしは雑巾ぞうきんがけメインだったのか。
家のなかは、まいにち水ぶき。
汚れはためない。
劇的に落ちる薬剤はなかった。
時代はかわっても、お掃除の根っこの部分は変わらない。


とにかく祖母をみてたら家事労働しかしていなかったのです。
びんぼうひまなし。
それでお給料いただいてたのだ。



なぜ商売ができたのか?

むかしの女性は、なぜカンタンにお店など出してたんでしょうか?不思議。祖母は小料理屋をやっていたとか言っていました。

掃除で発掘


どこまでほんとうか?
たしかに、タタッと市場に買い物に行き、チャチャッとご飯のしたくをする。
いつもの家事とおんなじ、そのまんま仕事にしたと言えばそうだけど。


祖母は食べるのも、はやい。
むかしは、ご飯と味噌汁と煮物だけでよかった。
うちは貧乏なので「早めし」
パッと食べたら仕事に戻る。


祖母と、ゆっくり会話したり家族の食卓とはほど遠かった。
もうすこし、ゆっくりしたらといつも思っていた。


メニューが、どうのこうの言うのは、きっとお金持ち(?)
和食しかなかった時代です。
貧乏人は、漬物と煮物だけで三食まわしてたのですね。


煮物(おでん)を大鍋で作り、それをなくなるまで食べ続ける。
出汁だしは二次利用。
かやくご飯(炊き込みご飯)もたくさん炊く。


とにかく一度にドサッと作る。
ガサツよりのダイナミックな祖母でした。そうしないと大人数の食事は、さばけない。
つかいまわしと、つくりおき。


できてあたりまえ

よく働き万能な祖母をみてた父。なので女房・娘にもおなじことを要求した。
父は「女性はなんでもできて当たり前」と思っていた。
それは無理。苦手なこともある。ひとは変わらない。
離婚した。


それでも働いて家を買った父。
それで人生の目的を達成したのかな。

父には、母親しかいなかった。
いまもむかしも、そんな子どもはおおい。
母親が見しらぬオジサンと結婚したのは気にいらなかったろう。


義弟・義妹ができたのも普通なんだが、さぞかし複雑だったろう。
父は若いときから、なにもかもに気を遣いすぎたのかもしれない。


もう住むところで気を遣いたくなかったのだろう。


祖母が他界し寂しくなったはず。



それでも母親のそばに
ずっといれただけ
しあわせじゃないか。



毎週金曜日は
「親の持ち家」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに

さいごまでお読みくださり、
ありがとうございます。

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