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ほんの30年まえ:1993年

 いちまいの写真が出てきました。
日付けは、1993年8月12日。ちょうど30年まえです。


「この写真が、なにか?」
と、いう声が聞こえてきそう。
いまやスマホで自撮りの時代。別に写真なんて……ですよね。


たった30年まえの美しい、いや笑える写真あれこれ。お時間があれば、のぞいてみませんか。
(3180文字)



1993年・日付ひづけあれど記憶ナシ

写っているのは、わたしです。1993年・平成5年。30年まえの年齢は29歳。ふりかえると、わたしの人生の半分、ちょうど中間地点です。


日記は、つけていなかった。趣味は、まいにちの顔面塗装工事。美容整形はしていません、無修正。独身最後の夏でした。翌年に結婚。

現在のわたしは、こんなむかしの写真を整理中。ぼちぼち終活の59歳、もうすぐ還暦です。

1993年8月

令和のいまなら、昼も夜もスマホで簡単便利に、パシャ。日付けはもとより位置情報まで。
いつ・どこで・だれと・なにをしていたか……SNSもあり、まるで「画像の日記」です。いいことも悪いことも記録と記憶に残ります。


1993年、30年まえのことなのに。思い出せません。もの忘れの始まりかしら。
たとえば、現在50歳の人なら20歳、40歳の人なら10歳……それぞれのシーンを鮮明に覚えていると思います。


歳をとってくると、膨大な記憶が上から雪のように地層のように、ふりつもり重なり崩れる。忘れていることも多いのです。
10年ひと昔 ✕3……ですものね。


写真の日は、楽しかったはずなのに。
30年まえ。あっという間の30年。
なぜでしょう、悔しいことや大失敗しか覚えていません。
データがないだけで、お手上げ。


 重いカメラのあつかい

 わたしが生まれた昭和39年、むかしの東京オリンピックの年です。写真は、まだまだ遠い存在。赤ちゃんのときの白黒写真は、ほんの数枚。

父のカメラ

カメラは重くて高価。フイルムを入れたり、巻き取って出したり。ピントを合わすのも手動。技術と経験が必要でした。写真屋さんに現像に出しては、特別な行事やおでかけにご同伴。カメラは偉かったのです。


レンズのフタを取るのを忘れると悲劇……。
親世代は白黒写真の裏に、万年筆などで日付けを入れていました。いまならわかります。いつだっけ、コレ?

だんだんと写真がカラーになってもカメラは、なかなか女子には扱えず。ほぼ男子の趣味でしたね。写真は、カメラ持ちの誰かに取ってもらうしか道はなかったのです。

93年4月
91~92年ごろバブル時代は崩壊
ひとりだけバブル継続

1993年のできごと・流行
♡ご成婚・皇太子さま、雅子さま。
(現在の令和天皇・皇后さまです)
♡サッカーJリーグ施行。
♡映画「ジュラシックパーク」
♡ベストセラー「マディソン郡の橋」
♡音楽「僕たちの失敗」「島唄」「夏の日の1993」など
♡ビーイングブーム:B'z・大黒摩季・ZARD・WANDSなど

Wikipedia「1993年」より
抜粋いたしました



 使い捨てカメラの登場

 救世主のインスタントカメラの時代が、ついにやってきました。
Wikipediaによれば、使い捨てカメラ「写ルンです」の発売は、1986年。


みんな、こぞって写しましたよ。おもちゃの紙箱のようなカメラ。
いまでも復刻版が売っているのですね。

ピント調節はできないが、素人しろうとでもカンタンに写真が取れるのが嬉しくて。
そのうち夜間のフラッシュ撮影もできるように進化しました。

1993年2月 友人の顔はご容赦
1992年 何かの宴会で仮装
カラオケばっかり

1993年に生まれた有名人(敬称略)
きゃりーぱみゅぱみゅ・有村架純・菅田将暉・井上尚弥・竹内涼真・山田涼介・神木隆之介……

Wikipediaより抜粋いたしました



 神戸市北野異人館きたのいじんかん

 やっと写真の場所を思い出しました。
明治時代、神戸に建てられた外国人のやかた。高校生ぐらいのとき、朝ドラの影響で神戸異人館・風見鶏かざみどりの館が大ブームになりました。異人館は複数ある、人気の観光地です。

何の館かわからない

神戸異人館には、友だち数名で行ったような気がします。インスタントカメラも日付が入るようになったのかしら?
それとも誰かの、本物のカメラだったのかな?

どこかわからない。それならなぜ、異人館の外観や風景を撮らなかったのか?
それは、インスタントカメラは【24枚撮り】など撮影できる枚数が限られていたからです。ニンゲンを撮るので精いっぱいでした。


全部撮ったらカメラ屋さんへ、インスタントカメラごと渡して、現像。最初は、日にちがかかりました。そのうち翌日仕上げになりました。

写真屋さんのオマケ
紙のアルバム
おまけ「海釣りのオヤジギャル」



 パーソナルカラー

 30年まえのわたし。
30年後、2023年・令和5年のいま。写真と同じようにポーズしてみます。
二の腕は、だらけて筋肉もなくなり、肩甲骨を寄せることができなくなりました。


わたしの頭の毛量は、写真の半分に。白髪も増えてグレーヘア。当時はグレーヘアなんて言葉もなくて……。
老化は当然です。写真の倍、生きてるのですから。

最後まで独身の仲間だった
友人の結婚パーティー
わたしは独身最後の砦を守りました

このころは、パーソナルカラー診断は、なかったように思います。じぶんに似合う色・4つのグループに分けるあれです。


わたしは、なぜかパキッとした原色ばかり着ていました。
そう、あのグループです。黒髪でバブル時代の派手な色合いが、いちばん似合っていたのです。


ネットもない時代、みなオシャレを試行錯誤していました。バブルで美人もいれば、ちょっとヘンな子も。こういうことだったのね。

左・1995年ごろ(新婚)
右・1990年ごろ(プールバー)


後年に診断してもらって、なるほどと納得した。時短と節約になるので、パーソナルカラー診断は利用しなくてはソンです。

日付が15:40になっている?


まとめ・いまをいきる女性へ

▼ 若いときどんなに美人でも可愛くとも30年たてば「ばぁさん」一択いったくです。

いっぱいスマホで撮って保存してくださいね。老後の楽しみになります。
わたしが残念だったのは、娘の出産後。自分の写真を撮る余裕もなくて。携帯電話もなくて。
じぶんの経年劣化が、あまりわかりませんでした。


オススメは「手の甲」と「首筋」の自撮り
年齢がでるところです。
わたしは若いとき、ぷっくりして肉付きのよい手の甲だったのですが……。

手首を曲げるとシワや血管が目立つ
中高年は、写真を撮るとき
手首を曲げないほうがいいかも
イスに手を掛けたりすると
手首のシワもくっきり


いつの間にか骨と血管が浮き出て乾物かんぶつのようになりました。指のふしに穴が空いてすっかり老人の手です。肌の質感は、ボソボソ。ハリもなくなりました。

自然に手首を伸ばしたほうが
年齢がわからないかも

お誕生日とか、何年かに一度でも「手の甲」「首筋」を自撮りすると、ケアやお手入れの目安に。いつの間にかシミもできたりします。

「足の甲・足指」も撮っておいてください。個人差がありますが中年以降、若いときからの生活や歩きぐせが深く出ます。わたしは、いつの間にか、ツメが変形していました。


じぶんがラクに歩ける靴を選んだり、角質が厚くなるのでケアを考えるようになります。


せっかくスマホがあり、データが残せるので「素のじぶん」も撮っておいてください。
せっかくなら親御さんの「手の甲」「足の甲」も。
じぶんを育ててくれた「手」に感謝しながら。


「パーツ撮り」おもしろいです。
じぶんをもっと楽しんで。


ほんの30年後も。


これホンマに、わたしやろか……


毎週日曜日は
「テーマ自由」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに

さいごまでお読みくださり
ありがとうございます

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