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学習したことは引き継がれ、受け継がれる

先日、娘が電気のレポートを作っていました。そこには「キルヒホッフの法則」なんて懐かしい法則名が書いてあって、ムダに小躍りしたことを覚えています。

すっかり忘れてしまっていた「キルヒホッフの法則ってなんだっけ」と聞けば、「入ってくる電流と出ていく電流の総和は等しい」とか「電圧と電圧降下の総和は等しい」なんて、テストの答えのように教えてくれました。キルヒホッフの法則がなんだったか、については完全に忘却の彼方でしたが、その法則自体は理解して、いまだに覚えています。というか、原理・原則的な法則については、なんらかの形で理解したままでいます。むしろ、え、総和が等しくならなかったらヤバくない?と感覚的におかしさも覚える程度です。

中には、法則名や名称だけ覚えていて、中身をすっかり忘れているものもあります。ただ、歴史的なものに関しては、名称から推測できるものもあります。言葉の響きが素晴らしい「墾田永年私財法」。いつの時代に行われたものかどうかはわかりませんが、すくなくとも田んぼは永久にお前のものだ、的なニュアンスは分かります。漢字すごい。

どのみち、こういったものは過去に聞いている、学習した記憶がある、理解して覚えているなど、通った道であることから再利用することも、まちがった解釈をせずに済むこともできます。未だに因数分解とか方程式もよく使う生活していたりするので、子どものころに学んだものは、大切だったなぁなんて感じるわけです。ようやく。40半ばにして、ようやくそう思えている自分がいます。

とは言え、それを子どもたちに「今のうちに勉強していないと後悔する」なんていくら言っても伝わらなくて。それを実際に役立たせていたり、知らないことで、こんな不遇な目に遭う・不幸になると理解しない限りは率先して学ぼうの意識が育めないのではと。自分が子どもたちに向けてできることは、未だに学習を続けながら、その結果として何が生み出されたのかを見せてあげることくらいしかできません。できるわけじゃないけど、多少は英語ができたおかげで、外資の仕事で海外行ってみたりするし。数学ができたから、プログラムで便利なことや、お金でミスを犯さないように計算できたり。科学があるから、トンデモに気がつくことができたり。

でも、その結果が楽しいことではないと、あまり子どもはついてこないので、さじ加減は難しいです。でも、うちの娘達はまぁがんばってるみたいなので、自分と比較したら上出来だなぁなんて見ている毎日です。長女が彼氏と一緒にレポート作ったり、課題やっていたりするのを見て、微笑ましいなぁとかも感じます。学ぶこと自体が楽しいと思ってくれているのか、さまざまなことを学んで、教えてくれたりもします。

父としては、まだまだ負けられないので、基礎学習のやり直しです。いつまでもこうやって、親子でこれからも競い合うんでしょうね。

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