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『コンセントの向こう側』刊行記念 福島原発事故から10年の記録と記憶 中筋純×アーサー・ビナード

2021年3月4日19時半~21時、『コンセントの向こう側』の刊行を記念して「福島原発事故から10年の記録と記憶 中筋純×アーサー・ビナード」が開催されました。

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中筋さんは、元々女性ファッション誌から鉱山の跡地や廃墟まで幅広く撮影していた写真家。日本の見たいところは大方訪れたので海外に出て行ってみようと行先を探す中で、チェルノブイリについて調べて衝撃を受け、原発の問題に関わるようになっていったのだそう。

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ビナードさんは米国ミシガン州出身の詩人で、大学卒業と同時に来日して日本語での創作を開始。日本で出会った広島や第五福竜丸の原爆の話と故郷ミシガンでのメルトダウンとがリンクし、「これを表現するために僕はここにいるんだ」と感じて原子力の問題に取り組むようになったそうです。

そんなお二人が福島原発事故から10年経った今感じること、事故発生からこれまで考えてきたことについて語ってくれました。

イベントの中で二人が何度も話題にあげていらっしゃっていたのが、原発事故にまつわるものの表現の仕方や、見せ方について。

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中筋さん(以下、中筋):
色んな理由を付けたり、ネーミングを変えたりして、毒を無毒化していますよね。中身は毒なんだけど、ラッピングを変えちゃうっていうやり方。

例えば「除去土壌」っていう面白いネーミングがあります。今回の写真集にも「除去土壌運搬車」の写真がある。福島の浜通りを取材していると、それまで聞いたことのない単語とたくさん遭遇するんですよね。この「除去土壌」っていう言葉みたいに「一体何を意味するのか」と思うような言葉に。

ビナードさん(以下、ビナード):
この例の場合はつまり、「汚染土壌」って言葉を多分避けたいわけで。中身としては「除染」をした時に出る土壌ですよね。

中筋:
そうです。「汚染土壌」とか「放射線廃棄土壌」とかいうネーミングはどうしても使えないんでしょうね。

このネーミングもそうだし、運搬車の前に吊り下げられている横断幕一つをとっても、グリーンのものを選んで、なんかこう、自然に優しいような色を使っていて。すべてがよいイメージにつながるように作られているというか。

ビナード:
そうですよね。運搬車だって、ダンプカーならもっと見た目が怖そうなものもある中で、割と人畜無害そうなデザインのものが選ばれてる。

でも、この除染が行われているところに住んでいる人たちや農業をしている人たちは、ある程度中身が分かっているわけですよね。そうすると、この「除去土壌」が直接生活につながる人たちの想いと他人事だと思って距離をとっている人たちの想いが、また大きく乖離しちゃうよね。

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中筋:
それって、コンセントの向こう側を見るっていう行為とすごく似ているんですよね。ダンプの荷台には黒いフレコンバッグ(※フレキシブルコンテナバッグ。穀物や土などを保管・運搬する時に使用する袋状の包材)が載っていて、そこには土が入っている。でもその中に何が入っているのかっていうのは透視のように見ないと分からなくて。

確かに放射能は含まれている。でも実はその土地が歩んできた畑や田んぼの歴史や、農民たちの長年の汗や涙や様々なものが詰め込まれた「表土5センチ」っていう農業にとってすごく大事なものも入っていて。僕たちが汚染物扱いしているものが、現地の人にとってみれば宝物だっていうパラドックスがあるっていう。言葉の使い方って、すごく難しい。

ビナード:
一番豊かなところに、濃度の高い放射能が蓄積しているという。同じところに生命体も当然集まるわけだよね。このフレコンバックの中に種や有機物も多く入ってる。その中で芽を出したりもする。それが最も豊かで重要なものだから、それを全部否定してね、「汚染物質」とか「汚染土」とかってすると、命まで否定してしまうことになりかねないんですよね。
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また、福島原発事故が忘れられていっている現状や、現場を忘れさせないために中筋さんが写真を撮るうえで意識している点についても語ってくれました。

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ビナード:
中筋さんは、写真を通して現場に行けてない人を行った気持ちにさせてくれますよね。

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中筋:
まあ、そうですね。写真集だと限界があるんですけど、これを元にして写真展をやったりすることで、そこに迷い込ませるというか。

ずっと現場に行っていると、「連れて行ってくれ」という人達もいるので実際に一緒に連れて行くこともあります。ただ、連れて行くと「ほわぁ」と放心状態みたいになっちゃうんですよね。もう言葉がなくなるんだか溢れるんだかよくわからないくらい揺さぶられる、というか。それぐらい色んなメッセージを持った場所なんですよね。

ただね、それがやっぱり復興の地ならしがされてしまうと、ただの公園にされてしまう可能性があるんですよ。

ビナード:
そうですね。この本のひとつの特徴というか、大事だなと思うのは、Before & After、経過を見せてくれるところです。彫刻とか、店とか。この4枚の二宮金次郎像なんかもそうですね。

中筋:
この像がある幾世橋小学校のストーリーはここで終わらないんですよ。今この小学校は姿を消そうとしている。像はどこかに残される予定ではあるそうですが、後ろに写っている体育館はおそらく姿を消します。きれいになって、人が帰ってきて、復興が進んでいるかのように見えるんだけども、学校が消えるっていう。「あれ?」ってなる部分をこの写真たちが語ってくれるわけなんですよ。

ビナード:
つまり、進んでいるように見えて、実は抹殺されているっていう。原発に関する標語である「原子力明るい未来のエネルギー」の看板が撤去されたのもそう。例えばこの小学校の跡地が公園になる。そうするとここは「公園だった」ということになるわけですよね。

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中筋:
そうそう。なんの説明も受けていない人が一人でふらっと行ったら、「あら、復興が順調に進んできれいな公園になっているじゃない。良かったわね。これでみんな来られるようになったわね」とかいう感想になっちゃう。でも、前の図があれば、「いや、実はここは前はこうだったんですよ。巨額の予算を投じて、元の姿が分からないような姿になっているんです。あなたはどう思いますか」っていう問いの空間が生まれるんですよね。

ビナード:
僕は広島が拠点なんだけど、広島も大変な復興を成し遂げたとされる街なんですよ。そのシンボルのひとつが、今話題になった公園。「平和記念公園」です。

そこはもともと中嶋本町っていう繁華街だった。でも今は、爆心地に近かったこの場所を見て「ここは公園で良かったね」って言う人がいるんですよ。原爆投下の時も公園だったって思うんです。今その人がいる現場が強いから。中筋さんが言ってくれたように、人を現場に連れていくと圧倒されるんですよね。でもその現場が全く違うものに作り替えられていると、その作り替えられたフィクションに圧倒されてしまう。

中筋さんは、作り替えられる前の現場に僕らを連れて行こうとしていて、僕はそこがよいなと感じています。

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この他にも、原発がある街の経済の話やメディアが伝える情報をどう読み解くべきかなど、原子力に関わる土地に実際に足を運び、自分自身で情報発信をしたり、発信されている多くの情報に触れたりしてきたお二人だからこそのお話を聞かせてくれました。

事故が忘却されていく現状、そして実情をはっきりと伝えないようにする政府やメディアの言葉選びへの厳しいコメントもあり、事故現場に関するニュースが減っていく中でどのようにして事故を忘れないようにするか、そしてメディアを通して得られる情報をどう吟味し、受け取っていくべきかを改めて考えさせられる対談でした。

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『コンセントの向こう側』は、被災地の風景の移り変わりを記録した写真、原発事故に関する随筆、詩が集められています。ぜひ一度手に取ってみて、こうした問題点について改めて考えるきっかけにしてみてください。

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撮影・編集/小川利奈子 文/三橋七緒
2021.3.30 作成

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