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【題未定】キャリア教育という眉唾をスルーし、興味をベースにした学習志向性を身につけるべき【エッセイ】

 先日、「子供の時の未熟な知識や知見で自分に合った職業を選ぶのは無理難題だ」といった趣旨の呟きだか、記事だかを呼んだ。一見するとその言い分には多分に説得力があるように思える。子供の狭い知識や浅い考えで将来を左右する決定をするのは難しいし、そもそも自己理解自体もきちんとできていないことがほとんどだからだ。

 では逆に自分に合った職業を選ぶことができるように大量の知識を与えられ、自分の趣味趣向や性質、傾向を細かに分析して職業を正確にマッチングをすることは本当に幸せだろうか。正直これもどうだろう。

 多くの職業においてメリットや長所と同じくらいデメリットや短所が存在する。例えば営業職は実際に顧客に接して最前線に立つ仕事だ。顧客のニーズや喜びをダイレクトに受け取れることができる遣り甲斐の大きい仕事でもある。しかし、その一方でブラックな環境や顧客からの無理難題、重いノルマなど多くの人が負担と感じる部分も存在する。おそらくではあるが、多くの子供はそのデメリットを知った場合、その子が営業職に就きたいと思うことはほぼ無いだろう。おそらくデメリットの大きさにしり込みしてしまうはずだ。しかしそれとは対照的にその遣り甲斐に後から気づき、天職だと感じる人間も少数存在するのだ。

 昨今の進路教育、進路指導は「キャリア教育」なる言葉に毒されすぎているように感じる。将来をしっかりと考え、自分に合った職業を目指して中学生、高校生の間に進路の到達点を決めて、そこに向かって対策を練っていこうという計画的な進路決定が是とされている。だが果たして本当にそんなことは可能だろうか。学問などは学んだ先に興味関心が広がるものだし、人生の中でやりたいことも変化していくだろう。加えて言えば、AIが実装化し、高度情報化が進む現代社会においては中高時代に望んだ職業が10年後にまともに存在しているかどうかさえ怪しいのだ。

 かく言う私も現在は高校教員などをしているが、本当に中高時代から教員を志望していたかというとそれはかなり怪しい。教員という選択肢を残していたのは事実だが、それはあくまでも氷河期世代によくある保険的な意味合いが強く、本当に先生になりたいと思っていたかどうかは微妙だ。何より大学に入ってから強く興味を持ったのは第二外国語で学んだフランス語や、教養で大きく刺激を受けた文化人類学や歴史学だ。それらを専攻したいと考えて転学部を考えたこともあったが、煩雑さを考えて断念した記憶がある。

 結局、重要なのは学びに対する前向きな考えをいかに身につけさせられるか、であろう。それがあれば進学や就職など、人生の岐路において柔軟な選択をすることもできる。今後はさらに技術の高度化によって、一旦社会に出た人間が学生時代に得た知識だけで数十年も戦力となることは難しくなるだろう。そうした状況において学び直しは確実に必要で、そこでは学びに対する積極的な意識をいかに学生時代に植え付けることができるかが重要となるはずだ。

 個人的な正直な考えで言えば、高校時代などは興味のある教科を集中的に勉強するとともに、大して興味もない教科もそれなりにこなして自分の好きなこととできることを明確化すべきである。そうやって興味がある方向や、思いがけず面白く感じた方向に進学し、そこで職業や仕事について考えればよいのだ。人生90年時代を迎えようとする昨今において、大学さえも義務教育化しつつある状況を考えれば、将来を先に決めてしまうような無理難題から逃げることそこ現代における最適解なのかもしれない。

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