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「この言葉は難しいから使わない」は優しさではなく、知性の否定に過ぎない

本日、こちらのYukiさんの記事をきっかけに、考えたことをまとめたいと思います。

上の記事の要約としては、中学生の日本語の読み取り能力の低下問題とその対策に関するものになります。

実情
『中学生の3割が教科書の日本語を理解していてない。または、5割の中学生が内容を理解できない。』
つまり、中学生の8割は教科書が読めない。

極めて切実な問題であり、これに対する対策も考えさせられるものでした。

原因と対策、特に語彙力を高めることに関しては一人一人が取り組む方法が書いてあるので非常に参考になります。

ぜひリンクから飛んで読んでもらいたい記事です。

中学生に限ったことでは当然ない

この問題、当然ながら中学生に限ったことではありません。

中学生の大半は高校生になりますので、言うまでもなくこの問題は高校においても発生している問題です。

特に普通高校においては、中学校よりも実は切実な問題を抱えています。

共通テストの方向性が生徒の傾向とは逆に、日本語の読み取り能力を問う形式にシフトしているからです。

そして私もその原因に語彙力の不足があると考えています。

ここでは、教員視点で考えて教員が生徒の語彙力の向上にどういった働きかけをできるかを考えます。

難しい言葉の使用を注意された記憶

ずいぶん前のことになりますが、中学生を指導しているときに先輩の教員から注意を受けたことがあります。

どうやらその先輩教員の中では、中学生には難しい言い回しや語彙を用いて私が話をしていたようです。

正確には覚えていないのですが、おそらくは「抽象化」「一般化」「普遍的」といった言葉だったように思います。

確かに中学生が普段使うような言葉ではないようです。

そのときに、生徒に合わせて語彙のレベルを下げることに納得がいかず、もやもやした記憶があります。

むしろ大人に生徒が合わせるべきこと

私がもやもやした理由は、おそらく自分の高校時代にあります。

それなりの進学校に通っていたため、周囲には背伸びをした難しい言葉を使いたがるクラスメイトが多くいました。

彼らと、休み時間になると「ユリイカ」の感想を述べあったり、知ったかぶりをしてウィトゲンシュタインについて話しをしたりした記憶があります。

これらを通して、自分の知らない言葉を知り、語彙力が高まることで言論紙などを読むのが楽しくなりました。

つまり、難しい言葉を使う人間とコミュニケーションを取ることは、語彙に関して大きな刺激を与えるということです。

幸いなことに、私にはそうした周囲の人間がいましたが、生徒達は同世代の間で会話をするときにそれほど難しい言葉を使わないことが多いようです。

当然ですが、自分達の年相応の言葉遣いをしています。

そうであれば、せめて接する機会の多い大人だけでも、彼らの語彙を刺激する存在であってもよいのではないでしょうか。

教員こそが知性の先導者でありたい

生徒の現時点の理解力で決めつけ、「この言葉は難しいから使わない」という判断は優しさではなく、知性の否定でしかないと私は感じます。

むしろ「難しいからこそ自然に使う」という判断があっても良いはずです。

知性の先導者、というとおこがましいのですが、身近な大人である教員が知性に価値を見出す存在であれば、生徒にとって大きな刺激になるのではないでしょうか。

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