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【題未定】ノストラダムスのあの時期に「理学部数学科」へ進学を決めた18歳のあの選択は間違いだったのだろうか【エッセイ】

 高校時代の進路選択は人生の方向性を決める大きな決断の一つだ。もちろん実業系の高校や高専に進学する場合はさらに数年前に前倒しになるが、大学進学率が6割になる時代においては多くの若者は18歳、高校卒業時に人生の選択を迫られることになる。

 私の進路選択、18歳は四半世紀前に遡る。私が高校3年になった1999年はノストラダムスの話題が最高潮に盛り上がっている時期だった。「七の月に恐怖の大王が降りてくる」という荒唐無稽な予言に半ば呆れつつ、しかし何となくそのお祭り気分に浮かれつつ、1999年の7月に私は18歳を迎えた。

 当然ながら世界は滅亡しなかった。光市で母子殺害事件が起き、全日空機がハイジャックされ、マカオは中国に返還されたが、私の周りの1999年は1998年と大して変わらない、何の変哲もない時間が流れていた。レンタルビデオ店の会員申込の年齢欄に18という数字を書き込む以外、何も変わったことはなかった。

 世界が滅亡しなかった以上、専門知識など微塵も学ぶことのない普通高校の高校生は、大学にでも進学し自分の食い扶持ぐらいは確保しなければ生きていけない。とはいえ、興味の無い学問に進んだとて長続きするほどに粘り強い正確でない自覚があった私は、一先ず興味のある数学、論理学を中心に進学先を決めた。薬学部という選択もあったが、調剤薬局の業務を何十年も自分が続けられるか不安になり断念した。

 論理学系統の文系学部の進学は18歳時分の私には大きな魅力があった。しかしバブル崩壊から一向に上向かない景気動向を見てきた青少年にとって文系進学はリスクを感じさせられるものだった。入試教科の数学が得意だったこともあり、地元国立大学の理学部数学科の門を叩くことを高3の夏前には決めたことを覚えている。そしてこの選択に大きな見落としがあることに気づくのはそれから1年後になる。

 とにもかくにも18歳の選択を決めた高校生の気持ちは晴れやかだった。あとは勉強をすればよいだけだからだ。幸いなことに高2に入って少しずつ積み上げた学力の甲斐もあってか、高3の頭から受験していた模擬試験で志望大学の判定は悪くなかったために、それまでのペースを守って学習すれば合格ラインまで難しくないことは見えていた。そのためいわゆる受験生らしい生活を送ることもそう無いまま、半年後に第一志望合格という吉報を手にすることとなった。しかし大学入学後、その晴れやかな気持ちは3か月ももたなかった。結論から言えば、大学進学における学部学科の選択ミスを犯したことに気づいたのだ。この話についてはまた後日語りたい。

 思い返せば、当時の進学情報はネットが未発達で、先輩などの口コミや教員からのまた聞きなどがソースの大半を占めていた。部活動に入っておらず、教員とも不仲な私にとって情報源の不足は明らかだった。その結果、私は2年ほど人生の遠回りをすることになってしまった。大学在学中に留年した事自体は自分の責任であるが、先を見通すことがもう少しできれば別の選択があっただろう。

 現在、私は数学教員として高校で生徒を指導している。これは選択ミスと遠回りの結果だろう。現状に不満は無い、もちろん満足していると言えるほどではないが、納得をしてはいる。何より遠回りをしたことで「理学部数学科」という理系の中では特殊な環境や「数学」という学問の面白さを再認識できた部分もある。結果としてはそれなりの着地点にたどり着きはしたが、反省点も多い経験ではあった。

 ルネサンス期の予言者ほどではないにしても、大きく予想を外した自身の進路選択は、現在の生徒への進路指導の糧にはなっている。とはいえ金銭的にも、心理的にもコストがかかったことは否定できない。1999年のあの時と比べれば、現代社会は若者が簡単に生の情報に接することができるようになった。しかし、依然として情報弱者のまま進路選択をする高校生がいるのも事実だ。せめて知識や情報の不足で進路を選び、私と同じ轍を踏む若者が出ないようにはしたいものだ。

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