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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第2話 「スプリンクラーを浴びて」 #1

 その年の梅雨明け宣言をニュースで知ったのは終業式の前日だった。

 前の週あたりから時折顔を見せていた日差しの濃さや、朝の庭の草いきれに気持ちが擽られていた晃二にとっては待ち焦がれていた知らせであった。
梅雨入りが早かった分、明けるのも早いと思っていたところを焦らされていたので嬉しさはなおさらである。
ここ数日、晴れ間が覗く時間帯も増え、雰囲気的には明けたも同然だったが気分は全然違う。
やはり宣言というものはそれ相応の価値があるのだ。

 しかし翌日、教室に入るなり誰かれ構わず話題を振っても、返ってくるのは気のない返事ばかりだった。
「やっとのこと梅雨が明けたってな」
黒板に日直の名前を書いていた洋子は振り返りもせず「へぇ、そうなんだ」と小さく応えるのみ。
ウメッチにいたっては、「ふーん。それよっかプールの割引券くすねに行こうぜ」なんて吐かすくらい素っ気なかった。
気分をそがれ、卍堅めでも食らわせてやろうかと思ったが、わざとらしく溜息をつくにとどめた。

 毎年この時期に行われる、横浜開港記念の国際花火大会とプロ野球のオールスター戦。それと並んで梅雨明けの日は夏の入り口の標として重要だと思っていた。
それらの順番は毎年違うが、いよいよ夏本番に突入するのだというワクワク感がたまらなかった。特に今日はオールスターの初日も重なり、興奮度は倍増である。
だが、他の連中は早々と夏休みモードに切り替えていたため、夏の入り口なんてあまり関係ないようだった。
確かに、最後の難関である、通信簿を親に渡す、という問題が残ってはいたが、それさえ終わればあとはパラダイスなのだ。
気が逸るのも分からなくもなかったが、少しはこの特別感を共有して欲しかった。

—  ましてや今年は小学校生活最後の夏休みなのだ  —

 自分一人だけがこんな感傷に浸っているように思えて少し恥ずかしかったけれど、この夏は特に大切にしなければと思っていたのである。
数日前に中学で英語の教師をしている叔母さんが家に来た際に「来年、姉さんの私立を受験させようと思っているのよ」と母親が話しているのを聞いてしまったのだ。
そうなれば友人たちとは別々になってしまうので、一緒に遊べるのもこれが最後かもしれない、と思っていたのである。
まぁ、受かればの話で、今から心配しても仕方ないのではあるけれど。

「私ね、八月に入ったら高知のお爺ちゃんのとこにお盆過ぎまで行ってるんだ」
「そんなに長くなんていいわねぇ。私なんか静岡のお婆ちゃんの家に行くけど四日だけだよ」
後ろの席の女子の会話が耳に入ってくる。
多分今日のクラスの話題はそんな内容で持ちきりになるだろう。
ただ一緒に盛り上がりたくても自分には予定がないのだ、適当にあしらうしかなかった。
母方の祖父母が隣に住んでいて、父方のおばあちゃんが同居。なので晃二にとっては生まれてこの方、田舎という存在がなかった。
周りの連中が親の故郷に帰省することを楽しそうに話すのを聞いても実感はもちろん、想像もしにくかった。
ここ横浜以外は東京くらいしか行ったことのない晃二には、羨ましくもあり妬ましくもあった。

「晃二さぁ、お前はなんか予定あんの?」
毎年、一家揃って二、三度キャンプに行っているウメッチが椅子を寄せて問いかけてきた。
父親の仕事仲間であるアメリカ人一家との合同らしく、キャンピングカーでの生活をその度に自慢げに語るが、また今回も聞かされるに違いない。
「話なんかいいから土産を買ってこいよ」との毎度のセリフを、今年こそは事前に言っておきたいところだ。

「予定ねぇ、…なくもないけどね」
皆、あれもしたい、これもしたい、と使い切れないほどの大金を目前にしたような顔つきで思い思いのプランを自慢し合っているなか、そうは答えたものの具体的なプランなんてなかった。
「それってなんだよ。どっか行く予定でもあんのかよ」
気後れするのもしゃくなので、達観するような態度で周りの連中を見渡してから耳元で声を潜めて言った。
「あるよ。…教えないけど」
思いつく場所がなくもない。旅行ではないし、どこという程でもないが、まぁ予定といえば一応予定である。

「なんだよ、それって。ケチケチすんなよ、教えろよ」
彼の気持ちを操るのは容易かった。勿体ぶるだけで簡単に喰い付いてくる。
「…まぁ、参加したいんなら考えとくよ」
「参加って、何人かと行くのかよ? 誰と行くんだよ。どこ行くのさ」
前の席で成り行きを聞いていた荒ケンがニヤつきながら振り向いた。
「誘ってもええけど、お前の態度次第やな」
「なんだよ。荒ケンも一緒なのかよ」
思わせぶりに荒ケンは含み笑いをし「あとはどっちを先にするか、やな」と言って腕を組んだ。
「なに、二つも計画があるにかよ。俺に内緒で作戦練っていたのかよー」
内緒というわけではなかったが、夏休みの予定がない二人は、どうやって夏を満喫して過ごすか、先週からアイディアを出し合っていたのであった。
例年よりさらなる壮大な計画。仰々しいがそれをテーマに二人は今年の夏を格別なモノにしようと話していたのである。

「お願いだから、教えてくれよ。欲しい仮面ライダーカード一枚あげるからさ」
一枚だけというところがウメッチらしい。せこい提案に思わず顔が崩れたのを了解したと勘違いしたらしい。
交渉成立だとばかりに「で、なに?なに?」とせがんでくる。
「聞かない方がいいんやないかぁ。びびっちまうと思うぜ」
荒ケンの思わせぶりな返答を聞いて眉をしかめて呟いた。
「まさか……」
ウメッチは感づいたようで、二重を見開いて呟いた「まじか…」 
「そうだよ。そのまさかだし、まじだよ」
二人があっけらかんと言うので疑わしかったが、どうやら本気らしい。
ウメッチは聞いてしまったが最後、後に引くことイコールびびっていると思われると勘ぐったのか「仕方ねぇ、俺も付き合ってやるよ」と視線を合わさずに言った。
相変わらず本音と建前が分かりやすい奴である。
「よし、じゃぁ放課後に作戦会議でもするか」
話の流れで思わぬ展開ではあったが、こうやってまんまとウメッチは巻き込まれたのであった。

 どちらを先にするかと言っていたその片方が、ずっと気になっていたくせに今まで誰も口に出さなかった〈砦の1階探険を実行に移す〉という計画であった。
初めて潜入した四月以来、頻繁に砦には入っていたが、やはりスロープの前に立つとみんな怖じ気づくのだった。
だが一度だけ、この三人で途中まで行ったことがあった。
雨上がりの日曜日。砦で遊んでいる最中に突然荒ケンが提案したのである。 


「ちっとだけ1階に行ってみんか。行けるとこまで」
「まじで? 何にも準備してないじゃん」
「そやから試しに行けるとこまでや」
「今じゃなくたっていいじゃん、今度で」
乗り気でないウメッチを無視して荒ケンは歩き出し、晃二は何も言わず後に続いた。
「ちっ。しょうがねぇな。一緒に行ってやるよ」
これは半分肝試しに違いない。
そう理解したウメッチはぶっきらぼうに言い放ったが、口調とは裏腹に声は小さかった。
これまでは自然と足が向かなかった奥側に歩き出した二人の後を追いながら「まったく、突然の思いつきに付き合わされるのもなんだな」とヤジるが、一番の気まぐれは自分だとは思っていないようである。

 やがてスロープの前まで来ると立ち止まり、改めて闇に沈んだ1階を見下ろした。
「ひえー、今日は特に暗いじゃん」
梅雨空で外光が少ない分、確かにいつもより暗く、不気味さも増して見える。
思わず弱々しく呟いたウメッチを荒ケンは鼻で笑った。
「けっ、これくらい別に怖かねぇよ」
ウメッチの吐き捨てた声が反響しながら闇の底に飲み込まれていく。
「やっぱ何も見えなそうだし、とりあえず行ける所までだな」
「ほんじゃあ、並んで行くで」
三人は「行ける所まで」という言葉を胸に、ゆっくりと足を踏み出した。

 一歩進むたびに色を濃くしていく闇の中、地底から登ってくる苔の臭いを含んだ湿った風が、微かに足元から這い上がって来てはその都度立ち止まらせた。
「なんかちょっと涼しくなってきたな」
うっすら見える二人の横顔に向かってウメッチは言った。
一呼吸おいて一歩、また一歩。
足を数歩踏み出しては後ろを振り返り、帰るべき世界の明かりを確認しながら下って行く。
たまに、空気を微かに震わすゴーっという音が遠くで聴こえたが、一体どこで何が鳴っているのか分からなかった。
最初のうち、三人はその音を紛らわせるためにしゃべり続けていたが、十数メートル行くともう完全に姿は見えなくなり、しゃべっていないと相手が確認できなかった。

 たわいもない会話に間があった一瞬。闇で方向感覚を失った耳に、滴が水面を叩くような音が小さく聴こえた。
何処で、何が、かは不明だが、二人にも聴こえたことは両隣の息を呑む気配で分かった。
まだ半分も行ってないのに、それは引きずり込まれたら最後、二度と戻って来られないかのような錯覚を抱かせた。
数秒してまた聴こえた。
背筋に冷たい雫が垂れたような感じがして晃二は拳を強く握った。
「まぁ、この辺がいいとこやな」
待ち望んでいた荒ケンの判断に、肩の力を抜いて晃二は肯いたが、もちろん闇で見えない。
「……まぁ、そのようだな」
やたら低いトーンでウメッチは答えた。
緊張が解けるのが空気を伝わって感じられた。
「よし、じゃあ戻るとすっか」と声高に言って、やせ我慢みえみえの足取りで戻って来たのだった。

 その後、梅雨に入ってからは、やれ天気が悪いだとか、気分が乗らないだとか、なんやかや理由をつけては遠去けてきたのであった。
しかし、夏休みを目の前にして二人が遊びのプランを練っていた際に、真っ先に上がったのが1階探険であった。
きっと、休みの開放感と夏に発揮する積極性とがこれまでの不安を払拭してくれると思った、というか願ってのことであろう。
あとは日程を決めるだけであったが、作戦会議の結果、夏休み幕開けのイベントに相応しいだろうということで、決行日は休みに入って最初の土曜日に決定したのだった。
    

 案の定、いざ夏休みがスタートしても小学校生活最後の夏だと感慨深くなっている奴なんて誰もいない。
早朝のラジオ体操を終えて朝飯を済ませれば、ただただ遊ぶだけの長い一日が始まるのである。
その日もすべからく終わりなき夏を堪能すべしと、朝から準備万端な陽射しの挑戦を受けていた。

「おっせぇな、まだ来ねぇのかよ」
ウメッチは退屈しのぎにナイフで削っていた木の棒を地面に突き刺した。
待ち合わせの九時を回った辺りから、陽射しがさらに一歩前進してくる。
棒の影が日時計のように色濃い線になって、乾いた地面で時を刻もうとしているかのようだ。。
「あいつら、何ちんたらしとんや。また変なもん持ってくんじゃねぇか」
荒ケンは爪を囓りながら晃二のスニーカーを小さく蹴った。
えっ、あぁ。
木陰でウトウトしていた晃二は、おぼつかない返事をして上半身を起こした。

 夏休みに入ってまだ日が浅いが、すでに晃二の宿題の山は残すところ半分になっていた。
嫌なことは先に済ませる性分から、例年通り七月中に大方の宿題を済ませようと頑張っていたのである。
いわば典型的な、美味しい物を最後に取っておくタイプだが、それに対し他の連中は旨いものからというか、目の前にある物に真っ先にかぶりつく無計画派であった。
なので一匹の蟻に群がるキリギリスかのごとく、毎年八月最後の二日間は晃二のドリルの奪い合いで争いが絶えなかった。
今日もラジオ体操のあと、つい今し方まで面倒くさい謙譲語やら、ややこしい鶴亀算やらと格闘していたため、朝っぱらから多少頭が疲れていたのだ。

「寝とったんか。わりぃわりぃ。待たんで先に行くか」
今回のメンバーは、晃二、ウメッチ、荒ケンの三人組の他に、モレとブースケである。
本来は別の精鋭部隊を組んで実行したかったのだが、約二名、泣きのお願いがあったので、仕方なくいつものメンバーで決行することにしたのだ。
しかし、その約二名が遅刻して、いまだに現れないのである。
「ん。じゃあ、あと五分待って来なかったら置いて行こうぜ」
晃二はそう言って立ち上がり、水道に向かって歩き出した。
蛇口を上に向け、生ぬるい水を一口含むと、ほんのり甘かった。
きっとさっきまで口にしていたサイコロキャラメルの味だろう。
すでにTシャツには汗が染みていた。
両手で掬った水で顔を洗い、ついでに首回りにもかけてからぞんざいにシャツで拭いた。そして一つ大きく息をついてからベンチに戻った。

「あいつらびびって来ねぇんじゃねぇの。まったくよぉ。…残り時間、二分」
ウメッチが腕時計を見て、執行時間でも告げるように言う。
晃二は相槌を打つ素振りをしながら横目で荒ケンを見た。
夏休みに入ってからというもの、荒ケンはいまいち冴えない様子だった。
普段から寡黙な方だが、ここ数日は時々鬱ぎ込んでいるようにすら見える。数人でいる時はまだいいのだが、二人っきりになると強くそれを感じた。
昨日プラモデル屋に入ったとき、周りをキョロキョロして落ち着きがなかったのを思い出していたら、突然ウメッチが立ち上がって怒鳴り声を発した。

「おせぇぞ、お前ら」
 振り返ると、広場の入口で照れ笑いするモレとブースケの姿が見えた。
「びびってクソ漏らしてたんじゃねぇか?」
「だってこいつがさぁ」
モレはそう言ってブースケをヘッドロックしたまま走り寄ってきた。
「やめろよ、モレだって『かっぱの三平』観てたくせに」
やれやれ。相変わらずの登場の仕方である。
三人は顔を見合わせ、苦笑いしながら荷物を背負った。
「ほな行くで。お前らちゃんとせんと、1階に置いてくるぞ」
二人は目を見開いて「そんな、殺生な〜」と声を揃えて身悶えた。
晃二の脳裏に途中まで行ったときのことが甦り、背筋に何か冷たい物が触れたような感覚がした。
二人はそれを知らないこともあるが、あまりの能天気さに呆れてしまう。

「戦争中の財宝は魅力だけど、ピラミッドみたいに棺でもあったらどうしよう」
「バッカじゃないの、デブ。そんなもん、あるわきゃねぇだろ」
「わかんないよ。そんで、財宝を守っている霊がいたりして」
日頃からおめでたい彼らの話題は、もっぱら宝物絡みの話である。
「そんだったら、お前を生け贄に差し出すよ」
「フン。さっきまでかっぱの三平で怖がってた弱虫が、よく言うよ」
「なんだと! お前なんか一話目でチビってギブアップしたくせに」
いつものブースケとモレの貶し合いが始まる。
「お前ら、ほんまに仲ええな」
荒ケンは呆れ顔で皮肉り、フェンスを登っていく。
いつも決まったところに手をかけるので、その場所の金網が伸びきっている。
「ほんじゃ晃二が上で中継して先にみんなの荷物をこっち寄こせや。で、その後にブースケな」
荷物を放り投げてから、残った二人は恨めしそうに見合った。
未だ一人で金網や崖を登れないブースケは、いつもみんなの手をわずらわせるのだった。
「またかよ、しょうがねぇねぁ。ほら、早く掴まれよ」
押し上げ、引き上げ、また押し上げ。
毎度の事ながら、何故か介助する方が顔が真っ赤になるのである。
そうやって次の崖や二階の窓、全てをサポートした二人が砦の中にたどり着いたときには、ひと仕事終えたあとのように額に大粒の汗をかいていた。
「帰りは晃二達が面倒見ろよ」
笑いをかみ殺していた二人は、聞こえない振りをして道具を点検しだした。


〈#2へ続く〉
https://note.com/shoji_kasahara/n/n30cb00e57105


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