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手を動かす暮らしの中のクリスマスツリー #10

 クリスマスツリーにオーナメントを飾った。二週間ほど前に出してきたのに、オーナメントをつけるための下地の、葉の蔓の飾りを巻きつけるのが面倒で、何度娘から催促されても重い腰が上がらなかったものだ。大事なことはめんどくさい、とアニメ制作中の宮崎駿が言っていたが、クリスマスツリーを出して飾りつけることも、そしてまずそれを飾り付けるためのガイドラインとして葉の蔓をつけることも、大事なことだ、たぶん。

 このクリスマスツリーを設置するのは今年で3回目になる。2年前デパートで購入したもので、とても高かった。過去に放送した「日本人の食と祈りークリスマスー それはキリストの誕生日ではなかった」でも話したが、子供の頃のクリスマスツリーにほろ苦い思い出があり、それは私の心の中でずっと燻っていたので、そのフラストレーションを発散させた結果の買い物だった。

 子供の頃の昭和なツリーは、安っぽい電飾がまとわりつき、偽物の白いアクリル綿の雪がついていた。繰り返し使っているうちにその雪が薄汚れ、細かくちぎれていた。その上我が家のサンタは望みのものをくれたことは一度もなかったため、クリスマスは私にとってそれほど良い思い出ではない。

 断捨離マニアを自称する私としては、いずれ使わなくなるクリスマスツリーを購入するのはあまり気が進まなかった。けれど大人になった子供たちのクリスマスの思い出に、ツリーがないのは寂しい。購入するならシャビーなものは買いたくない。その思いが豪華なツリーにつながったわけだ。

 娘と二人で30分以上かかって飾り付け、美しく電飾を灯すことができた。完璧主義の私は、もっとステキな飾り付けにならないものかとオーナメントを細かく調整したり、入れ替えたりして頑張った。

 食事の後、ツリーをいじっていた娘が「お母さん、見てー」というので目をやったところ、思いがけないオーナメントが下がっていて、完璧主義の私はガーン!ときた。
 手の込んだ一つ一つのオーナメント、私好みの色一色で揃えられた、一流メーカーによる夢のあるデザインの高価なツリー。そこに息子が学童で作ってきた、他のオーナメントとは全く色の合わない毛糸のリースと、娘がシッターさんと作った松ぼっくりのリースが下がっていて、ツリーの完璧なバランスを崩していたからだ。

 でも次の瞬間、なんとなく軽やかな気持ちにもなった。これがうちのツリーなのかな、と。

 セットで買ってきたツリーは、いつまでも消費社会の中の企画物であって、「これがクリスマスの幸せですよね」というような、作り手が提案した「無名の幸せ」を形にしたものだ。それを 大きさ、豪華さ、デザイン、緻密さ、価格という汎用的な物差しに当てはめ、買い手(つまり私)は、自分と他者とを差別化するために自らの選択で選んだ気になっている。

 「手を動かす暮らし」とはそういうことではない。少し不恰好でも、自分たちで作り出したものを飾る、そのオリジナリティに本当の幸せな思い出は宿るのではないか。 
 娘のトンチンカンなオーナメントと、彼女の満足そうな顔を見て、そんなことに気付かされた。

 手を動かして生きる喜びを知ってしまった今、いつの日か生のモミの木でツリーを作る日が来そうな、そんな気がする。やらざるを得ない、という強い衝動に背中を押されながら、大変な思いをして作るんだろうなぁ。ああ、めんどくさい、めんどくさい。誰か私を止めてください。


よく見たら、息子の学童の飾りは最初からひっそりついていた。右側は、図工の時間に息子が作ったツリー
ツリーの一番良い場所に、娘のオリジナリティが発揮されている(笑)

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