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【紡 第三話】「紬」を学び、「紡」を問う旅物語

今月から、「紡」の活動を再開したわけですが、
そういえば、名前をお借りしているのに「紬」について何も知らないなと思いまして。
早速、行ってきました。

舞台は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている「結城紬」の産地である茨城県結城市です。

「紬」を知る旅、そして、これからの「紡」について考える旅となりました。
そんな、わたしの旅物語。
今回は、想いがすごいです。(笑)

「紬」を学ぶ。

結城駅は、新宿から1時間半ほど。思っていたよりも近くて驚きました。

街中で体験ができる場所や、結城紬について知れる場所を教えてくれるマップも充実しています。

歩いていると、昔ながらの看板がたくさんあることに気がつきました。
ガソリンスタンドなら「油屋」、というように古くからの呼び名でつけられていました。
あ、「つむぎ」の看板も発見。もちろん、紬の工房でした。

その中に、聞きなれない「銀屋」という看板が。
なんだろう、と気になりながらも通り過ぎようとすると、

「こんにちは!お嬢さん!!」

とおじさんが元気よく声をかけてくださいました。
(驚きすぎて心臓飛び出しそうでした(笑))

「ここは、まちの人が誰でも立ち寄れる休憩所なんだよ。」

なるほど。おばあちゃんが一人、先にお茶を楽しんでいる様子でした。

「コーヒーは、100円ね。とってもおいしいよ。」

とおばあちゃん。見ると、100円を入れる用のビンがおいてありました。
コーヒーとマスター(?)お手製の燻製チーズと、おばあちゃんが分けてくれたたい焼きで、ちょっと休憩。

マスターが自慢の篠笛を披露してくれたり、おしゃべりもできて楽しい時間でした。

「一日一笑!これが人生のモットーだよ!」

明るくパワーあふれるマスターと、優しいおばあちゃんにまた会いたいです。

休憩所を後にして向かったのは、「つむぎの館」。

「結城紬」の資料館や、体験スペース、お土産屋さんが集まっている場所です。

せっかくなので、資料館で学んだことを紹介します。

「結城紬」は、元々「常陸紬」という名前で流通していました。

しかし、当時朝廷から信頼されていた「結城家」が政治的、経済的な実力や、結城家から献上された絹物が他国のものをしのいでいたことから、「結城紬」として名前を変えたと考えられています。

明治時代から、結城物産織物商組合が組織され、紬の品質向上や管理に努めていました。
それくらい、質が認められていたということです。

結城紬の信頼と需要は増え続け、天皇への献上品として選ばれるほどの評判でした。

しかし、第二次世界大戦の勃発とともに、繊維工業の多くは厳しい状況になってしまいます。

そんな中でも、結城紬の業者は、必死の努力を続け、国の最高機関を動かしてまで、その千年以上もの間はぐくんできた伝統と技術を守りぬいたのです。

こうした、先祖たちの努力が今、「重要無形文化財」の指定や「伝統工芸品」の指定に結びついているのです。

古来から受け継がれてきた手仕事は変わらずにあり続ける一方で、色や柄、価格など、今の時代の暮らしに合わせた進化も遂げています。

こうして「結城紬」を絶やさない努力もまた、先祖たちから受け継いでいるものなのかもしれません。

次に訪れたのは、「郷土館」。

ここでは、実際の機織り作業を見学することができます。
この形の機織り機を今も使っているのは、産地としては結城だけだそう。

とても貴重な作業を見学させていただきました。

「結城紬」はとても繊細で、模様も糸によって出方が変わるため一つ一つ違っています。
こうして細かな作業を繰り返し、糸を一本一本丁寧に紡いでいると思うと、その価値も実感できます。

結城は、「結城紬」の産地としての誇りを持って、観光客を迎え入れる準備ができています。街並みはレトロな雰囲気を残しつつ、おしゃれなカフェもいくつかありました。
ちょっと立ち寄るのにはちょうど良い、心地よさがありました。

一方で、人が目立って少なく感じたことも伝えたいです。
お店はシャッターが下りていることが多く、閑散としています。

素敵な街並みと、あったかい人と、何より古くから守り受け継がれてきた伝統があるのに…

この結城で感じたもどかしさ、くやしさは私の中に想像を超える大きさでのしかかってきました。自分の無力さを痛感したのです。

「紡」を問う。

そこで、「紡」として私がやりたいことを少し明確にすることにしました。
“伝統工芸”や“後継者問題”を考えることはあまりに広く深いものだと感じています。
それぞれの地域や工芸品、技術、職人ひとりひとりでも抱えている問題は違い、重要度もまったく違うからです。

この大きな世界の中で、私が今、立っていたい場所はどこなのか。

考え抜いた末に出した今のところの結論は、

「伝統や職人をくらしの中で身近な存在にしたい」

ということ。

これをすることによって、「心地よいくらし」を提案していきたいと考えています。

私が伝統工芸に惹かれるのは、長くあり続けているからだと思います。
人々に必要とされ、時代やくらしは変わる中で変わらずあり続けるもの。
そして、それを受け継ぎ続けている職人たちには、尊敬の想いがとても強いです。

だからこそ、“伝統工芸”という言葉だけで遠ざけてしまったり、
扱いづらい、ただ高価なものとして見られているのは悲しいことです。

「なぜ、高いのか」
「なぜ、受け継がれてきたのか」

それが分かったときに、はじめてその価値に気がつき、実は自分のくらしに寄り添ってくれるものだと実感するのだと思います。
そして、使い込むほどにその価値は輪郭をはっきりさせてくるのです。

自分の使う道具の価値を知り、使いながら愛し続ける。
とても豊かなくらしだと思います。
全部をそういったモノにする、
というのではなくて
モノを選ぶ時の選択肢にいれてほしい、
そして、もっと自分の「心地よさ」のものさしでモノを選んでほしい。

職人さんはものづくりを愛しています。
そのモノのよさは、職人さんに聞くと一番わかります。その想いの強さに感動します。
むずかしいことを聞こうとしなくてもいいんです。

「これはどんな風に作られているのですか?」と、素朴な疑問をポンと投げるだけで、想像の100倍は話してくれるはずです。
それも、とても楽しそうに。

「伝統工芸品を使ってみてください」
「職人さんに会いに行って、話をしてみてください」

正直に言えば一番言いたいのはここです。
でも、そうはいってもなかなかね、と思うでしょう。

だから、「紡」が代わりに会いに行きます。

もし、「紡」を読んで初めて知ったことがあったら、次の日友だちに教えてあげてください。自分のくらしに取り入れたいことがあったら、取り入れてみてください。
そして、もし、「これを作っている職人さんに会いたい」と思ったら、コメントください(笑)!
一緒に会いに行きましょう。連絡とかめんどうなことは全部わたしが引き受けます。

魅力あふれる結城に人がいないのは、まだみんなのくらしに馴染んでいないからではないかと思います。

これからも、古くからたくさんの想いと共に紡がれてきた伝統が素敵な糸となって紡がれていきますように。
大きな愛と願いを込めて、わたしができることを少しずつやっていきます。

そして、なによりみなさんのくらしがいつまでも心地よくありますように。
その「心地よさ」のお手伝いを「紡」ですることができたらこんなにうれしいことはありません。

まだまだですが、小さな一歩一歩を重ねてまいります。
これからも、よろしくお願いいたします。

「紡」をつむぐ人
関野菜子

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