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時間の無い世界で、また君に会う

序章 時間と人の物語


電車の出発アナウンスがホームに鳴り響く。

「やばいやばい。遅刻遅刻!」

ドアが閉まる瞬間、忍びのように電車に飛び込んだ。

「セーーーフ!」と言いながら息を整えて目を開ける。

人、人、人。

360度人であった。

満員電車はまるで時間に縛られて生きている人々を乗せる貿易船である。

電車を降りて、学校に向かう途中にも似たような光景を見る。

遅刻しそうになると鉄砲から逃げるように全力疾走で会社や学校に向かう人。

まさにこの世界は"時間に支配された世界"なのである。

満員電車の人混みにもまれながら、僕はスマホで「時間 歴史」と入力した。

"大きな川の近くに古代文明が誕生した。

生きる上で必要な食料の確保のためか、農業をするようになった。

その農業の発展に欠かせなかったのが季節の概念と把握。

例えば、エジプトのナイル川は毎年夏に氾濫していた。

氾濫による洪水は多くの栄養を運んでくれるが、被害も多い。

その氾濫の時期を予測することによって、恵みの恩恵を受けつつ、被害は回避することが可能となったのである。"

「なるほど。衣食住のように生きる上で必然的に誕生したのか」

そう納得した頃にちょうどドアは開き、僕は降りた。


学校の授業は退屈だけど唯一楽しみな教科がある。

大好きな歴史の授業である。

「今日は天智天皇の話をするぞ!天智天皇は日本最初の時計を作ったんだ。それを…」

一人静寂な森の中にいるような気持ちで、時間ってないと困るものはあるのだろうか…と考えていた。

満員電車で調べていた時間のことが気になっていた僕は、先生の話が聞こえないくらいに夢中で考えていた。

「時間(ときま)!中大兄皇子とタッグ組んで大化の改新進めたやつわかるか?」

先生からのとっさの名指しに動揺して「なかとみのかたまり!」と答えた。

教室は笑いの渦に包まれたが、夢中になっていた僕にはなぜ笑いが起こっていたのかはわかるはずもなかった。

その夜、家に帰りながら相も変わらず"時間"のことを考えていると、一枚の紙が落ちているのを見つけた。


夜の暗い道でひっそりと輝く街路灯の光。
その光に誘われた蝶たちがまるで舞踏会のように踊っていた。

蝶たちのように光に誘われたのか、一枚の紙はそこに落ちていた。

その紙は暗闇の中にある小さな光のように白く輝いて見えた。

普段なら落ちているものなんて気にしないが、この時はなぜか足が勝手に動き、気がついたら紙を手に取っていた。

タイムカプセルから掘り起こされたかのように砂やほこりを被っていた。

僕は発掘調査員のような手つきで砂を払う。

その紙には「時間を無くしてみませんか?」という文言と住所が書かれていた。

「時間を無くしてみませんか?…ってバカらし!」そういって僕は家に帰る。

家では母親が夕飯を作って待っていた。

「トキマ。それなに拾ってきたの?」そう母親が指差す僕の手にはなぜか道端で見つけた紙を強く握りしめていた。

「…え!?」一瞬驚く僕。

「あ、あ〜。これは明日の宿題。ご飯終わったら解かないといけない!」と僕はとっさに嘘をつく。

時間に追われている人のようにご飯をせっせとかきこむと自分の部屋に戻った。

机に座った僕は悪いことをしている子供のように誰もいない部屋を見渡し、twitterで呟く。

"時間を無くすことって可能だと思いますか?"

もちろん誰からも反応はない。当たり前だ。どうみても頭のおかしい人の独り言でしかない。

「何やってんだろう俺は…」と僕は机にスマホを置いて天井を見上げていると通知があった。

僕の質問にコメントが来ていたのだ。

僕は急いでコメントを見た。

「頭大丈夫ですか?病院紹介しますよ!」

「そんなの無理に決まってるだろwww」

「世界中の時計を壊してくればおけ!」

もはやSNS特有の暇人たちによるクソコメントばかりだった。

━━━分かってる。分かってるけど、どうしても気になるんだ!


翌朝。食パンを頬張り、砂糖とミルクを入れた紅茶をゴクゴクと飲み干す。

「ごめん母さん。今日は遅くなるから!」トキマはそういって紙に書かれた住所を頼りに勢いよく家を出た。

住所は埼玉県の川越市。

川越は江戸時代の頃に「小江戸」と呼ばれるくらいに栄えており、今でも昔の建物などが多く残っている歴史があふれた町である。

住所を頼りにいくと、そこは時の鐘のすぐ横の建物だった。

━━━時の鐘。時計がほとんど使われていなかった江戸時代、時間をあまり気にしなかった人たちに時を知らせていた鐘である。今も昔と変わらず時を告げているらしい。

「江戸時代は今のように時間をあまり意識してなかったんだよな…」と昔を想像していると、いつの間にか僕は呆けていた。

はっと我に返り、時の鐘の横の古い建物の玄関をコンコンとノックする。

「ごめんください!誰かいますか?」

なんの返事もない。仕方ないので今度は大きな声で聞いてみたが、やはり返事は返ってこない。

古い建物だから誰も住んでないんじゃないかと思いながらそっとドアノブを捻ると開いてしまった。

周りに視線を動かしながら恐る恐る中に入って「あのー。紙を見てきました。」と小さく呟く。

やはり返事はない。

━━━期待した自分がバカだった。

そう諦めて帰ろうとすると、後ろから声が聞こえてきた。

「なんのよう?」

それは桜のように優しく透き通った女の子の声だった。


第1章 時を無くす少女


肩をブルっと震わせた僕は慎重に後ろを振り返る。

「あの…この紙をみて来ました…」と恐る恐る手に持っていた紙を見せた。

「あー。時無しの依頼ね。とりあえず上がって!」

僕はその女の子に案内されるままに、居間に行く。

とても広い畳の部屋だった。

「畳のいい匂いだ!」そういって一呼吸した。

「今時の男の子は畳の匂いが好きなの?」と女の子は物珍しそうに言う。

「あ。いえ。そういうわけでは…」
僕は視線を下に下げながら言う。

「何か飲む?」

「あ、なんでも構いません!」

静かな空間には冷蔵庫を開ける音、飲み物を注ぐ音、氷を入れる音が響き渡った。

「あ〜。そういえば名前なんていうの?」

「時間と書いてトキマです!」

「私は咲季(サキ)!よろしくね。」そう言って僕の目の前に氷がたくさん入った麦茶を出した。

コップの周りには大雨のような水滴がびっしりと付いていた。

ここまでほとんど走りっぱなしの僕は思わず手にとって一気に飲み干す。

「真夏に飲むキンキンに冷えた麦茶は美味しい!」

「でしょ?私、真夏に冷えた麦茶を飲んだ時が一番幸せかも!」

確かにその気持ちわかると僕は彼女をみてうなずいた。

「まさか本当に依頼しに来る人がいるとは思わなかったよ」

麦茶を飲みながらそう言っている彼女はなんだか嬉しそうだった。

「ところで君〜なんで時間をなくしたいなんて思ったの?もしかして遅刻の常習犯とか?」

「違いますっ!」

思わず口に含んでいた溶けた氷を飲み込んでしまった僕は、胸を叩きながらそう言った。

「ごめんごめん。冗談!」と彼女は微笑む。

「毎日満員電車に乗ったり、社会人や学生が走っている姿をみてたら、時間に縛られてるのってなんか変だなって思ったんです。」と僕は打ち明ける。

「それで時間をなくしたいと思ったんだ〜」と彼女はコップを加えながら僕の方を見る。

「江戸時代より前って今みたいに時間を強く意識してなかったんですよね。日がでてきたら朝か〜とか。日が沈んだら帰ろうとか!」

「そうだね。いつの間にか時間を意識しながら人は生きるようになったんだよね…」と彼女は目線を下に向ける。

畳の空間に一抹の沈黙の時間が流れた。

そんな空気に気づいたのか、彼女は「やっぱ、遅刻常習犯だったんだね!」と腕を机に置いて食い入るように聞いてきた。

「だから違いますっ!」顔を赤めながら僕は言う。


しばらく話していると、彼女は「来て!」といって立ち上がった。

僕は彼女と一緒に建物の裏口から外に出る。

「実はね。私の家系って元を辿ると時間を管理していた漏刻博士なの。」と彼女は自分の祖先の話を始める。

漏刻博士(ろうこくはかせ)とは、大昔の日本に存在していた役人で、当時の時計だった水時計を見守って時間を把握し、その時間を知らせていたという話を彼女から教えてもらった。

つまり彼女の祖先は古代の時間管理人だったというわけだ。

そんな歴史話を熱心に聞いていたら時の鐘の裏側に着いていた。

「今から登るよ!」と笑顔で時の鐘を見上げる彼女。

「え?登るの?」と困惑しながら時の鐘を見上げる僕。

「当たり前じゃない!いいから行くよ。」と彼女は階段を登り出した。

そう言われた僕も彼女の後について登る。

昔のままの古い階段なのか、足を踏み込むたびにギシギシと鈍い音がした。

「トキマ、足下気をつけてね!余所見してると落下するわよ!」と冗談っぽく言う彼女。

「バカにするな〜!」と僕は頬を膨らませながら歩く。


必死に登りきって鐘の上に立った僕は驚いた。

辺り一面に広がる川越の古い街並みは、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのように錯覚するほどだったのだ。

そして太陽が沈みかけ、夕焼けが空に描かれていた。

「━━なんて綺麗なんだ!」

昔の人たちがきっと見たであろう同じ景色を見れていることに感動した僕は立ち尽くしてしまう。

「ト…キマ…トキマ!トキマ!」と小さく彼女の声が聞こえた。

「なにぼーっとしてるの」と僕の頬をつねる彼女の声はとても大きく聞こえた。

「痛い!痛い!ごめんって。」と僕は頬を手で抑える。

我にかえった僕は彼女に視線をむけた。

「この時の鐘は昔から変わらず今も鳴らされてるの」

「ああ知ってるよ。午前6時、正午、午後3時、午後6時と1日に4回なってるんだよね。でもそれが時をなくすのとなんの関係があるの?」

そう言いながら僕はスマホの時計をみると午後5時59分だった。

「まぁ見てて!」

大きく一呼吸した彼女は勢いよく時の鐘を鳴らす。

鐘の音は綺麗に夕焼けで塗られた川越をゆっくり包み込むように広がっていく。

それはちょうど午後6時だった。

鐘を鳴らし終えた彼女はイタズラをする子供のように近づいて、僕のポッケのスマホを指差し、時間を確認するようにいう。

「確認も何もさっきから5分たったくらいでしょ!」と僕はスマホを取り出す。

僕は唖然とした。

「え…!?時間が進んでない…!?」とスマホを見たまま固まる僕。

18時を過ぎてしばらく時間がたったはずなのに時計が18時のまま動いていないのだ。

川越の街並みを覗いてみたが、みんな変わらず普通に生活している。

「時間は…別に止まっていないな…」と安心する僕。

「時間を止めることは私にはできないよ。でも…」と意味ありげに彼女は言う。

目の前に起きた不思議な現象に動揺していた僕はある文言を思い出す。

「時間を無くしてみませんか?」
それは僕が拾った時の紙に書かれていた文言だった。

「あ…!」と僕は気付き、スマホを再び見ると時間表示が跡形もなく消えていた。

━━時間が無くなってる…!

それに気づいた僕の前にはひまわりのように笑う彼女が立っていた。

彼女は時間をなくすことができるのであった。


第2章 少女の過去


にわかに信じがたい僕はスマホの故障だと思い、とっさに腕時計を見る。

しかし、時計の針は消えていた。

━━━紛れもなく時間が無くなっていた。

僕は時間が無くなったという事実に意外とすぐに飲み込んだ。

「ふぅー」と目をつぶって深呼吸をする僕。

落ち着いた僕は目を開けると目の前で彼女が笑っていた。

「さぁ行こう!」と彼女は呆気にとられていた僕の手を取り、時の鐘を勢いよく降りる。

アニメでよくみる時間が止まったという感覚はない。
━━時間そのものの存在がなくなっているのである。

その証拠に川越の人たちはみんな変わらず歩いていた。

「おっかしいな。時計が故障してるのか?」
そんな男性の声がどこかしらからか聞こえてくる。

僕はキョロキョロと無言で周りを見渡していた。

「もしかして信じてなかったの?」と僕の顔を覗き込みながら彼女は言う。

「う、うん…」
僕は顔を隠すように下を向いた。

それから僕らは時間がなくなった川越で色んなものを見て歩いた。

「おばさん!このスイートポテト2つちょうだい!」と元気な声で注文する彼女。

「さーちゃん!いらっしゃい!」とスイートポテトを袋に詰める優しそうなおばさん。

「とてもいい匂いがすると思ったら、スイートポテトの匂いだったのか!」とウキウキする僕。

「川越はスイートポテトが有名なのよ!」
と彼女はしたり顔で解説した。

「あら、もしかしてさーちゃんの彼氏さん?」とおばさんは慣れた手つきで会計をしながら僕の方を見る。

「ち、違うよ!おばさん!こちらの男の子は私のお友達のトキマ!」と慌てる彼女。

「ど、どうも〜!」と僕は頭に手を置いて挨拶した。

「さーちゃんにも男友達いたんだね〜!」とおばさんは微笑む。

「それくらい普通でしょ!」と彼女はムスッとなって外に出た。

僕も彼女の後を追って外に出ようとすると、おばさんに声をかけられた。
「さーちゃんをよろしく頼んだわよ!」

「え?」と僕。

「さーちゃん、最近元気なかったのよ。でも今日はすっごい元気だったから。多分君のおかげよ。ありがとね。」

「いゃ、僕は何もしてないですよ。」

「はい。これおまけ!」とおばさんから2人分のアイスクリームを貰う。

「ありがとうございます!」

「また来てね!」とおばさんは小さく手を振った。

僕はアイスクリームを持ちながら急いでお店の外にでた。

「ごめんごめん!お待たせです!」

「おばさんと何話してたの?」と彼女は僕の方を見る。

「な〜いしょ!」と僕は持っていたアイスクリームを一つ彼女に渡した。

二人同時にアイスクリームを食べる。

「「美味しい」」

それはそれはとても甘い芋のアイスクリームだった。


空が暗くなり出した頃。

「トキマ!ここでご飯食べよう!」と彼女はもんじゃ焼きのお店を指差す。

中に入るとジュージューという音と一緒に美味しそうな匂いが総攻撃を仕掛けてくる。

「お!さーちゃん!いらっしゃい!」と大きな声のおじさん。

「おじさん!いつもの!」と彼女はメニュー表をみずに注文した。

「はいよ!」とおじさんは厨房の方へ向かう。

「さーちゃん。今日は彼氏連れてきたの?」とおじさんが手を洗いながら尋ねた。

「違いますぅー!」と口をタコにする彼女。

「咲季さん。川越の人たちの仲良いね!」

「まぁね。川越の人たちはみんな家族みたいなもんだよ!」ともんじゃ焼きの準備をする彼女。

「はいお待ち!」とおじさんが持ってきてくれた具材はとても多かった。

明太子にチーズにお餅にいくつもの歴戦の具材たちがお皿の上に一堂に集結していた。

それらの具材を素早く混ぜて鉄板に流す彼女の手つきは慣れたものだった。

「よく来るの?」と僕は混ぜるのを手伝いながら言う。

「昔は家族でよく来てたよ。最近はあんまり来てない。」と彼女は鉄板の真ん中に具材を整え集める。

「そういえばお母さんとかお父さんってどうしてるの?」

「お父さんもお母さんも事故で亡くなった━━」
彼女は悲しげな顔で自分の過去について話し出した。


「お父さんはサラリーマンをやってたんだけど、3年前に車にはねられて亡くなったの。」

「車を運転してた人は急いでて目の前が見えなかったらしい…」と小声で話す彼女。

「それからはお母さんが代わりに働いてくれていたの。毎朝早くに家を出て。夜遅くまで残業して。そんな毎日に身体が限界を迎えててね━━」

「ある日。寝坊しちゃって、遅刻しそうになった母親は遅れまいと限界な身体を叩き起こして走っていったの。その夜だった。病院から電話があったのは━━」

「その電話でお母さんが朝飛び出していった後に事故にあったと知ったの。」

「私の両親は時間に殺されたの!」と彼女は拳で机を叩いた。

いつの間にか僕は具材を混ぜている手を止めてしまっていた。

「私は時間なんてなければ…って。そう必死に訴えながら時の鐘を叩いた。」という彼女の手は止まっていた。

「もちろん。何も起きなかった。でも悔しくて悔しくて。だから必死になってずっと鳴らし続けたの。」

━━僕は言葉が出なかった。

「もう何時間経ってて、何百回鐘を鳴らしたか分からなくなってた私はたまたま時間を確認した。」

「そしたら時間が無くなってたの。」と彼女は僕を見る。

「そこで自分に時間を無くす能力があるって気づいたの?」と僕は聞いた。

「その時はさすがに半信半疑だったよ。でもそれから何度か試していくうちに確信した━━」

「一人で生活するにはお金がいるでしょ?だからこの力を使ってお金を稼ごうと思ったの。ついでに嫌いな時間も無くせるし!」と彼女はヘラでもんじゃ焼きの周りを整えていく。

「その時の紙だったのか」と僕はポケットに入れていた紙をおもむろに取り出した。

「でも誰一人依頼こなかった。そりゃそうだよね。普通、時を無くすなんて信じないもん。。だからトキマが来てくれた時…私嬉しかった。」

彼女は無言でヘラを僕に突きつけた。

ヘラを受け取った僕は彼女と熱々出来立てのもんじゃ焼きを食べた。

「あっつ!」と口に手を当てて食べる僕。

「あんまり急がないの!もんじゃ焼きは逃げないよ!」とヘラを片手に笑う彼女。

「でも美味しい!」ともんじゃを食べる僕。

「でしょ?」と彼女は顔に手を置きながら僕を見る。


お店の外に出ると、すっかり空は真っ暗だった。

とても長い時間を過ごしたように感じたが、これは時間を意識する必要がなかったおかげだろうと僕は空を見ながら理解した。

「今日はありがとう!」
彼女は下を向きながら言う。

「こちらこそありがとう!」
僕も下を向きながら言う。

「じゃあまたね!」
彼女がそういうと、静かに秒針の音が鳴り出した。


第3章 楽しいひととき


次の朝。電車に揺られ学校に向かう僕は耳にイヤホンをさしながらスマホを見ていた。

僕は今流行のライブ配信動画を見ている。

「ハロー!どうもこんにちは…」
今や誰でも動画の向こう側に立てる時代。

気になるけどやったことがないような検証動画を上げる人や歌や料理など自分の得意分野を動画にする人などいろんな人がいる。

「発信しながらお金を稼ぐ…か…」と僕は呟いていると、ふと昨日の彼女を思い出した。

「これだ!」と僕は顔をあげると電車のドアは閉まっていた。

「…やばい!乗り過ごした!」と僕は慌てる。

次の駅で降りた僕は逆のホームに急いで向かって時刻表を見る。

「次に来るの10分後かよ!」と頭をクシャクシャにする僕。

僕は電車を待たずに走って学校に向かった。


学校に着いた僕は階段を二段飛ばしで駆け上がる。

「トキマは休みか?」と出席確認をする先生。

「はい!います!トキマはここにいます!」と僕は膝に手を置いて息を整えた。

「トキマ!5分遅刻だぞ!」と先生は僕に言う。

「すいません…」と言いながら下を向きながら自分の机に座る僕。

「トキマは放課後職員室に来るように!」と先生はいつもより低い声で言った。

━━ちょっと遅れただけなのになんで…


放課後。職員室に向かった。

「来たなトキマ!なんで今日遅刻した?」

「考え事をしてたら乗り過ごして…」

「そっか。考え事は誰でもするからな。先生も分かるぞ。でもな遅刻しないように時間は把握しておけ〜!」

「時間…時間を守ることってそんなに大切なんですか?」と僕は先生に聞く。

「時間をしっかり守った人の時間を奪うことになるからだよ。」と先生は優しい口調で話す。

「それこそ…それこそ時間に縛られているということじゃないんですか?」と僕は大きな声で言う。

僕の言葉が職員室に響き渡る。

周りを見渡すと大きな声にびっくりした先生たちが僕の方を見ていた。

「あ…すいません。。」と僕は謝る。

一瞬の沈黙の後に先生は言う。
「確かに人は時間に縛られているかもしれない。でも時間があることによってうまくいくこともあるんだよ。トキマにもいつかきっと分かる。」

「今日はもう遅いから帰りな。夏休みの宿題しっかりやってこいよ〜!」と先生は笑う。

「はい…」と僕は職員室を後にする。

職員室を出た僕は静かに拳を握っていた。


次の日。
「そうだ!こうしちゃいられない!」
僕は昨日の朝電車で閃いたことを彼女に伝えようと川越に向かった。

「トキマどうしたの?学校は?」と彼女は氷が入ったキンキンの麦茶を出しながら不思議そうに僕の方を見た。

「今日から夏休みだよ!」と麦茶を一瞬にしてゴクゴク飲み干して言った。

「ライブ配信やろう!」とまだ氷が溶けずに残っていたコップを机に置く。

「ライブ配信?」

「今若者の間で流行ってるSNSの一つだよ。リアルタイムの映像を世界に届けて、しかも見てくれている人たちからお金を投げてもらえるんだよ!」と僕は力説する。

「時間が存在しない素晴らしさを色んな人に知ってもらいつつ、しかも咲季さんの生活費も稼げるなんて一石二鳥じゃない?」と僕は名案を閃いた博士のような笑顔で言う。

「なるほど〜。それいいかも!トキマやるじゃん!」と僕をみる彼女。

「へへッ」と僕は頬をかいた。

それから二人で一緒にライブ配信を始める準備をした。

「時間を無くして欲しいって依頼を募集して、それをライブ配信で配信しよう!」と本の横から顔を出し彼女に話しかける。

「それ採用!」と彼女は読んでる本を置いて言った。

「私たちのチーム名どうする?」と彼女は顎に手を置く。

「時無し屋とかどう?」と僕は言う。

「地味だけど分かりやすくていいかも!それにしよう!」と彼女は立ち上がった。


「トキマ!今から時の鐘鳴らすから撮影頼んだよ!」と彼女は意気揚々に腕を振りながら時の鐘の方へ歩いて行く。

「任せとけって!」と僕はスマホのカメラを彼女と時の鐘の方に向けた。

鐘を鳴らし終えた彼女はカメラの前にやってくる。

「どうも!時無し屋です。時間に縛られることが嫌になったそこのあなた!私たちが時間を無くします!依頼希望の方は連絡ください!」

「「とりあえずお疲れさま!」」
僕らはキンキンに冷えた麦茶が入っているコップをぶつけて、ゴクゴクと飲んだ。

「最初から依頼なんて来ないだろうけど、続けてればそのうち来るよ。だから頑張ろう!」と僕はコップを置いて言う。

「だね!」と彼女もコップを置く。

それから僕らは時間を無くす依頼を募集しつつ、時間の存在しない素晴らしさを訴え続けた。

「「どうも!時無し屋です。時間に縛られることが嫌になったそこのあなた!私たちが時間を無くします!依頼希望の方は連絡ください!」」

「時間が存在しないと遅刻と言う概念がなくなります!満員電車に乗らずにすみます!」

「時間を気にせずに済むと心に余裕ができますよ!」


そんなある日。ついに一件依頼がきた。

「トキマトキマトキマ!初めての依頼きたよ!」と彼女は嬉しさのあまり僕の肩を何度も叩く。

「どうしたの?」と僕は不思議そうな顔で彼女を見る。

「これ見て!依頼が来た!」とまばゆいばかりの笑顔をする彼女。

「マジか!よっしゃ!!!」と僕はガッツポーズをする。

最初の依頼内容は「川越で時間を気にせずデートをしたい」と言うものだった。

「「今日はよろしくお願いします!」」
依頼主は元気な若めのカップルだった。

「「こちらこそよろしくお願いします!」」と僕らも返事をする。

すぐに彼女は時の鐘の前に向かう。
僕はスマホで撮影モードに入る。

時間はちょうど正午の12時になるところ。
彼女は時刻通りに時の鐘を鳴らした。

時の鐘の優しい音が辺りに響き渡る。

僕も依頼主も時の鐘を鳴らす彼女の幻想的な景色に見惚れていた。

「終わりました!」と彼女はカップルの前に笑顔で戻る。

「もう終わったんですか!」と男性が驚いた。

「スマホでも時計でも時間を確認してみてください!」と指を差す彼女。

カップルは揃ってスマホを見た。

「え…」驚いた様子のカップル。

「あれ…故障したのかな?」と男性は頭に手を置いて笑う。

「私のスマホも故障したかも…」と女性も男性の方を見て笑う。

「そりゃあ信じてもらえないよな…」と僕は心の中で呟いていた。

「では川越デートして来てください!」と彼女はカップルの背中を押した。

少し動揺していたカップルはお互いに目を合わせて笑い、こちらを向いてこう言った。

「「いってきます!」」

二人は笑顔で川越の中へ溶け込んで行った。

「いいカップルだね〜!」と彼女はカップルの背中を見て言う。

「だね。」と僕もうなずく。


日が暮れた頃。二人のカップルが時の鐘の前に帰ってきた。

「時間を気にせず彼女と遊べて楽しかったです!ありがとうございました!」と笑顔な男性。

「気付いたらこんなに日が暮れてました。ありがとうございました。」とこちらも笑顔な女性。

「良かったです!」と言う彼女の横顔はとても満足していた。

「「またいつでも依頼してください!」」と僕らはお辞儀した。

「「イエーイ!!」」
僕らはカップルを見送った後にハイタッチをした。

「二人とも幸せそうな顔してたね。」と彼女は嬉しそうに言う。

「うん!ってか見てるこっちまで幸せになったよな!」と僕は照れながら言う。

「この仕事案外楽しいかもね!」
彼女は上を向いて微笑んでいた。

「ああ!俺もそう思う。」
僕は彼女をチラッと横目で見てから上を向いた。


それからというもの、まるで鐘の音が広がるように、見てくれる人、依頼をしてくれる人が少しずつ増えていった。

「学校に遅刻したくない」という依頼があったり。
「時間が無い世界を体験してみたい」といった依頼があったり。

ネット上でも僕らのことが少しずつ知られていった。

「依頼すると時間を無くしてくれる人たちがいるって知ってる?」

「知ってる知ってる!確か名前は時無し屋!」

「時を無くせるって嘘っぽい話。マジらしいぞ!」

「ってか時無し屋の女の子可愛いよな!」

「わかるわ〜!」

話題が話題を呼び、いつの間にか有名グループの一つになっていた。


ある日の夜。僕らはお疲れ会を開催した。

彼女は鼻歌を歌いながら茹で上がったばかりのそうめんを皿に載せて持ってくる。

トマトやネギの入ったトッピング皿と冷しゃぶの入った皿もやってきた。

「「かんぱーい!」」
二人はいつものキンキンに冷えた麦茶を飲む。

「乾杯って一度言ってみたかったんだよね!」という彼女はなんだか嬉しそうだった。

「マジで分かりみの鎌足だわ!」と笑顔な僕。

僕らは静かに手を合わせる。

「「いただきます!」」

「トマトさっぱりしてて夏に合うな〜!」と僕はトマトを口に入れる。

「トキマが教えてくれた冷しゃぶも意外とそうめんと合うね!」と彼女は冷しゃぶを口に入れる。

「ねぇ。そういえばさ。最近、時が無くなる感覚伸びてない?」と僕はそうめんをスルスルと食べながら彼女に目を向ける。

「…トキマ。気づいたのね!」と箸を置いて彼女は僕をじっと見つめた。

「トキマの言う通り、この力を使うたびにどんどん無くせる時間が伸びていってるの。」

「やっぱり!」と僕も箸をそっと置く。

「しかも時が無くなる範囲が川越だけじゃ無くなってるみたい。」と彼女は小声でいう。

僕は最初は数秒しか無くならなかった時が次第に1分、10分、1時間と伸びていったこと、時無しの範囲が川越の外に及び出したことを彼女から聞いた。

「今日はどのくらいの時が、どのくらいの範囲でなくなってる?」と僕は聞く。

「多分…1日だと思う…範囲はわからないけど恐らく隣まで…」と言う彼女はどこか不安そうだった。

「俺さ、時間に縛られて生きるのが嫌だったんだよね。そんな時に時間をなくせる咲季に会って、時間がない世界を生きられて感謝しかないよ!」

「俺みたいに時間が無くなって喜ぶ人だっている!だから不安な顔すんなって!」と僕は彼女を精一杯励ました。

「ありがとう!」
彼女は雲が晴れたような顔をしていた。

「ねぇ。口にネギついてるよ?」と口に手を置いてクスッと笑う彼女。

「こ、これはわざと付けてるんだよ!」と赤面する僕。

この二人の時間を忘れた他愛もない会話は夜の川越に静かに響き渡った。


第4章 走り出す2人


ミンミンゼミが元気に鳴くムシムシした日。

うちわをパタパタと仰ぎながら時の鐘の横にある彼女の家に向かうと、見世物でも開かれているかのように人だかりができていた。

僕はとっさに物陰に隠れて耳を澄ます。

「ここが時無し屋が撮影してるところだってよ!」

「これが動画に出てきた時の鐘ってやつか〜」

「もしかしたら動画の女の子見れるかもよ!」

どうやら僕たちの動画を見て、実際に見物しに来てくれていた人たちだった。

「嬉しいけど、見つかったら大変だな…」と僕は人だかりの中を中央突破せず、あえて遠回りをした。

まさに急がば回れである。

危険な近道よりも遠くても安全な道を通った方が逆に早いということざわである。

江戸時代の頃。西から東に出るには琵琶湖を横切る道が最短コースだったけど、琵琶湖の横にそびえる比叡山からの突風と荒波で危険で難しい道であった。

それなら琵琶湖の南にかかる瀬田橋を遠回りしてでも渡った方が、安全であり、なんなら早く着くのだ。

ここから急がば回れということわざが生まれたのである。

先人が失敗によって得た”先人の知恵”はこんな時にも役に立つのであった。


おそるおそる周りに目を配りながら彼女の家の裏口に着いた。

僕は静かにノックし、彼女は静かにドアを開けてくれた。

「外やばいね。朝からあんな感じなの?」と僕は外の人だかりを見る。

「うん。朝から。だから買い物にも出かけられなかった…」
彼女の横には買い物に行くためのカゴがしょんぼりしたように横たわっていた。

「有名人になるのってこういうことなんだろうな!」と僕は頭をかく。

「そうだね。私も嫌じゃないんだけどね…」と彼女はスマホを持つ手を静かに下ろした。

「ちょっと見せて!」僕は彼女からスマホを借りて覗く。

「魔女!」

「化物!」

誹謗中傷の嵐だった。

この時僕は初めて有名になることのデメリットを痛感した。

ファンはファンでこちらのプライベートを全く気にせず騒ぎ、アンチはアンチで匿名をいいことに悪口をゴミのように投げつけてくるのである。

「こ、こんなの気にするなよ…」と僕は頑張って笑って見せる僕。

「あんまり気にしてなかったよ。でも最近は毎日のようにこういうコメントが届くの。」

「一番苦しかったのはこれ…」と彼女はスマホをスクロールして僕に見せる。

「あんたのせいでうちの子が学校に遅刻した!」

それはどこかのお母さんからのコメントだった。

「私が時を無くすことによって、どこかに困る人がいるってことだよね…」と彼女はスマホの画面を消した。

「そうだね…でもそのお母さんだって時間に縛られているからそう言ってるだけだよ!」と僕は彼女の目を見る。

「そうかもしれないけど…そうかもしれないけど…」と彼女はなにか言いたげだった。

「僕らのことを応援してくれてる人たちがいる一方で、悪口や批判ばかりする人たちがいるように万人に理解してもらうことなんてできない。僕らはどこかで割り切らないといけないんだ…」

一瞬静かな時間が流れた。
静かな空間にはミンミンゼミの泣き声と時計の針の音だけが響いていた。


僕はふと時計を見る。

「あ!もう時の鐘を鳴らす時間だ!」と僕は彼女に伝える。

「え!やばい!急がないと!」と彼女は急いで支度をする。

僕らは時の鐘をドタバタと駆け上がった。

「「セーフ」」

彼女は時の鐘の前に立つと深呼吸をして息を整える。

時の鐘の下には大勢のファンの方が固唾を飲んでその時を見守っている。

時間は12時ちょうど。彼女は鐘を鳴らした。

いつも聞いているはずの鐘の音は、今日はなんだかいつもよりも大きく聞こえた。

鐘を鳴らし終えて戻ってくる彼女の顔には迷いがあった。

それを見た僕は彼女の手をとって走り出していた。

「行こう!」

━━静かな空間には風の音だけが残っていた。


第5章 夢の都会


僕は彼女の手を取って走り出した。
それは無意識に身体が勝手に動いた結果であった。

「トキマ?どうしたの?」と彼女は走りながら不思議そうに僕を見つめる。

「時間から逃げてる!」と僕は笑いながら言った。

もちろん、無意識に身体が勝手に動いた僕に理由なんてわかるはずもなかった。

「なにそれ!」と彼女はふふっと笑っていた。

「どこか行きたいところある?」と僕は彼女に顔を向けた。

「なにも決めずに走ってるの?」と彼女はまた笑う。

「う…うん…」と僕は彼女から目を逸らした。

「そしたら池袋に行ってみたい!」と彼女は答える。

「わかった!」
僕は前を向いて走った。


駅に着いた僕らは突然時間がなくなって混乱している世界を目の当たりにした。

「現在発生している時間把握ができない原因不明の障害により、ダイヤが大幅に乱れていることお詫び申し上げます。時間が把握できない障害に関しましては現在日本政府が…」と駅内ではアナウンスが流れていた。

時間が無くなっている外の様子を見るのは初めてだっただけに、僕らは驚きを隠せなかった。

「おい!どうなってんだよ!」

「いつになったら電車は来るんだ!これじゃあ遅刻しちゃうじゃないか!」

出勤前の時間に縛られたサラリーマンたちが声を荒げて駅員さんに問いただしていた。

「すいません!すいません!」と平謝りをし続ける駅員さん。

少し悪いことをしてしまったと思いながら、僕らは駅員さんたちの横を知らない顔をして通りすぎた。

駅のホームに着いた僕は無意識に時刻表を覗く。

彼女は「次来るのは…」と時刻表を眺めていた僕の頬をつねる。

「時間…無くなってるから時刻表意味ないよ!」

「そういえばそうだった…!」と僕は笑う。

電車は時間があって始めて機能するものである。
時刻表は1872年に新橋と横浜を繋ぐ日本初の鉄道が開業した時に生まれたと言われている。

ただの歴史好きの浅はかな考えだが、おそらく当時のお偉い人たちが庶民にも時間を定着させ、時間で人を管理できるようにするための一環だったんだろう。

「そしたら歩いていこう!」と僕は彼女を見る。

「うん!」と彼女は僕を見る。


川越から池袋まで総距離は約30km。歩いて6時間ちょっとだ。

基本的に毎日の交通手段が自分の足だけだった江戸時代の人たちなら簡単に歩ける距離だが、歩くことをしなくなった現代人の僕らにとっては大変な距離だ。

それでも僕らは歩いた。
歩きながら僕らは色んな話をした。

「トキマってお父さんから教わったことって何かある?」

「ん〜。母親が怒ってる時の対処法とか、男の料理とかかな?」

「怒ってる時の対処法ってなに。笑」

「俺の自慢のお母さんはいつも優しいんだけど、ごくたまに怒ることあるんだよね。そんな時に怒りを沈める方法とか教えてくれるんだ!」

「どんな対処法?」

「ハイビスカスのお花を買ってきて渡す!そしたら笑ってくれるんだ!」と僕は鼻高々にいう。

「さすがお父さんだね!」
ふふっと笑いながら彼女は言った。

「さすがお父さん?」となにも分かっていない僕は首を傾げた。

「咲季はお父さんからなに教わったの?」と今度は僕が彼女に同じ質問をする。

「私がお父さんから教わったことはね〜。時の鐘の鳴らし方とか家の歴史の話かな!」

「時の鐘の鳴らし方?」と小馬鹿にする僕。

「時の鐘鳴らすの簡単に見えると思うけど、意外と難しいのよ?」と彼女は頬を膨らませた。

「今度俺にも教えてよ!鐘の鳴らし方!」

「いいよ!今度教えるね!あ…でも徹夜は覚悟してね!」

「え…?そんなに大変なの?」と僕は足を止める。

「嘘だよ!」と彼女は後ろを振り返って僕を笑う。

「なんだよ。びっくりしたじゃんか!」と僕は走って彼女に追いつく。

そんな他愛もない話しているうちに僕らは池袋に着いた。


時間は多分お昼時。

時間も何も気にしない若者たちがワイワイと話ながら歩いていた。

「わぁ〜すごい!」彼女は目をキラキラさせながら辺りを見渡す。

「そういえば、なんで池袋なんだ?」と僕は彼女に聞く。

「小さい頃から都会に出てきたことがなくてね。ずっと川越とその周辺で生きてきたの。」

「マジで?」と僕は驚く。

「でも全然苦じゃなかったから気になんなかったよ。でもちょっとした憧れだったの。」

「なら全力で楽しまないとな!」

「うん!」
彼女は静かに笑った。

駅の大スクリーンに臨時ニュースが流れている。

「速報です。現在世界的に起こっている時間がなくなる『バニッシュタイム現象』を早急に対策しようと世界各国の首脳が集まり国際会議が開かれることになりました。新しい情報が入りましたら…」

世界の混乱に全く気づいていない僕らは池袋で遊び尽くした。

「どう?トキマ!この服似合ってる?」
「(かわいい…)ゴクリ」
「ねー聞いてる?」
「聞いてる聞いてる!めっちゃ似合ってるよ!」
「そう!そしたらこれにする!」

「愛にできることは…♪」
「団子三兄弟…♪」
「ありがとうって伝えたくて〜…♪」

「よっし!」
「トキマすごいじゃん!」
「え…私も全部倒せた!」
「咲季すごいよ!ストライクだよ!」

「おじさん!ケバブちょうだい!」
「ハイヨ〜。二人ともお似合いダカラ特別大サービスネ!」
「わ〜!ありがとうございます!」

「トキマ!見てみて!クラゲが綺麗!」
「ホントだ!綺麗!」
「こっちはクマノミだ!」
「え…どこにいるの?」
「トキマ見えないの?このイソギンチャクの中にいるよ!ほら!」

僕らはいつの間にか時間を忘れて楽しんでいた。


「今日はありがとね!いつの間にか夜になっちゃってた!」と彼女は満足げな顔をする。

「そうだね。今日はもう遅いし帰ろうか!」と僕は彼女と駅に向かった。

池袋駅に戻ってみると不思議な光景を目の当たりにした。

まだ時間は無くなったままだったのだ!

時間は無くなったままなのにも関わらず、電車は不規則ではあるが走り出していた。

「人が進化し続けてこれたのって案外こう言う適応力のおかげなのかも知れない。」と僕は心の中で呟く。

「今日はいつも以上に時間が無くなったままだね。」と僕は笑う。

「そうだね。」と彼女は少し不安な顔をする。

「まぁ明日には元に戻ってるから気にすんなって!」と僕は彼女を励ました。

「そうだよね。」
彼女の顔には少し笑顔が戻った。

「あ、明日。行って見たいところあるの!だから12時くらいに池袋駅に待ち合わせしない?」と上目遣いをする彼女。

「分かった!楽しみにしてる!」と僕は言う。

「「じゃあまた明日!」」
僕らは互いに手を振った。

帰宅した僕はお風呂に入る。

「そういえば咲季が言ってた行きたいところってどこなんだろう…」と湯船に深く浸かってブクブクさせながら考えた。

「池袋初めてって言ってたし、流れで新宿?それとも動物園かな?」とワクワクする僕。

「どっちにしろ明日行けば分かるか!」と僕は風呂を出た。

風呂に上がり僕は牛乳をごくごく飲んだ。

牛乳を飲む僕の前にお母さんが心配そうな顔でやってきた。

「ねぇ。今日時間が無くなったって言うニュース見たんだけど、トキマ大丈夫だった?」

僕は飲み終わって空になったコップを流しに置く。

「大丈夫だったよ。きっと明日には元に戻ってるはずだから気にしなくていいよ。」と僕はバスタオルで濡れた頭を拭きながら自分の部屋に入った。

僕はすぐに布団に飛び込む。

「場所くらい聞いておけば良かったな…そしたらデートスポットとか検索できたのに…」と僕は布団で顔を隠した。

次の日の朝。

僕は焦っていた。

「なんでだ?なんで?」と急いで準備をした僕は勢いよく家を出た。

━━━なんで時間が無くなったままなんだ?


第6章 待ち合わせの場所


僕は勢いよく家を出た。

外では雨粒がアスファルトに当たってポツポツと小さな音を奏でていた。

「なぜ?どうして?」と必死に考えながら雨の中を走る僕の手に傘は無かった。

周りを気にせず、ただひたすらに的に向かって飛ぶ弓矢のように僕は駅を目指して一直線に走る。

途中で黄色や赤色のカラフルな何かを持つ人たちの横を何度も通ったが、僕の目には駅以外は何も見えていなかった。


やっとの思いで駅に着いた僕は電車の時刻表を無意識に探していた。

「━━時刻表がない!」

駅内ではアナウンスが繰り返し流れていた。
時間が無くなっている今、時刻表を設置する意味がないため外したようだ。

「そっか。そういえば時間無くなってるんだった。」と僕は壁に手を置いた。

僕は壁に背をつけて辺りを見渡す。

「意外と人いるな。電車来ないのになんでだ?」と僕は不思議に思っていた。

するといつもの聞き慣れたアナウンスと共に電車がやって来る。

「時刻表ないのにどうして…?」と目を丸くする僕。

流れているアナウンスで知ったのだが、どうやら時刻表はないけど、電車はほぼ一定の時間感覚で来ているらしい。

しかも車掌さんの長年の経験から来る感覚に任せて運行しているとか。

「すげぇ…」とボーッとしていると電車が閉まりそうになる。

僕は慌てて電車に飛び込んだ。

いつもならイヤホンをさしてスマホで動画を眺めている僕も、今日ばかりは次の駅が表示される電車内モニターをひたすら眺めていた。

外の世界では次第に雨脚が強まっていた。

それからしばらくして川越駅に着き、僕は勢いよく電車を飛び出した。


大雨の中、僕は咲季の家に向かう。
水溜りを蹴る音が静かな雨の世界に響き渡っていた。

彼女の家にたどり着いた僕は「咲季!」と家のドアを叩いてはみたものの、反応はなかった。

仕方なく裏口に回ってみると、ドアは小さく開いていた。

急いで中に入ったが誰もおらず、ただ薄暗い空間があるだけだった。

僕は川越の町を走り回った。

「おばさん!咲季さん見ませんでしたか?」
「トキマ君おはよう!さーちゃん?今日は見てないわね。どうかしたの?」
「咲季さん、家にいなくて。なので見つけたら教えてください!」

「おじさん!咲季さん見ませんでしたか?」
「おう!トキマか!今日はまだ見てねぇな。どうかしたのか?」
「咲季さん、家にいなくて。なので見つけたら教えてください!」

必死に走って回ったが、情報は何ひとつ得られなかった。

もしかしたら待ち合わせ場所に先に行っているのかもしれないという微かな希望を抱いた僕は急いで池袋に向かう。

洋服屋。
カラオケ。
ボウリング場。
ケバブ屋。
水族館。

昨日咲季と行った場所を全て回ったが、咲季の姿は見当たらなかった。

「どこに行ったんだよ…」と僕はスマホに取り出してLINEを開く。

濡れた画面を拭きながら電話帳から咲季の2文字を探す。

スマホの画面越しに見えた僕の顔はなんだか泣いているようだった。

「ない…」僕はスマホを持つ手を下に降ろす。

「なんで…なんで連絡先交換してなかったんだろう…」と僕は空を見上げた。

この時僕はまだ彼女と連絡先を交換していないことに気づいた。
当たり前のように毎日一緒にいたのであまり気にならなかったのである。

鉛色の空。矢のように降り注ぐ雨。アスファルトを弾く雨音。

「なんだ、雨降ってんじゃん…」
僕はようやく雨が降っていることに気付いた。


第7章 偶然


人の声をかき消すほど激しく冷たい雨の中に僕は一人立ち尽くす。

「おい!危ないだろ!」と車から男の人がクラクションを鳴らして顔を出す。

僕は何も聞こえていなかった。

弓矢のように降り注ぐ雨に打たれ続けていた僕はふと下げていた頭を起こし、どこかへ歩き出す。

雨をまるで降っていないかのように気にせず、ただ何も考えずに歩いていると、いつの間にか僕は図書館にたどり着いていた。


図書館。それは僕にとって知識の倉庫である。
小さい頃から気になること、分からないことがあっては図書館に行って閉館まで本を読み漁っていた。

今回も何かヒントが見つかると心の中で思ったのかもしれない。

僕はそこで「時間」に関する本を片っ端から読み進めた。

━━徳川家康は機械時計を持っていた。
━━商人の世界にはすでに時間管理が徹底しているところがあった。
━━江戸時代の待ち合わせは時の鐘による時間把握でなんとかしていた。
━━茶屋など場所指定で待ち合わせをしていた。

「場所指定か。時間指定が役に立たない時代だからこそ、場所指定は理に適ってる。」と僕はうなずく。

僕は目をこすりながらもペラペラとページをめくり、本を読み進めた。

開館したら図書館に引きこもって本を読み漁り、閉館になったら読みきれなかった本を借りて帰る、そんな毎日が続いた。

━━━帰る時の僕の指はいつも黒ずんでいた。

ある日。閉館のチャイムがなると僕はいつものように机に乱雑においた本を整理して帰る支度をした。

今は何月何日なのだろうか。
咲季はどこにいるのだろうか。
僕はそんなことを考えながら窓から暗くなった外を見ていた。

「もう閉館ですよ」と机や椅子を整えながら巡回している図書館の職員が僕に声をかける。

「すいません。今出ます!」と本を抱えて帰ろうとする僕。

本を積み上げて席を立った瞬間、あまりにも抱えすぎたのか本がドミノのように崩れ落ちた。

慌てて本をかき集める僕の横で、職員の方も手伝ってくれた。

「はい!」と職員の方は拾ってくれた一冊の本を僕に渡す。

「ありがとうございます。」とちょっと恥ずかしげになる僕。

「毎日来られますね!」

「え…なんで分かったんですか?」と驚く僕。

「毎日開館から閉館までいたらさすがに覚えるよね。」

「あ…確かに…」と僕は上を向きながら頬をかいた。

「へー。時間に関することをずっと調べているのね!」とお姉さんは拾った本をチラッとめくる。

「はい…待ち合わせをした人がいて…」

「その人。見つかるといいわね!」とお姉さんは微笑み最後の一冊を僕に渡す。

「ありがとうございました!」と僕はお辞儀をした。

僕は受付で本を借りた。

「あれ。そういえばさっきのお姉さんの"見つかるといいね"ってどういうことだ…?咲季がいなくなったって話したっけ?」と僕は図書館全体を見渡す。

しかしお姉さんの姿は見当たらなかった。

「まぁいいか。」と僕はたくさんの本を抱えて家に帰った。


家に帰った僕はリビングでテレビを見ながらご飯を食べる。

「明日の天気は晴れです。日の入りの頃は曇っていますが、太陽が真上に来る頃には晴れとなっているでしょう…」
テレビでは明日の天気予報が流れていた。

時間が無くなってからずいぶんと時が経ったのだろう。
電車だけでなく天気予報もまた、時間が無い世界に必死に適応しようとしていた。

「江戸時代に天気予報があったらこんな感じなんだろうな…」と僕は江戸時代の人の気持ちになってテレビを見ていた。

ご飯を食べ終えた僕は部屋に戻り、ふたたび本を読み進める。

ペラペラと本を読み漁っている途中で一つの古い古文書の本を見つけた。

「あれ。おかしいな。こんな本借りたかな…?」と僕は不思議に思いつつも、好奇心から本をめくる。

どうやら岡山県の何かの古文書のようだ。

古文書とは昔の手紙や日記など文字で書かれている古い記録のこと。

歴史はこう言った文書を読み解いて紐解かれていく。
僕らが知っている歴史や教科書に書かれた歴史はこう言った古文書などから偉い人たちが読み解いてくれたものなのである。

しかし僕自身古文書なんて読めるはずもないので、とりあえずパラパラとページを眺めることしかできなかった。

「昔の人たちってどうやってこういうミミズみたいな文字が書かれた文章を書いて理解してたんだろう」とひじを置きながら呟いていると、偶然ある文字を見つけた。

━━"時切稲荷神社"

「トキを切るいなりじんじゃ…?」と首を傾げる。

何かはわからなかったが、直感が僕を動かし、すぐにメモをとった。

「偶然とか直感には何か意味があるから、その時は思うがままに進みなさい!」
ふと父親が昔教えてくれたことを思い出した。

「朝になったら"時切稲荷神社"について聞きに神社に行こう。ジショウおじさんなら何か知ってるかもしれない…!」

次の日。
僕は地元の神社に走った。
ちょうどそこには僕が小さい頃からお世話になっている神主さんがいた。


第8章 ジショウおじさん


初雪がパラパラと降り出し、道の至る所に雪が積もりつつある日。

僕は滑らないように慎重に足を運びながら、少し早歩きで神社に向かった。

「ジショウさん!ジショウさん!」と神社の境内をキョロキョロしながら僕は声をあげる。

「なんじゃ騒がしいの」とスコップで雪をどかしながら木の影からちらっと顔を覗かせる神主のジショウおじさん。

「神社について聞きたいことがある!」と僕は大声を出しながら神社を走り回ってジショウおじさんを探す。

「それならお得意のインターネットとやらを使えばいいじゃないんか〜?」とジショウおじさんは木の影に隠れながら口に手を当てて大きな声を出す。

「時切稲荷神社について教えて欲しい!」と僕も口に手を当てて叫ぶ。

僕は耳をよくすまして、声を辿りにジショウおじさんの居場所を探す。

「あそこか!」と僕は大きな木の後ろに向かって走った。

「いた!ジショウおじさん!」と僕は指を差す。

「バレたか〜。さすがじゃのう!トキマ!」と笑顔なジショウおじさん。

「おじさんに聞きたいことがあるんだけど!」

「わかったわかった。ちょっといつものところで待っておれ」
ジショウおじさんはスコップで雪をどけて道を作り始めた。


僕は神社の奥の部屋に行く。

「懐かしいな。」と僕は部屋を見渡す。

この神社の部屋は僕が小さい頃よくジショウおじさんに遊んでもらっていた場所だ。

ジショウおじさんはこの神社に50年以上勤めている神主さんで、先祖代々続く神主さんの家系らしい。

ジショウおじさんと僕は小さい頃からの縁がある。

小さい頃に家族で神社に来た時、僕は大事なおもちゃをなくしたことがあった。

落としたはずの失くし物を泣きながら探していた時、一緒に探して、そして見つけてくれたのがジショウおじさんだった。

ジショウおじさんと話すと不思議と安心できて、何よりここぞと言う時には頼りになる人だった。

テストの点数が悪かった時には親に怒られない方法はあるか聞きに行ったり、悩み事があると決まってジショウおじさんのもとへ行って相談に乗ってもらっていた。

僕は静かに座って外を見る。

外ではジショウおじさんがスコップで雪をどかしていた。

仕事をしているジショウおじさんの近くには首が痛くなるくらいに大きな木が一本どっしりと立っている。

「あの木って確か樹齢1000年以上って言ってたよな。すごいよな〜」と木を眺める。

小さい頃によくあの木で遊んでいたことをふいに思い出した僕は小さく笑みがこぼす。


しばらくして、雪をかき分け終わったのかスコップを持ったジショウおじさんがストストとやってきた。

ジショウおじさんは部屋に入ると、お茶をたてて、お菓子と一緒に僕の前にそっと出す。

「で、なんじゃったっけ?」

「時切稲荷神社について教えて!」
僕は一口お茶を飲む。

「あ〜そうじゃったな〜。」
そう言うとジショウおじさんは話し始める。

「時切稲荷神社は岡山県の山奥にある神社でな。地元の人たちにはとっきりさまと言われていて、時間を決めて願うと、失くし物が見つかると言われておるんじゃ!」

「そんな神社があったんだ…」と驚きのあまりに食べかけのお菓子をこぼす。

「つまり止まった時間を動かす神社が時切稲荷神社と言うことじゃ。トキマも失くし物をしたのか?」とジショウおじさんは僕を鋭い目つきで覗き込む。

「う、うん…」と僕は目が合わないように下をむいた。

ジショウおじさんはなんでもお見通しだ。隠し事をしてもすぐに当ててくる。昔からそうだった。

「その失くし物はこの世界の時間が無くなったのと何か関係があるのじゃな?」とおじさんは僕に聞く。

「うん…」
僕はうなずくことしかできなかった。

「それ以上の詮索はせん。しかし、失くした物はしっかりと見つけ出すんじゃよ!」と僕の肩をポンと叩いた。

ジショウおじさんはお茶を飲み終えると立ち上がり、ポンと膝を叩くと外に出て雪かきを始めた。

僕も残ったお茶を飲み干して帰ろうとすると、コップの下に紙が挟まっていることに気づく。

「時切稲荷神社の地図だ…!」
僕は残ったお茶を飲み干すと、コップを置いて立ち上がる。

「ありがとう!ジショウおじさん!」と僕はジショウおじさんを横切って走っていく。

「気をつけるんじゃぞ〜!」とジショウおじさんは手を振る。

ジショウおじさんは最初からここまで予想していたのかもしれない。そう思いながら走った。

「あり得ない話だけど…ジショウおじさんならあり得るな」と僕はいつの間にかクスッと笑っていた。

「走れ少年よ。」
ジショウおじさんは走る少年の後ろ姿を暖かい目で見ていた。


第9章 自由なタクシー


僕は走りながらキョロキョロとタクシーを探した。

時間が無い世界。
時間をもとに正確にやってくる電車やバスは時間が無ければいつやってくるのか分かりもしない。

対して、タクシーは時間に縛られずに自由に走っているので、時間がなくなってもいつもと変わらず乗れる。

まさにタクシーは時間の枠から外れた乗り物なのである。

「なんか似てるな…」と呟いている僕の横を一台のタクシーが通りすぎろうとした。

「あ、ちょっと待って!」と僕は慌ててそのタクシーを追う。

運転手が僕に気づいてくれたのか、タクシーは道の横に静かに止まった。

後ろのドアが静かに開き、僕はタクシーに乗る。

「おじさん!東京駅まで!」

「あいよ!」とおじさんは開けたドアを閉める。

タクシーが大きな音を出しながら勢いよく出発すると、僕の身体は後ろへ倒れた。

「あんちゃん!シートベルト!シートベルト!」
おじさんは前を向きながら僕に言う。

「あ、すいません!」と僕はすっかり忘れていたシートベルトをする。

「東京駅ってことはこれから旅行かい?」

「はい!」

「そうだと思ったよ。最近、旅行に行く人が増えてるからね!」とおじさんはハンドルを回す。

「そうなんですか!」と僕は驚く。

「あの〜時間が無くなってから。確かあの頃からだね〜。」

「でもなんで増えたと思う?」

「なんだろう…」と僕は見当もつかず考え込む。

「あんちゃんはどんな時に映画を見るんだい?」

「見たい映画があった時!」

「じゃあ温泉に行く時はどんな時だい?」

「温泉に入りたい時!」

「どっちも見たい!入りたい!って思いで行くのかもしれないけど、思いの前に大事なことがあるんだけど分かる?」

「大事なこと…大事なこと…」

赤信号でタクシーが止まり、おじさんは僕の方を振り返る。

「心の余裕だよ。」

「旅行って江戸時代の頃にめちゃくちゃ流行ったのは知ってる?」とおじさんが聞いてくる。

「はい。少し聞いたことがあります。伊勢参りとかですよね?」

「そうそれ!あんちゃん歴史詳しいね!それなら話が早いわ!」

「ありがとうございます。」

「江戸時代って戦いが無くなって平和になったでしょ?その平和が人々に心の余裕を持たせたんだよ。」

「その心の余裕から人々が娯楽に向き合えるようになった。旅行とかはその代表例だね。」

「なるほど…!」と目を輝かせる僕。

「今の人たちも時間を気にする必要が無くなって心に余裕が生まれて、旅行してるんだろうね。」

「つまり、時間が無くなって良かったと言うことですか?」と僕はおじさんに聞く。

「旅行してる人たちにとっては時間が無くなって良かったのかもね。」

「それはどう言うことですか?」

「時間が無くなって心に余裕が生まれる。それは旅行とかできるようになっていいことだと思う。でも時間があることによって恩恵を受けていた人たちからしたら…?」

「良く思わないですね…」
僕はふと咲季のスマホに届いていたどこかのお母さんのコメントを思い出した。

「この世の中は誰かが得をすると誰かは損をするようになってるんだよ。光と陰が表裏一体なのと同じだね。だから物事を良い悪いだけで判断するのは間違えだとおじさんは思うよ。」

このおじさんの言葉に僕は何も言えなかった。

「若葉の少年よ。自分が正義だと思っていることは自分以外からしたら悪である場合があるということ。これだけは覚えておきなさい。」

「はい!」
僕はおじさんの目を真っ直ぐに見て言った。

「あんちゃん。良い顔しやがるな〜!」とおじさんはアクセルを踏む。

信号が青に変わり、タクシーは再び動き出す。

「そう言えばあんちゃんも歴史好きだよね?きっと。好きな武将は誰なの?」

「え…?えーと、織田信長です!」

「歴史好きの割には普通の答えだな。わしは…」

その後も僕とおじさんはたわいもない話を続けた。

━━━まるで道路を走る屋形船のような賑わいだった。

おじさんと話しているうちに東京駅につく。

「色々とありがとうございました!」と外へ出る僕。

「頑張ってらっしゃい!」とおじさんは車のドアを閉める。

そのタクシーは人や車が賑わう雑踏の中を自由に走り去っていった。


岡山行きのチケットを買った僕はホームのベンチに座り、いつ来るか分からない新幹線を待つ。

「確かに旅行する人いるなー」

子供連れの家族や新婚ホヤホヤそうな夫婦など旅行客らしき人たちがちらほらいる。

これから旅行に向かうだろう人たちはみな楽しそうに笑っていた。

「自分の正義は他人からしたら悪か…」と僕はタクシーのおじさんに言われた言葉を思い出す。

「笑っていない人たちがいるってことだよな…」

彼らの笑っている顔を見ることができなくなった僕は下を向いた。

僕は何分下を向いてたのだろうか。

急に風が吹き、僕の髪が揺れた。

不思議に思った僕は顔をあげると、目の前に新幹線が走っていた。

新幹線が来たのである。

僕は膝に手を置いて立ち上がり、新幹線に乗り込んだ。

新幹線に乗って5時間くらいだろうか。ついに目的の岡山県に到着した。


━━岡山県。
戦国時代には多くの戦いが行われていた場所である。
戦国最大の事件とも言われる本能寺の変が起きた時、豊臣秀吉が攻めていたのが備中高松城。まさに岡山県であった。

余談であるが、岡山周辺を支配していた有名な戦国大名に宇喜多秀家と言う人物がいた。
秀家が城を築いた時に、その場所が小さい丘で岡山と呼ばれていたことから城の名前が岡山城となり、その城下町も岡山と呼ぶようになったのが岡山の地名の由来と言われている━━

岡山駅を出た僕はふとポケットに閉まっていたジショウおじさんの地図を取り出して、もう一度見てみた。

「あれ…よく見たらこれ昔の地図だ。。」

ジショウおじさんからもらった地図は確かに時切稲荷神社への地図だったが、今の時代には対応していない古い地図だったのである。

「これじゃあ意味ないじゃん!」
僕は仕方なく、スマホを開いてGoogleマップを起動する。

今や、地図と自分の居場所を瞬時に正確に、そして手軽に教えてくれる時代である。

昔のようなアバウトすぎてどこにいるかも分からない地図ではないし、かさばる大きさではなく手のひらサイズである。

ここまでの進化の裏には、命をかけて歩いて地図を作ってくれた伊能忠敬や先人たちの頑張りがあるのを忘れてはいけない。

「ありがとうございます!」

僕は古い地図をポケットにしまい、スマホを片手に歩き出した。


第10章 古い地図


僕はスマホで時切稲荷神社への最短ルートを検索した。

時切稲荷神社までは約40km。
1日20kmペースで歩ければ2日で着く計算だ。

ちなみに1日20kmというのは現代人にとっては長く感じるが、"歩き"が交通手段として当たり前だった江戸時代の人にとっては短い。

当時の日本人は40km歩くこともよくあったほどだ。

「意外と距離あるな〜」と僕は呟くと、進む先に視線を移す。

時間はおそらく正午過ぎ。
お昼ご飯を食べようとサラリーマンたちが歩いていた。

「今がお昼だってなんで分かるんだろう…」と僕は不思議に思いながら見ていた。

サラリーマンたちを見ていると突然、僕のお腹からグーと音が鳴る。

「なるほど…そういうことか!」と僕はお腹を抑えながら笑う。

「体内時計か。」

人体にはお腹が空いてくるお昼くらいになると鳴り出す不思議な時計が備わっている。

つまり時間が分からなくてもお腹が鳴ればお昼時というわけだ。

「人って時間が無くても生きていけるじゃん…」と僕は近くのコンビニで買ったおにぎりを頬張る。

おにぎりを頬に詰め込んだ僕は歩き始めた。


駅から離れると大きな建物が減っていった。

見上げる建物ばかりの東京に慣れていた僕は新鮮さを感じていた。

歩きながら、道を間違えていないか適度にスマホを確認した。

「次はここの道か…」と顔を上げると古い石畳の道が広がっていた。

石畳は昔流行っていた石を敷き詰めまくった道のこと。
今でも箱根の山道には石畳が当時と変わらない姿で敷かれている。

「ここは昔はどんな道だったんだろう…」と僕は想像を膨らませながら、つまづかないように慎重に足を運ぶ。

「あ…!」
僕は石と石の隙間に爪先を挟んで転んだ。

アスファルトの道を歩き慣れている現代の僕らには石のデコボコした道を歩くのは至難の技なのである。

石畳をなんとか歩き切った僕は黙々と道なりに歩き続けた。

歩いていると時々見える古い建物やお寺は僕を江戸時代にいるかのように感じさせ、この旅の雰囲気を一層引き立てた。

「おお!すげぇ!」
歴史を感じるものを見つけるたびに、僕は目を輝かせる。

パシャリ。パシャリ。
僕は、通り道で見つけた歴史っぽいものや綺麗な風景をスマホの写真で撮った。

歩き続けていると一件のシャッターが閉まったお店を見つける。

「なんのお店だろう…?」とお店に近づく。

そのシャッターには一枚の張り紙がしてあった。

「江戸時代にお店を開いてから200年もの間ありがとうございました。諸事情によりこの度お店を閉めることになりました…」

それは時計の修理や販売をするお店の閉店の挨拶だった。

「諸事情…これって俺らの…」
僕は張り紙を前に立ち尽くす。

言葉が出なかった僕は逃げるように先に進んだ。


空が鉛色で覆われた頃。あたり一面がこげ茶色の田んぼを横切った。

田植えは暖かい場所から始まっていき、ここ岡山はだいたい4~5月あたりには始まる。

この田んぼはまだ田植えをしていないまっさらの状態だった。

そんな田んぼの奥におじいさんとおばあさんが見えた。
田んぼの真ん中で何か会話をしているようだ。

おじいさんの大きな声の後におばあさんの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

田んぼにいるおじいさんとおばあさんはまるで時間を全く気にせず生きているようだった。

二人の和やかな雰囲気を眺めていると、ちょうどおじいさんたちの上の空の隙間から光が差し込む。

「眩しいや…」
僕はそういうと鉛色の道を歩き出した。


しばらく歩いていると徐々に民家が無くなっていき、木々が増えてくる。

山に入ったのだ。

空はゴロゴロと唸りを上げている。

「雨が降る前に山を抜けないと…」
僕はスマホを片手に早歩きで歩く。

ポツ。ポツ。

スマホの画面に雨粒が落ちてくる。

━━雨だ!

僕は急いで雨を凌げる場所を探して走る。

僕は走っている途中に草が生い茂っている洞窟を見つける。

「あ!あった!ラッキー!」と僕は洞窟へ飛び込む。

僕は濡れた服をすぐさま脱いで、予備の服に着替えた。

濡れた服を絞るとポシャポシャと大量の雨水が出てきた。

僕は絞った服を石の上に置く。

火を付ける道具がなかったので、スマホのライト機能を使って洞窟に光を灯した。

「広くは…ないな。」

そこは人がギリギリ一人入れるくらいの小さな洞窟だった。

「今日はここで休むしかないな。明日には着くだろうし、今日はゆっくり休もう。」

僕は猫のように身体を丸めながら眠る。

激しい雨の音が静かな洞窟の中に響き渡った。

朝。
洞窟に差し込んだ光が目に当たり、僕は目を覚ます。

「まぶしいな…」と目を開く僕。

雨で濡れたつぼみの隙間からピンクの花が顔を出そうとしていたのがうっすらと見えた。

「なんの花が咲くんだろう…?」
寝ぼけている僕は目をこすりながら起き上がった。

洞窟の外は昨日の大雨が嘘のように外はこれでもかというくらいに晴れていた。

「よし!行こう!」
僕は洞窟の外に出て再びスマホで時切稲荷神社の場所を調べようとする。

「あれ…?」

スマホを押しても反応がない。

ポチポチといくら押してもずっと真っ暗のままだった。

昨日の雨で壊れたのか、電池が無くなったのか。
どちらにしてもスマホが使えなくなってしまった。

「どうしよう…これじゃあ時切稲荷神社に行けない…」

とりあえず人を見つけて場所を教えてもらおうと思ったがここが山奥だということを思い出す。

「来た道を戻るしかないか。」と僕は昨日の濡れた服を畳んでしまおうとすると、ズボンのポケットから1枚の紙がひらりひらりと落ちる。

「あ!」

ひらりと落ちたのはジショウおじさんからもらった古い時切稲荷神社への地図だった。

明らかに江戸時代とかそれくらいの時期の古い地図で、どこがどこで、どうやっていけばいいか見ても全くわからない。

「昔はこんな地図を使うしかなかったんだよな…」と今がどれほど便利が痛感した。

「ないよりはマシか。それに戻ってる時間なんてないしな。」

僕はその古い地図を拾い、静かに立ち上がって洞窟を出る。


第11章 迷子


太陽がちょうど真上にある頃。
僕は地図を見ながら山道を歩いていた。

しかし、いくら見ても地図が古すぎて自分がどこにいるのかさえも分かっていなかった。

「俺は今どこにいるんだ…ここはどこなんだ…」
この時の僕の地図を持つ手は小刻みに揺れていた。

それでも僕は地図を諦めずに見続けた。

地図のどこかに目印になるものがあると信じていたからである。

大昔から残っているものは基本的には新しい時代への移り変わりとともに消えていくが、それはあくまで都市部の話である。

ここのような地方の山やその付近などは変わらず昔のままの姿で残っていることは多い。福島県にある大内宿や長野県にある海野宿などの宿場はいい例である。

つまり、そういった昔と同じものを何かしら見つけることができれば、ある程度の場所が割り出せるということだ。

時間による劣化か、所々が薄くなり、色あせて見づらい地図を僕は目を細めながら隅々まで見た。

「何か…!何か手がかりを…!」


何時間経っただろうか。

地図を見ながら歩いていると、いつの間にか地図が見えなくなっていた。

「おかしいな…」と僕は辺りを見渡すと真っ暗な世界が広がっていた。

すでに夜になっていたのだ。

偶然にも小さな明かりが見えた僕はそこへ向かう。

「自動販売機か…!」

僕は久しぶりに笑った。

一人で山道を歩く僕にとっては自動販売機の光がとても嬉しかったのである。

この時の僕は、電気がなくて夜が真っ暗だった江戸時代の人の気持ちが何となくわかった気がした。

僕は疲れ切って動かない足を引きずりながら自動販売機の光に向かって歩く。

なんとかたどり着いたその自動販売機には幸運にもおでんが売っていた。

「おでんだ!」と僕は人差し指で突くようにボタンを押した。

ガタンと出てきたおでんの缶を僕はしゃがんで取り出す。

「あっつ!」
ボーッとしていた僕はおでんの予想以上の熱さに声を出す。

自販機の横に付いていた割り箸を手に取り、口に加えて割り、静かに手を合わせた。

「━━いただきます!」

暗闇の中の自動販売機の微かな光に照らされながら僕はおでんを食べた。

「美味しい。」
久しぶりに食べた暖かい食べ物に笑顔が止まらなかった。

「大根だ!おでんと言ったら大根だよな!」と僕は横を向く。

しかし、横にはもちろん彼女の姿は無かった。

「あ…そういえばそうだった…」と僕は静かに大根をかじる。

「久しぶりにキンキンに冷えた麦茶飲みたいな…」と真っ暗な空を見上げた。

食べ終わった僕は念のためいくつかおでんの缶を買い、バッグにしまう。

「ごちそうさまでした━━」

僕はいつの間にか寝てしまった。


それから毎日のように地図とにらめっこしながら歩いた。

行き止まりにあったり。

木にぶつかったり。

僕は合っているかも分からない道をただひたすらに歩き続けた。

もう何日経っただろうか。
買いだめしていたおでんは底を付き、体力も限界をとうに超えていた。

━━いつの間にか僕は迷子になっていたのだ。

その事実を受け止めた瞬間、意識が朦朧として倒れた。

「咲季…ごめん…」
僕の目は閉じようとしていた。

その瞬間。
柔らかい風が吹き、辺りの木々が音を奏でる。

僕の頭の上にひらひらと一枚のピンクの花びらが落ちた。

コツコツ。
遠くから微かに杖をつく音がした。

その音を最後に僕は目を閉じた。


気がつくと僕は暗い場所にいた。

辺りは何もない。

ただ真っ黒な世界があるのみ。

僕はとっさに「誰か!」と叫ぶ。

しかし、なんの反応もない。

真っ暗な世界を歩いてると、遠くに人が見えた。

「咲季?」僕はその人の方に向かって走り出す。

後ろ姿しか見えないが、毎日一緒にいた僕にはわかる。あれは間違いなく咲季だった。

「咲季!咲季!」と僕は走りながら声をかけるが反応がない。

追いかけているのにいつになってもたどり着かず、咲季とはどんどん離れていく。

「なんで?どうして?」僕は離れていく咲季に向かって必死に手を伸ばしたが、ついに見えなくなった。

針が止まるように僕の足が止まる。


暗闇で立ち尽くしていた僕の頭に突然、何かに叩かれたような激痛が走った。

「痛っ!」と僕は目を開けると目の前には杖を持ちながら座布団に座っているおばあさんがいた。

おばあさんの後ろに本棚が見えた。

よく目を凝らすと何冊か本が置いてある。

「なんか見たことある本だな…なんだっけ…?」と僕は頭を傾げた。

よくよく辺りを見渡すと、とてもとても古い家だった。

居間には囲炉裏があり、井戸が家の中にあった。
現代じゃ考えられない様式の家だ。

「江戸時代にタイムスリップした気分…」と僕は心の中で呟く。

「あの〜、もしかして、ここは天国ですか?それとも地獄ですか?」と僕は小さな声で尋ねる。

「天国でも地獄でもないわよ!」とおばあさんは持っていた杖で僕をコツっと叩いた。

「痛ってえ〜」と僕は両手で頭をおさえる。

「あなた、ずっと咲季咲季咲季咲季言ってたわよ」とおばあさんは笑いながら話す。

あまりの恥ずかしさに僕は顔を下げた。

そしてまたコツっと僕はおばあさんに叩かれる。

「あんた、まだ諦めていないわよね?」とおばあさんは僕に言う。

「あ、当たり前じゃないですか!」と僕は顔をあげる。

「ならよろしい」とおばあさんは持ってる杖に両手を置いて笑顔を浮かべた。

おばあさんは重い腰を上げて立ち上がり、オレンジ色に輝く障子を開ける。

「眩しい」僕は手を目の上にかざしながら見上げる。

「この世界にはね。無駄なものなんて一つもないんだよ。全てに意味がある。この太陽だってそう。太陽の光は朝を教えてくれるし、植物や、もちろん人間にも生きるためのエネルギーになるんだよ。」とおばあさんは遠くを見る。

「だから諦めずに、無駄だと思わずに、歩いてみなさい!」とおばあさんは僕を見て微笑んだ。

「ありがとうございます!」と僕は立ちあがる。

「そういえばおばあさん。どこかで会ったことありましたか?なんか初めて会った気がしなくて…」と僕は首を傾げる。

「意外と世界は狭いと言うからね。どこかで会っているかもしれないね」とおばあさんは外を見る。

僕は静かに会釈をして外に出る。


歩こうとした時、ふと本棚に置いてあった本が気になった僕は後ろを振り返った。

「そういえばおばさん…!」

そこにおばあさんの姿は無かった。

「おばあさん…?」と家の中に恐る恐る入る僕。

「どういうこと…?」と僕は戸惑う。

使い終わった炭が散乱している囲炉裏。

水が全くない井戸。

そして蜘蛛の巣が張った本棚。

さっきいた家が一瞬で何百年も経ったようだった。

僕は本棚に置いてあった本を手に取る。

かぶっていたホコリを払うと時稲荷神社という文字が見えた。

僕は無我夢中で紙をめくる。

どうやら時稲荷神社に深い関わりがある人物による日記のようだった。

「誰なんだろう…?」とペラペラめくっていると最後のページにたどり着く。

最後のページを開くと、そこには一枚の古い紙が挟まっていた。

それは時稲荷神社の行き方を記した地図だった。

「あれ。これ…似てない?」
僕はポケットからジショウおじさんから貰った地図を取り出す。

僕はジショウおじさんから貰った地図と日記に挟まっていた地図を比べる。

「やっぱりそうだ!同じ地図だ!」

ジショウおじさんから貰った地図は時間による劣化で所々が薄くなっていたが、日記に挟まっていた地図は鮮明なままだった。

僕は日記に挟まっていた地図を凝視する。

「あ!」僕は一つのことに気づく。

ジショウおじさんから貰った地図の薄くなったところには、元々一つの家が描かれていたのだ。

日記に挟まっていた鮮明な地図と比べないと気づかないことだった。

「この家って…」と僕は外に出て、地図と家を重ねてみた。

「やっぱり!」

その地図に描かれている家はまさにこの古い家だったのだ。

「つまり、時切稲荷神社はこの家の前の道を進んだ先か!」

僕は誰もいない家に向かって静かにお辞儀をする。

一抹の時が流れた後、頭をあげた僕は歩き始めた。


第12章 桜が咲く季節に


急な山道に差し掛かる。

体力の限界をとうに超えていた僕の足は重かった。

「あと少し…!あと少し…!」僕は一歩一歩足を進める。

しばらくして、周りを見る余裕のなかった僕は足元の木の根に気付かず、つまずいて倒れた。

「痛てて…」と足についた土をどける僕。

顔をあげた僕は目を疑った。

目と鼻の先に赤い鳥居があったのである。

僕は立ち上がり、赤い鳥居を目指して馬車馬のようにまっすぐ駆け抜けた。

足が絡まり、転ぶ。
転んでは立ち上がり、また走る。
ただまっすぐ前を見つめて走った。

この時僕は不思議と疲れを忘れていた。

顔中に土ボコリが付きながら、僕は赤い鳥居の前にたどり着く。

赤い鳥居を潜り抜けた先に待っていたのは紛れもなく時切稲荷神社だった。

僕はいつの間には時切稲荷神社に着いていたのである。


息を整えて最後の赤い鳥居を潜り、拝殿の前に立つ。

僕は静かに鈴緒を持った。

「とっきりさま。どうか咲季を見つけてください!」

そう祈りながら僕は金を鳴らした。

静かな山に鐘の音が鳴り響く。

僕は顔を下げて手を合わせて心の中で何度も何度も祈った。

しかし、何も起こらなかった。

僕は静かに鈴緒から手を離す。

僕は顔をあげる。

ここで祈ったところで咲季が帰ってこないのは分かっていた。
ただ祈ることに意味があると信じてここまで来たのだ。

そう自分に言い聞かせていた僕の拳はなぜか強く握られていた。

「いつか必ず…!」そう言って振り返ろうとした瞬間、強い風が吹く。

風に運ばれた一枚のピンクの花びらが僕の足元にひらひらと落ちる。

「なんだこれ…」と僕はしゃがんで花びらを拾う。

それは桜の花びらだった。

驚いた僕は辺りを見渡す。

そこには一面に溢れんばかりの桜が咲き、桜の木々の間から太陽の光がこぼれていた。

あまりの景色に僕はいつの間にか立ち上がっていた。

「もう春だったのか…」
上を向く僕の目から滴が落ちる。

滴は透き通った桜色をしていた。

ずっと周りが見えていなかった僕は、ここで初めて桜が咲いていること、今が春であることに気付いた。

綺麗な桜に見惚れて立ち尽くしていると、「トキマ!」と懐かしく、そして聞き覚えのある声がした。

横を向くと、そこには咲季が立っていた。

「咲季!」
僕は走って咲季に抱きつく。

「どこ行ってたんだよ。バカ!」
僕の目からはポロポロと大きい雨粒が流れていた。

「私。信じてたよ!トキマならここに必ず来てくれるって!」と咲季は涙を拭いながら微笑んだ。

「約束した待ち合わせ場所と全然違うじゃねぇか!」と僕も涙を拭いながら微笑んだ。

━━━桜が咲く季節に僕らはまた出会えた。


僕はここに来るまでのことを思い返していた。

タクシーのおじさんが言っていた「自分が正義だと思っていることは他人からしたら悪」という言葉とともに偶然見つけた、閉店していた時計屋さんを思い出す。

僕らが知らないだけで、あのように時間がなくなって困っている人がたくさんいるということを実感した。

一方で時間が無くなってもあまり困っていない人たちの姿も思い出した。

経験を生かして運転する電車の運転手。

腹時計でお昼時を把握するサラリーマンたち。

時間を気にせず楽しむ農家のおじいさんとおばあさん。

彼らはみんな時間が無い世界で無いなりに生きていたことを実感した。

そして、杖のおばあさんの言っていた「無駄なものなんて一つもない。全てに意味がある」という言葉。

今彼女に再び出会えた僕は諦めずに歩き続けた意味があったと実感した。

僕は色んなことを見て学んで成長し、一つの答えにたどり着く。

時間は人を縛るものでいらないものだと思っていたけど、そうじゃなかった。

時間を活かすか、時間に活かされるかはその人次第なんだと。

そして何より一番大切なこと…。

それは、時間はあると便利な時があるということ。

電車を待つ時。

それから…

誰かに会いたい時。

桜が踊る山に時計の針を刻む音が静かに響き渡った。


ー数年後。

「ドアが閉まります。ご注意ください!ドアが閉まります。ご注意ください!」と電車の出発アナウンスがホームに鳴り響く。

僕はドアが閉まる瞬間、忍びのように電車に飛び込んだ。

「あぶねぇ…」と息を整えながら時計を見る。

「10時か。走れば間に合うな!」

ドアが開き、僕は電車から飛び出す。

腕を大きく振りながら僕は全力で走る。

「ごめん!お待たせ!」と僕はセーフのポーズを取る。

「全然セーフじゃないよ!10時半に集合って言ったじゃん!」と頬を膨らませる彼女。

「ま、まぁ俺って江戸時代の人だからさ。時間にルーズっていうか?」と頭をかきながらチラッと時計を覗く。

時間は10時50分だった。

「あとでスイートポテトおごるから許して!この通り!」と僕は手を合わせて謝る。

「じゃあ、あとでスイートポテトと芋のアイスクリームね!」とそっぽを向きながらも笑っている彼女。

二人は美味しそうな匂いがするお店に入り、席に座る。

「「おじさん!いつもの!」」


あとがき


僕の人生で最初の小説「時間の無い世界で、また君に会う」はいかがでしたか?

テーマは「時間」。

最初は時間なんていらないと考えていた主人公とヒロイン。

そんな彼らが時間に縛られた世界(時間の牢獄)から抜け出そうとしていくうちに、時間に対する考えが少しずつ変わっていくという物語です。

僕がこの小説を執筆した理由は生きている中で「この世界時間に厳しすぎない?時間なんていらなくない?」と思っていたからです。

まさに小説の主人公トキマと同じ考えでした。

僕も学生時代は毎日遅刻してよく怒られていました。

今の世の中は時間にとても厳しいです。

1分でも遅刻をすると怒られます。

電車が遅刻するとそれだけで駅員さんは多くのサラリーマンに怒鳴られる光景もよく見ますよね。

でも日本は元々時間にルーズだったんですよ。

それは時計が庶民には普及しておらず、日の出日の入りによって行動していたからです。

日が出てきたら動き出す時間。
日が沈んできたら帰る時間。

そんなゆったりとした生活をしていました。

時間に厳しくなってきたのは海外に追いつこうと必死に走っていた明治時代から。

時間が厳しくなるまでにはそういった色んな歴史があるのです。

「時間は必要だ!」「時間はいらない!」など時間に対する価値観は人それぞれだと思いますが、ここで今一度「時間」と向き合ってみてください。

この小説を読んだ先に時間に対する自分だけの答えや考えが見つかったなら嬉しいです。

サポートも嬉しいですが、読んだ感想と一緒にこのnoteを拡散していただけるとめっちゃ嬉しいです!