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技術が先か、熱意が先か


「主観を書いていいんだ」

ブログを読んでいる人に言われた。
そりゃあそうだろう、とは思うものの。

これについて思うこと、どう考えて、いかに答えるべきか。
そんなに改まって称賛に値されても、バットを買ったくらい(素振りができる程度)では喜べない。答えに困ったので、現時点での返答を書いた。

主観があること

ぜんぜん今まで考えたこともなかったことについて、考えるきっかけになった。そもそも当たり前の話で、書きたいこと、伝えたいことがあるから筆や手や指や体が動く。つまりは、心が動くから書くものである。
伝えたいことがあるのかないのか。まずそういう気持ちがあると、どうしても主観になる。
反面、仕事だから、書けと言われたから、こういうものだから、みんなこうやっているから、など云々。文章を書くのに慣れていても、そういう気持ちでは書くべきことは見つからない。SNS世代なんて言葉があるほどに、平等に公平に均等に文章に触れる機会もある。本をたくさん読んでいるからうまく書ける、なんてちょっと見当違い。バットを振ってもボールに当たらない。
おまけにうまく書けないだの言われても、何がうまくて何がうまくないのかわかっている、ときた。そういう人に限って、だいたいバッターボックスにすら立たない。素振りからはじめよう。

うまく書くこと

これについては、いろいろ手段があると思う。これについて書く予定はないので、端的にまとめるとすると、書きながら編集をすれば良い。と思う。
自分が一番最初に読む読者で、まず自分がどう思うかってこと。うまく文章が繋がっていない、読んでいてよくわからないなあって思う場合は段落や章に分けるとすっきりする。
大事なのは何を伝えたいのか。つまり何に心が動いたのか。わりと日常にあることが多い。

・話は逸れるようで、戻ってくる

高校生の時だったと思う。ギターを片手にある友人が言っていた。
「こいつらは簡単すぎて面白くない。簡単に弾ける。」
満足気に難しそうな指の動きを繰り返しながら言い放っていた。放たれた言葉や難しそうな指の動きは誰かに響くのだろうか。

大人になってから、またそういう人に出会った。ある製品をみて、
「あんなの簡単だよ。誰にでもつくれるよ。」
すごいなあって思う人もいるのかもしれないが、どちらも俺すごい感の上に成り立っていて比べる相手をけなしている。もしくは比べるところを間違っている。
誰にもできないことをしたいって表現に言い換えられるのかもしれないけれど、誰にもできないことをしているひとたちをけなす必要はないし、できるできないでは土俵にすら立っていないと思う。(とても甘い考えなのかもしれないが)

・話を戻すと

拙い技術であろうとも、心を動かされることに魅力を感じる。
10代後半とか20代前半でデビューしたミージュシャンが演奏の下手さを酷評されようが、心が動く人がいれば(つまりファン)、酷評も妬みのように聞こえる。歳は関係ないような気もするけれど、立派な武器の一つだと思う。

例え、未完成に見えても、気に入って使ってくれる人がいればいいんじゃないだろうか。例え、書き慣れていない文章でも伝えたいことがあれば、いいんじゃないだろうか。

演奏がいくら上手であっても、伝えたいことがなければ意味をなさないし
すごい商品であったとしても使われないと存在する理由がない。A5牛と言われようが、価値がわからないとおいしくない。

感動こそ、糧。

本を読んだり、ほかになんだろう。アートに触れたり、どっかにいったり・・・うまく言えないな・・・なにせきっと影響を受けたがっているんだと思う。自分が感動できることを求めるように。

正しいとか間違っているとかじゃないんだけれど
すごい技術に感動したなら、それをどうやって世に放つかを考えないといけない。じゃないとみんな損をする気がする。熱意があるなら、行動しないといけない。

というわけで、タイトルの答えはなくって
ぼくとしては熱意が先だと思いたいんだけれども。


nakabayashi


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