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奄美の大和世(やまとんゆ)を考える!

 NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」、5年前の作品である。作品の中で西郷隆盛が奄美大島に流されたシーンを思い出した。

 奄美群島は名目上は琉球王国の一部であったが、薩摩藩は奄美群島を割譲させて直轄地とし、1613年(慶長18年)、代官所や奉行所を設置した。中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、役人も派遣させており、この頃の奄美群島は、薩摩からは道之島(みちのしま)と呼ばれていた。

 薩摩は住民にサトウキビ栽培を奨励したが、薩摩藩の財政悪化と共に中・後期には搾取のようになって過酷になっていった。薩摩はサトウキビを原料とした黒砂糖を幕府や商人に専売することで富を得ていたが、サトウキビ中心の栽培は不作が起こると飢饉に結びつくような有様だった。奄美の人々はサトウキビから黒砂糖を作り、薩摩に税として納めていたが、その過酷さは黒糖地獄と言われるほどだった。

 本国から離れた奄美大島は薩摩藩の流刑地とされていたが、送り込まれた罪人の中には知識人もいて、博学の彼等の中には住民に受け入れられた人もあった。幕末には西郷隆盛も流人生活を送り、島の女性である愛加那と結婚して子どもをもうけている。薩摩藩の統治時代を大和世(やまとんゆ)とも呼ぶ。

 薩摩藩が奄美大島の人々に過酷なサトウキビ作りを強制させ、黒砂糖を年貢として納めさせていた歴史は「黒糖地獄」と呼ばれている。大河ドラマ「西郷どん」の視聴者からも、地獄と呼ばれる歴史があったことを知らなかった・・と大きな反響が上がったそうだ。黒糖地獄の歴史とはどんな過酷なっものだったのか。

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