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残暑の候、核といのちを考える

 女優の吉永小百合さんが、平和を願う小さな集会で、初めて読み上げた原爆の詩に胸打たれ、「読み続けていかなければ」と心に誓ったのは、今から 37年前、1986年のことだった。その2か月後、チェルノブイリ原子力発電所の大事故が起きた。チェルノブイリ原発から半径30km以内は放射線量が高く、今でも立ち入り禁止区域となっている。事故の放射線被曝と癌や白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地があるものの、事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果もあり、事故後に生まれた被災者の子どもまで含めると、死者は数十万人にも及ぶと言われている。そのチェルノブイリ原発がロシアによるウクライナ侵攻によって制圧された。今はどうなっているのかはよくわからないが、南部にあるサポリージャという大きな原発がロシアの不法占領と攻撃によって、多くの安全装置が作動しないでいるとの情報がある。

 「ヒロシマ」「ナガサキ」…地球に2つしかない被爆地として世界的にも有名な地名である。唯一の被爆国である日本は、原子力の「平和利用」を前提に、その経済的発展のための電力を得るべく、原子力発電所を全国に建設し、国民に原子力の安全神話を植え付けてきた。原発のゴミとして生まれるのがプルトニウムという物質だが、長崎に投下された原爆はプルトニウム型原爆であり、プルトニウム8kgでナガサキ型原爆が1つ製造できる。いま日本には、原子力発電所の生み出したプルトニウムという名前のゴミを48トン保有している。実は日本は、6千発分の原爆の原材料を持つ世界有数の核保有国なのだ。万一他国から攻撃を受けるようなことがあれば、その被害は測り知れない。

 そして、12年前、東北大震災により原発の安全神話が脆くも崩れ、「フクシマ」という地名が第2のチェルノブイリとして世界的に有名になった。これはフクシマの怒りであり、悲しみでもある。37年間、非核を朗読されてきた吉永小百合さんは自戒を込めて2016年にこう訴えた。
「原子力については、これまで”平和利用”という心地のいい言葉が使われてきました。私も、どこかで怖いと思いながらも、原発を受け入れてきました。でも5年前の事故で、心から”さよなら原発”を願うようになったのです。地震が多発する、しかも、近未来に大地震も予想されているこの国に、はたして原発が存在していいのか。また、このままでは福島第一原発のような大惨事が繰り返されることになるのではないか…。経済よりも、最優先すべきは人間の命、そして、人々の生活だと、私は考えますし、政府には被災された方たちに、もっと救いの手を差し伸べてほしいと思います。」

 原発は確かに効率よく安価に発電する。原爆も効率よく人を殺戮する。しかし、効率と命は秤にかけることはできない。原子力は人を危険にさらす。しかも誰にも責任が取れない。なぜなら、現在のチェルノブイリの姿から37年後のフクシマが確実に予測できるからだ。福島第一原発から汚染水の海への放出が始まってしまった。国は数値を示し、安全性を訴えた上での放出なのだが、その数値は果たして正しい情報なのか、さらに、その数値の放射能で海洋生物や人間になんの危険性もないと誰がどうやって証明できるのか。

 「放射能の拡散」と「いのちの輝き」は相反するのだ。責任を未来へ押し付けるやり方はいい加減にやめにしてほしい。

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