見出し画像

辺境と社会福祉

 以前、出張で札幌市を訪れた際、空き時間に北海道博物館を訪問し、学芸員の方から「アイヌ」について学ぶ機会をいただいたことがある。
 アイヌ民族を先住民として初めて明記した法律「アイヌ新法」が2019年4月に成立した。アイヌの祖先は北海道在住の縄文人であり、続縄文時代、擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至った。更にオホーツク文化がアイヌ文化に交わった。和人との交易は鎌倉時代からで熊の毛皮、鹿の皮、鮭の干し物等の記録が残る。彼らは文字を持たず、全てが口頭伝承である。明治時代になり明治政府はそれまでの「蝦夷地」を「北海道」と改称し、一方的に日本の領域のなかに組み込んだ。四民平等の原則に基づき、アイヌは「平民」に編入することが布告された。しかし、戸籍を作ってアイヌを日本の国民とみなす一方で、日本人平民と区別するために、公の呼称ではアイヌは「旧土人」とされた。この「北海道旧土人保護法」に基づく露骨な差別的呼称は、「旧土人法」が廃止された平成9年まで120年間使用され続けた。歴史の中で、「和人」からのアイヌ差別は国家レベルでなされてきたのだ。

 「辺境」という言葉がある。植民地時代の探検家たちがおこなった旅は、都市の中心から出発し、外に向かい、「奥地」にまでいたるものだった。彼らは、植民地支配をおこなう社会の物理的な武器ばかりでなく、知的な武器をも携えて、一つひとつ道を切り拓き、商人、入植者、伝染病がその後を追った。旅から持ち帰ったのは大量の原材料であった。鉱物のサンプル、民族誌学的骨董品、地図、未知の人びとの話、これらはやがて植民地支配権力がもつ拡張する知識体系のうちに編入されていった。
 アイヌの存在は名古屋に住む私たちから見たら辺境の問題かもしれない。ここでいう「辺境」とは、名古屋を中心として考えた物理的な隔たりとアイヌ文化に対する私たち自身の知識・想像力の欠如を意味する。
 一方で、アイヌを社会や歴史から周辺化されてしまった人々と捉えれば、「辺境」というワードは、差別・偏見・隔離・マイノリティ等の境遇に置かれた人との「社会的・心理的隔たり」をも意味するのではないだろうか。そのように考えると、「土人」と揶揄されたアイヌや沖縄の住民だけでなく、施設で暮らす高齢者・障がい者・社会的養護の児童・LGBT・在日外国人等も「辺境」の住人なのだ。つまり、「福祉」の対象者は「辺境」にいる人であり、差別や偏見に抗する実践が「社会福祉」だと言えよう。

 ところで、「福祉」とはどんな意味を持つ言葉なのか。10日ほど前にも「福祉」に意味については書いたのだが、特に「祉」の文字に込められた意味が素晴らしい。「祉」には「神様から与えられる思召し、幸せ」という意味があり、「幸せ」を入念に重ねた「福祉」という語は、「もうこれ以上ない、最高の幸せ」を意味するのだ。はるか二千年以上前に中国で、人間がその生涯を楽しく悠然と生きていくことを「福祉」と表現した。
 「福祉」とは、人々の幸せに繋がる素敵な言葉であり、誰もがそうありたいという希望や願いが凝縮された最高の価値なのだ。だからこそ、「福祉」に携わる大人たちは、様々な事情で社会的な辺境に追いやられてしまった人を支援するという、最高に「幸せな」仕事をしていると自覚しなければならないのだ。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。