噺家の羽織【ほぼ無料】

東京の落語家は「羽織を着て良いどうか」は迷わないです。
しかし、大阪の落語家は「羽織を着るかどうか」迷う問題が発生します。

落語会や寄席に最初に出演する噺家は「羽織を着ていない」ことが多いですよね?でも着てることもありますよね・・・。あれはどういうことなのかについて、書こうと思います。

東京と大阪の違い

私の記事「真打の効用【ほぼ無料】」でも書きましたが、東京は「前座」の間は、羽織を着てはいけません。その代わり二つ目・真打になれば、どんなポジションであれ、羽織を着ても良いです。
つまり、東京では「羽織を着られるどうか」は、「身分」に規定されています。
ですから、たとえば前座が出ない公演で、二つ目や真打が最初に上がった場合、当然「羽織を着る」ことになります。

ところが、大阪では違います。大阪は「真打制度」がありません。つまり「身分制度」がないのです。
大阪で「前座」というと、「身分」ではなく、「公演の一番最初に出演するポジション(役割)」を指します。
(※ですから、このごろ大阪では先輩が後輩に「一番最初の出番での出演」を依頼する時に「前座で出てくれますか?」と言わずに「トップで出てくれますか?」という言い方をすることも増えています。何となく、前座というのが失礼な意味に感じて来ているのかもしれません)
一応、大阪では「年季中の噺家」が身分としては「東京の前座」に位置するので、この時期は羽織をきませんし、出番も「公演の最初」しかありえません。ですから「羽織を着ない」という1択しかないので、何も問題ありません。
しかし、年季が明けると、自分で好きに仕事を引き受けられます。自分が主役の会も出来ますし、その時は当然「羽織」を着ます。余興(落語会でない仕事)の時も「羽織」を着ることが多いです。しかし、落語会では年季明けても数年間は「トップの出番」がほとんどです。その時、「羽織を着るのかどうか」で悩むことがあります。
いわば、大阪では年季が明けたての噺家は、「身分としては東京の真打」ですが、実際の仕事の内容は「東京の前座と二つ目」ということになります。
ですから噺家本人も羽織を着てええのか悩むのです…(笑)

※当然、お客様も「どういう基準で着てるのか」わからないと思いますし、何人かの後輩から「迷うことが多い」と言われたので、それについてまとめます。

一門による大きな傾向

羽織を着る着ないは、高座に上がる噺家の判断でもありますが、「羽織を着て良い・着てはダメ」という判断は主催の噺家に権限があります。ややこしいですが。

つまり、主催の噺家が明確に指示を出さない場合は、本人の判断です。
それ以前に、主催の噺家がトップ出番の噺家に

「(今日は)羽織を着て下さい」
「(今日は)羽織を着ないで下さい」

と言うことがあります。そうなると、トップの噺家は基本は後輩ですから、「どういう基準なんやろう???」と思います。
実はそれは一門によって、大きな傾向があります。
そして、そこから個人個人がカスタマイズしていってるので、千差万別ですが、一門の大きな流れを把握するとわかりやすいです。

【笑福亭に多いルール】
トップの出番=前座なので、羽織を着ない。

※いわゆる「東京の前座」としての扱いだから「羽織は着ない」方が良い。

【米朝一門・林家に多いルール】
東京ルールを採用。年季中の人間は前座の身分で、年季明ければ二つ目以上の身分である。

特に誰かの独演会や地方の入場料が高そうな会だと、年季明けの人間はほぼ「羽織」を着る。「羽織」=「包装紙(噺家という商品を良く見せるもの)」なので、「良い落語家が最初から上がる(羽織を着る身分の人間が舞台に上がる)」ということを示すために着るということだそうです。
小さい会だと年季明けしていても羽織を着ていなかったりします。そこは笑福亭と同じ「前座」と考えてるのかもしれません…。
まあ、「独演会や余興・大きな会」=「興行自体に値打ちをつけるべき状況」では、羽織を着るというルールのようです。

【上記を踏まえて…】
上記のように全く違う2つの大きなルールが存在し、「笑福亭ルール」を採用してるのか、「米朝一門&林家ルール」を採用してるのか、個人の噺家の思想によって違います。
ですから主催の噺家が後輩に「羽織を着てや」という場合もあるし、「何で羽織を着てるんや???」という人もいます。もちろん、「好きにしたらええ」という人もいます。

年配の笑福亭の師匠なら「何で着てるんや?」となりますし、米朝一門の師匠が「何で着てないんや?」となったり、笑福亭の人も「羽織を着てや、遠慮せんと」とか言うたりします。
ちなみに私は、「何も言わない」ようにしています(笑)

結局、噺家個人がどっちのルールを採用してるかで「羽織を着る・着ない」が変わっているということです。

①まず主催者(の噺家)が「羽織を着る・着ない」の指示をした場合は、当然、トップ出番の噺家はそれに従います。

②主催者の指示が無い場合は、トップ出番の本人が「羽織を着る・着ない」の選択を自分でします。
(※ただし、「後出しジャンケン」で先輩が、「君、それは・・・」と言われることがあります(笑))

トップで羽織を着ないことの効用

普通は「羽織を着ることの効用」という話ですが、ここでは敢えて「着ないこと」の効用について解説します

もちろん、羽織というのは、既に書いたように「包装紙=噺家という商品を良く見せるもの」で、羽織を着ると、お客様に「私は良い落語家です!羽織を切れる上等な噺家です!」とアピールできる効果があります。

しかし、私は以前から言うてるのですが、、、、
落語会や寄席の開演直後は「お客様が入場したてで、お客様の脳みそがまだ立ち上がっていない状況(脳の処理速度が遅い状況)」です。
また初心者の人は「落語がどんなものかわからないドキドキ」があるだけでなく、「劇場って、こんな雰囲気か」と言って天井を見たり、パンフを見たりしたくなるものです。つまり、お客様の集中力が高まっていない状況です。
そうなると、ハッキリ言って、「ウケにくい環境」です。

このとき、トップの噺家が羽織を着て「上等な噺家アピール」をした場合、当然、お客様は「上等な噺家=完成された商品」と認識しますので、
「完成された面白くない噺家」と認識します(笑)
→そんな人の落語は、もう別に見たくないですよね・・・。

一方で、羽織を着ないということは、お客様には「未完成な噺家=若くて頑張ってる噺家」という風に見えるので、
「若いからまだまだやけど、ええところもあるし、頑張ってるから応援しよう!」となります。ただし、「ええところ」がないとダメです(笑)
しかし、そこはまさに「落語の腕」ですから、落語家として努力のし甲斐があります。

落語会のトップで「羽織を着てる」と、環境条件の悪い中、その日の出来栄えのみで判断されてします。「羽織を着ない」と、「よい所があれば応援しよう」という加点評価に変わります。また将来への期待値も感じてくれます。これが「羽織を着ないことの効果」です。

ただし、学校公演は、学生さんが「落語家さんとはこういうもの」という先入観がありますので、噺家は最初から羽織を着ます。学生さんが羽織がどういうものか知らなくても、「いつも見てる着物の格好と何か違うなぁ…」という違和感が出るだけで、鑑賞=想像力の妨げになりますから。
まさに羽織を着る・着ないはTPOであり、自己判断です。


その意味で、特に地方公演では「着る方が良い」も「着ない方が良い」もありえる話です。
羽織を着る方が「お客様の想像どおりの落語家」に見えて、その方が鑑賞の妨げにならないのか(あるいは上等の噺家に見えて噺を聞く気になってくれるのか)、

羽織を着ない方が「お客様が若い人を応援したくなる」というプラスの要素が生まれるのか、

その時々によりますから。

「羽織を着る効果」もあれば、「羽織を着ない効果」もあるということで、どちらの方が効果的かは、結局、主催者や高座に上がる噺家本人の判断です。ですので、私の場合は特定の場合は指示しますが、指示しない場合は本人の判断に任せています。

お礼の電話【おまけ記事】

そもそも「トップで羽織を着るのかどうか」という話も、ある時期から生まれた話です(私の師匠・笑福亭福笑が若い時はそんな問題などなく、全員トップは羽織を着ていなかった)。
これと同様に、「お礼の電話」という話があります。
これについても、後輩の噺家さんから相談を聞くので、記事にしてみました。

「近年生まれた風習」

そもそもお客様にはわからない話ですが、、、、
落語会が終わった翌日に、出演した後輩の噺家が主催の落語家に「お礼の電話をする」という風習が近年発生しました(笑)

私が入門した時はなかった風習です(笑)

東京の落語界では一般的なルールだそうです。
※東京は寄席育ちなので、皆さん早起きなので、翌日10時~11時に電話をしてくるそうです。
(→ただ、大阪の噺家は、昔は夕方からしか仕事がなく、夜遅くまで酒を飲んでいる人たちなので、朝起きるのが遅いので、昔は朝11時にかけるのも「朝早くてすいません…」みたいな時代でした(笑) そういうのもあってか、そういう風習はなかったです)

私が入門した時は、落語会の仕事の前日に「明日よろしくお願いします」という連絡を入れ、集合時間や集合場所を聞くという電話だけがありました。
まあ、これがないと、「どこへ行けばよいか」もわからなかったので、絶対必要な電話です。
※昔の仕事のオファーは、「おおよその開催場所(最寄駅の名前か都道府県)と日付」しか教えてもらわず、前日に時刻を聞く感じでした。
いわゆる「日雇い労働」で、だいたいの集合場所と時間を教えてもらい、主催者に連れて行かれる感じです(笑) ←割とびっくりされますが、今もホールとかでない場合は、こんな感じです。

しかし、事前連絡はあるものの、公演日の翌日にお礼の事後連絡はなかったです。昔は、次にその主催の噺家と会った時に「先日は出番ありがとうございました!」と直接口頭で伝えるだけでした。
この「お礼の電話」の風習は、ある時に生まれ、今や、だいぶ浸透しました。

この「お礼の電話」は、いつごろから生まれたのでしょうか?
またそれによってどんな影響が出たのでしょうか?
またそれが生まれるまでの歴史的背景はどうだったんでしょうか?
(西暦2000年前後の落語界の雰囲気)

こう書くと、大層そうですが(笑)、
あくまで「落語界の生き証人」として記事を残しておきたいので、以下、書いておきます。

微妙に踏み込んだところもあるので、有料にしておきます。
ご興味のある方はどうぞ(笑)

※噺家の後輩の方は以下、読みたい方はメールで連絡下さい。
 笑福亭たま主催落語会に出演経験のある後輩の方にはメールで内容をお送ります(笑)

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