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まいど!株式会社あさの代表取締役社長の浅野平二郎です。

社内報の創刊号に掲載された、インタビュー記事をnoteにも投稿します。


株式会社あさの代表取締役社長・浅野平二郎の人生ストーリー

高知県で生まれた浅野平二郎は、5人兄弟の末っ子として生まれ育った。

高校までを高知県内で過ごした後、東京の大学に進学し、そのまま都内で就職活動を開始する。姉や兄は既にあさのに入社しており、末っ子の自分が後を継ぐことはないと思っいたからだ。

大学4年生の初夏には都内の会社から内定を得て、「東京のサラリーマン」として生涯を過ごすことになるのだろうと、自身の将来を思い描いていた。

そんな矢先、浅野家は突然の不幸に見舞われる。後継者として期待されていた長女が、交通事故で亡くなってしまったのだ。

再び故郷、高知へ

後継者候補であった長女を突然失ったことで、浅野家も会社も、大きく混乱していた。父はすでに他界。あさのの社員である以前に実の娘を失った母の悲しみは計り知れない。

自分が戻ることで、少しでも母の支えになれれば……。そんな思いが、浅野を故郷へと向かわせた。

あさのに入社した後、浅野は、関東の生姜会社で製造から仕入れ、営業、技術まで、様々な知識を身につけてから本社へ戻り、その後は各部署で仕事を覚えていった。

酒は飲んでも飲まれるな

一通りの仕事を覚え、入社から2年ほど経ち、専務に就任した浅野は、こんな失敗をしてしまったという。

当時、本社には営業担当の社員がいなかったため、浅野が自ら来客対応をする機会も多かった。

ある晩、初めて高知県を訪れたお客様と、差し向かいで酒を飲んだと
きのこと。

「帰りはホテルまでお送りしますので、安心してどんどん飲んで
ください!」

そう言って、浅野はお客様に酒を勧めた。商談は盛り上がり、浅野もお客様も次々と杯を空にしていった。

翌朝目を覚ますと、浅野は一人で家にいた。お客様をホテルまで送り届けた記憶はない。

「あれ……?」

携帯電話を見ると、お客様から20件ほどの着信があった。酒を飲みすぎた浅野は、何と土地勘のないお客様を置き去りにし、一人で家に帰ってしまったのだ。

幸い、そのお客様は「お酒の席のことだから」と笑って許してくれ、現在でも付き合いは続いているという。自らの失敗を踏まえた上で、浅野は社員にこう忠告する。

「皆さん、『お酒を飲むな』とは言いませんが、自分の限界は知っておいてください」。

前社長の突然の死

浅野は失敗を経験しながらも、あさのの社員として、周囲からの信頼を獲得していった。

そして28歳のとき、浅野に大きな転機が訪れる。出張先のインドネシアから帰国するとき、会社からこんな連絡が入った。

「社長が倒れて意識不明です!浅野さん、すぐに戻ってください!」

浅野は自分の耳を疑った。当時の社長は父の兄、つまり、浅野の伯父にあたる人物だった。

早くに他界してしまった父に代わり、職人気質だった伯父が、浅野に多くのことを教えてくれた。

現場に出る回数こそ少なくなっていたものの、まだまだ現役として、伯父が会社を牽引する時代が続くだろう、と浅野は信じていた。

大急ぎで病院に向かったが、伯父の意識は戻らない。そのまま言葉を交わすこともできないまま、1週間ほどで伯父は亡くなってしまった。

社長就任へ

自分が社長になるのは、ずっと先の話だと思っていた。

しかし社長を務めていた伯父が突然この世を去ってしまったことで、専務の浅野が新社長に就任することとなる。

当然、何の引き継ぎもなく、不安はあったが、仕事のことは概ね把握している。それに、「生姜を無駄にしない」との事業方針を徹底してきたこともあり、あさのはこれまで赤字経営に陥ったことがなかった。

「きっと、何とかやっていける。自分がやるしかない」。

そんな思いで社長に就任した浅野だったが、その肩に次々と重圧がのしかかってきた。

社員の雇用、商品の安定的な生産、顧客に対する責任……。

『この人のためにがんばろう』と社員に思われるようなリーダーにならなければ」。決意を新たにした浅野が経営の最優先課題として掲げたのは、「社員の定着率を上げること」だった。

(続きは、こちら↓)

3代目社長・浅野平二郎よりメッセージ動画

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