そのニュースは必要?

ニュースキャスターの、「久しぶりにいいニュースが飛び込んできましたね」と言う常套句。「いいことなんてニュースにならないって思ってるだろ!」とツッコミたくなる。そもそもニュースを伝える側の人の感覚って、ニュースとは悪いものでなければならない、という意識が強すぎるんじゃなかろうか?

SNSツールが発達して、日常のささいな行動や言動が可視化できるようになった。そのおかげかどうか、いまでは電車で席を譲らなかった人がいただけでニュースになる。そのエピソードを引き合いに、「最近の日本人は心がせまい」「みんな余裕をなくしている」「こんな国に未来はない」とやる。

いや、確かに席を譲らない人はいるし、心に余裕をなくしている人も少なくないのは事実かもしれない、だからといって、何でかんでも日本人や日本社会の問題に持っていくのはどうよ? と思ってしまう。人それぞれでしょ? と。

そんなことばかり言うから、世の中はますます窮屈になるんじゃないのか?

席を譲る人も、けっこうな数いる。それは体験として感じる。でも、そんなエピソードはニュースにはなりえない。席を譲る人を見かけたからといって、「日本人は偉い」「日本人の心は豊かだ」とならないように、その逆に持っていくパターンも無理があるだろう。

「電車内で急病人を誰も看護しなかった」はニュースになるけど、「急病人を乗客みんなで看護した」はニュースにならない。そこに大きな違いがあるとすれば、インパクトとか興味を引くかどうかの違いだろう。ニュースなんてその程度の感覚で作られることだってあるのだ。

そんなニュースの作り方こそ、余裕がないと言わなきゃいけない。


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