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『クィア・アイ in Japan!』配信記念!タン・フランス『僕は僕のままで』第1章全文公開(前編)

みなさま、いま話題のNetflix『クィア・アイ in Japan!』、ご覧になりましたか? 日本人特有の自信の無さ、家族や隣人に対する不器用さなど、文化的なマイナス要素を浮き彫りにしつつも、日本と各依頼人への優しさに満ちた素晴らしい番組でしたね。永遠に観たい……100話までやってほしい……

ご存じない方のために説明すると、『クィア・アイ』はいまNetflixで大人気のリアリティショーです。5人のゲイ(ファッション、美容、フード・ワイン、カルチャー)が依頼人の人生を変える――自己肯定とセルフケアの大切さを教えてくれる番組として、世界中の支持を得ています。

集英社刊行の単行本『僕は僕のままで』はそのファッション担当、タン・フランスのメモワール。パキスタン系英国人の家庭、アパレルブランドの立ち上げ、最愛の夫と結婚生活、差別と偏見などを語る、ブリティッシュジョークに満ちた1冊です。今回はその第1章の試し読みを大公開!↓↓↓

「僕は僕のままで」書影

『僕は僕のままで』
タン・フランス/著 安達眞弓/訳
2100円+税 集英社刊


第1章「サルワール・カミーズ 」(前編)

ストレートの人たちからよく聞かれる。「ゲイって自覚したのはいつ?」ある日突然、ピカッとひらめく人もいるみたい。でも僕は違う。僕にとっては「自分が男の子って自覚したのはいつ?」とか「自分が人間だって自覚したのはいつ?」と同じ質問だから。

僕が呼吸をする。

それに理由はない。

そんなの当たり前じゃないかと言われそうだけど、"僕ってゲイなんだ!"とひらめく瞬間なんて、まったくなかった。女性にはずっと興味がない。誤解しないで――女性とはずっと仲良しだし、女の子たちに囲まれているとうれしいし、僕という人格を育んでくれたのは女性だけど、恋愛の対象として考えたことが一度もなかったということ。男性を好きになっちゃダメなんだと思い詰めたこともない。かなり小さいころから、結婚するなら男性と、と考えていた。おかしい? 惹かれるのも、好きになるのも男性なら、結婚する相手は男性だって考えるのは、ごく自然なことだよね。僕は、同性との結婚が法律で認められないのも、そこに行き着くまでが大変だってことも知らなかった。僕はまさにその苦難を乗り越え、今も戦っている。この本を最後まで読んでくれたら、僕は"シミの一滴も気にしない"タイプじゃなく、"シミが一滴ついたら、気になってしかたがない"タイプだってわかってもらえるかな。僕はそんな自分が大好きだし、この性格を変える気は、さらさらない。

僕はサウスヨークシャーっていう、イングランド中北部の小さな町で育った。ご近所はみんな白人で、学校には南アジア系の生徒が10人ぐらいと、黒人の生徒がひとりいた。両親は共にパキスタンで生まれ育ち、ふたりが10代のとき、一家そろってイギリスに移住した。父親の一家は1950年代、わずかな財産を持って、イングランド北部にやってきた。その後、父は貯金して家を手に入れ、事業を興し、人並みに成功した。母方の家族も同じ時期、近隣の町に移住してきた。そして彼らは出会い――イスラム教徒としては大胆にも――いわゆる"恋愛結婚"という形で所帯を持った。見合い結婚が主流で、ときにはいとこ同士のお見合いもよしとするイスラム教徒なのに(はいはい、文句言いたきゃ言えばいい。時代遅れなのはわかっている、だけど、この話はここでおしまい。詳しくはあとで)型破りな新生活をスタートさせたってわけ。僕たち一家は父方のおじ一家の隣に住んでいて、従姉妹たちと一緒に育ったからか、いつかあの子たちのだれかと結婚するのが当然と考えられていた。

うちの一族はそれほど熱心なイスラム教徒じゃなかったけど、イスラム教の伝統文化とは深く結びついていた。学校がお昼の3時半に終わると、家に着くのが4時。それからモスクで夜の7時まで過ごす。これが月曜から金曜まで、そして土日も。白人の子たちが長期休暇に入ったって関係ない。肌の浅黒い子たちには、その民族としてやることがたくさんあった。

6歳か7歳になると、僕たちはサルワール・カミーズという、慎み深い服を着るようになる。パンツのウエストにゴムが入っている。広げるとゆとりというか、だぶだぶというか、かなりでかいフリーサイズ。パンツは裾に向かって細くなっていて、足首にカフスが付いている。イメージとしてはハーレムパンツが近いかも。その上に着るチュニックは、男物だと膝丈より長く、女物はもっとゆったりとした作り。慎み深さのベールをもう一枚かぶるため、女性が外出するときにはヒジャブも身につける。ヒジャブをわかりやすく言うなら、大きな袋のようなもの。風が吹いても、見せてはいけないものが見えないようになっている。

僕たちがサルワール・カミーズ以外の服を着ていいのは、制服のある学校に通うとき、それ以外は結婚式や誕生日パーティーなど、"欧米人のおしゃれ着"を着てもいいと許された行事のとき。

そしてイスラム教社会では、慎み深く暮らすことが求められる。お泊まり会に行くのもダメ、友だちとつるんで夜遊びするのもダメ――デートも許されなかった。おかげで女の子に興味がなかった思春期の僕は、あまり困らずに済んだ。僕の性的指向を隠すには都合がよかったので、デート禁止はむしろありがたいぐらいだった。僕はデート禁止を言い訳に使った。恋人がいないのはデート禁止だからで、女性に恋心を抱けないからじゃありません。そういうことだから、詮索するだけムダだよ。

僕には姉がふたり、兄がふたりいて、僕は五人きょうだいの末っ子だ。きょうだいの中で、僕はずっと一番甘やかされて育った。両親はとても忙しくて家にいないことが多く、子どもにとっては、けっこう大人っぽい内容のテレビ番組、たとえば『メルローズ・プレイス』『ビバリーヒルズ高校白書』『ER緊急救命室』などをじゃんじゃん観ていた。番組ではセックスやドラッグの場面があって、僕がそんなことまでわかっているのを知ったら、両親はきっとショックを受けただろうけど、僕自身、テレビで社会の側面を見知っていくことに、まったく抵抗がなかった。イスラム教社会では、セックスやドラッグの話題は禁句だった。テレビ番組を観過ぎたせいか、僕は妙なところで耳年増だった。変な言葉ばかり覚えていた。上の兄さんや姉さんも知らないような語彙が身についていたから。僕は家族で一番いけ好かない子だった。スペルや文法、話し方がおかしかったら訂正するのは僕。ムカつく弟。悪夢のような末っ子。

僕には早い時期から明らかに"人とは違う"ところがあり、自分の生き方にかなりこだわっていた。その後に好きになったのが『ダーティ・ダンシング』。八歳の男の子が夢中になる映画じゃないよね(あの喪失感といったら。『ダーティ・ダンシング』は名作だと思う気持ちに今も変わりはない)。バービー人形もたくさん買ってもらったけど、それを知っているのは家族だけだった。90年当時、うちの学校はゲイの生徒にまったく配慮してなかったから、むしろ都合がよかったのかもしれない。買ってくれたのがパパだったっていうのもおかしな話だけど(あり得ないと思われて当然、だけど事実だし)。

パパとおじはとても仲がいいくせに、変なところで意地を張っていた。お互いの子どもたちが同年代で、従姉妹に僕とほぼ同い年の子がいた。彼女とは義務教育の間ずっと同じクラス、通信簿やテストになると、父親同士が点数争いをする始末。いい点を取って父親からもらうごほうびがきっかけで、バービー人形コレクションへと発展したってわけ。

従姉妹がバービーハウスとバービー人形を買ってもらったと耳にしたパパは、翌週、もっと大きなバービーハウスとバービー人形を6体買ってくれた。バービーのボーイフレンド、ケンの人形も2体持っていて、黒人のケンと白人のケン。バービーによく似てて、イギリスでよく売れていたシンディーの黒人のお人形も一体持っていた。この競い合いを、家族の誰もが変だとは感じなかった――今にして思うと、僕たち一族が欧米文化に無関心で、息子にバービーを買ってやるのがどういうことかわからなかったんだろうね。僕はというと、めちゃくちゃ喜んだ。数年分のクリスマスが一気に押し寄せたような気分だった。息子がバービー人形で遊ぶのが男親の期待に背くことだとパパが知ったら大変だ。だから僕は、隠れて遊んでいた。みんながいる前ではバービーなんてどうでもいいって顔をして、人がいなくなったら速攻でベッドルームに駆け上がり、買ってもらったばかりの、お気に入りのおもちゃで遊んだ。楽しくてたまらなかった。

家から一歩外に出ると、僕は学校が嫌いな子だった。学校は退屈だし、僕自身、学ぼうという意欲がなかった。学校で人と接するのは好きだった。人気者ではなかったし、集団でつるむタイプでもなかったけど、僕には友だちがいた。特に親しかったのは、南アジア系と白人の男子がひとりずつ、そして大親友の南アジア系女子がひとり。南アジア系は学校では少数派で、集団でいることが多かったせいか、僕らはすぐ仲良くなった。学校の外で人種差別をするチャンスをうかがっているいじめっ子に出くわすような"ヤバい"日に備えて、同じ人種同士でつるむのも悪いことじゃない。

ありがたいことに、僕にはいつも一緒におしゃべりができる友だちがいた。僕は学校に居場所があると感じてはいたけど、デートとか、将来のことまでは考えていなかった。僕は面白くてひょうきんで、クラスメイトを笑わせる子だった。特に問題児というほどでもなかった。

勉強はとうてい好きになれなかったくせに、成績はよかった。AかBを確実に取る生徒だった。宿題はやらなかったし、必要最低限の勉強しかしなかったけど、テストではいつもいい点を取った。「兄さんや姉さんは進級が危なくて必死で勉強しなきゃいけないけど(ほんとにムカつく子どもだよね)、僕はテストの準備なんか、ぜんぜんしなくても大丈夫――」と、偉そうな口を叩いていたことをよく覚えている。試験勉強をやらなくても進級できた。家では勉強しないでテレビを観て、テストを受けて、優秀な成績を取っていた。

ところが学校を一歩出ると、人付き合いはひどくかぎられた。南アジア系は、子どもたちでも男女一緒にいるのは望ましくないと考えられていたから。僕には姉がいたので、男友だちを家に呼ぶことはできなかった。あのころの僕は、時代錯誤と両親に当たり散らしたけど、今は両親の言うとおりだと思う。大人の目で見れば、危なっかしい年ごろだものね。僕もやっぱり、自分の子にも同じように注意するだろう。だって、何が起こるかわからないじゃない? 僕の家に預けるってことは、トラブルに巻き込まれる心配がないからで、自分がよく知らない大人の家に子どもたちを安心してお泊まりに出せる? ぜったいにムリ!

自分が人とは違うと思うようになったのは、思春期を迎えたころだった。姉ふたりと超、超イケメンのボリウッド(訳注:インド映画のこと。ハリウッドにちなんだ名称)・スターが主演の映画を観ていたときのこと。姉が言った。この人すてき。結婚したい」僕はこう答えた。「僕も好き。僕もこの人と結婚したい」姉ふたりがそろって僕に言った。「ムリ、ムリだって。男と男は結婚できないんだよ。男は女と結婚するの」

そんなのはじめて聞いたよ。何それ? 僕がおかしいってこと? どうして男性同士が結婚しちゃいけないの? それ以前に、僕が男性と結婚したいと思うのはなぜ?

姉が意地悪を言っていたわけではなく、当時はそれが当たり前の考え方だった。当時僕は8歳、姉たちはティーンエイジャーで、男同士が結婚できないと、はじめて教わったんだ。この日から僕は悩んだ。えっ、マジで。僕ってほかの人とは違うんだ。僕には普通のことが、ほかの人には普通じゃないんだ。

ティーンエイジャーになると、特に学校で、目が特定の男子を追いかけていた。自分がゲイなんだと最初に意識したのは――この感情と、ゲイという言葉が結びつくきっかけとなったのは――13歳になったかならないかで、あれは昼休みだった。クラスメイトが校庭でバスケットボールをしていた。けっこう暑くて、彼がシャツを脱いだ。筋肉質の身体を見て、世界で一番セクシーだなあ、と見とれてたのを覚えている。13歳の僕が見とれてたのは、つまり……13歳の男の子の"筋肉質な身体"だった。やだ、はずかしい。

男性を好きになるのはやめようなんて考えなかった。ただ、波風立てずに生きていくつもりなら、男の子が好きなことを隠し通さなきゃならないとは思った。だったらこうしよう、僕は親友の女の子と結婚して、僕たちは契約を結ぶ。彼女は好きな相手と付き合っていいし、僕も好きな相手とデートする。彼女もハッピー、僕もハッピー。これってぜったい理想的な結婚だよ。

僕って、自分で思っていたほど利口じゃなかったんだね。

20代になった僕は、いい形でカムアウトしなきゃと覚悟を決めた。"ちゃんとした"パキスタン系の男子なら身を固め、結婚する年齢に近づいてきたという自覚があったから。どんなに遅くても30歳には結婚しなきゃ、いい娘(こ)を見つけて結婚しないのはなぜ? と問い詰められる前に。

男性が好きだという気持ちを否定したことは一度だってなかった。正真正銘言えるのは、生まれ育った環境のせいではないこと。ゲイであることは僕の本質であり、本質なら、生涯ずっとそうあるべき。自分の意思で選んだわけでもなく、人から強制されたなんて意識もない。好きな人の心もほしけりゃ身体もほしい、僕にとってゲイであることは、それぐらいシンプルで、自然なこと。

覚悟を決めて男の子と付き合うようになったのは、自分は明らかにどこか違う、自分が身を置く社会、文化、宗教……そのどれにもフィットしないという意識が芽生えてから。自分はとてつもなく重い過ちを犯しているのではないかと自分を責めたときもあった。

その気持ちは今もまだある。

なぜなら僕は、南アジア系のコミュニティーで育ったから。人は神の教えに従って行動するものだと言われて生きてきたら、自分の行いは神の意に背くことだと考えるのは当然だった。だけどありがたいことに、年を重ねるにつれて心の持ちようが変わってきた。男性とキスをしたら、神様を裏切るような過ちを犯したと、罪の意識で吐き気を催すと怯えていたけれども、いざキスをしたら何ともなかった。人を愛して神の怒りを買うだなんて。そんなこと誰も思うわけがない。でも僕は、どうしようもなく誰かを好きになったら、神様は赦してくれると信じている。人が人を好きになる、それのどこが悪いの?

だけどゲイの問題は子ども時代の僕をずっと悩ませていた。ゲイの子だったら、特に一部の宗教を信じるコミュニティーに育った子どもたちには、とりわけ深刻な問題だった。僕たちのコミュニティーではみんな、物心ついたときから、天国と地獄という概念をこんこんと教えられて育った。「こんなことをしたら地獄行きですよ、でも全力を尽くして努力すれば、地獄行きをまぬがれます」これじゃ脅迫と紙一重だけど、男性を愛しても地獄に行かなくていいとわかったときはうれしかった。地獄に行くようなことは、ほかにもたくさんやってきた自覚はあるけどね。そっちの話もするべき? いや、今はやめとこう。僕は"いい子"の役を演じ続けるつもりだし、せっかくのいいイメージをこの本で台無しにしたくないもの。まあ、この先も読んでみて。僕の"いい子"のイメージは、きっとぶちこわしになるはず。

学生時代、脚が勝手に動いても、僕は断固として脚を組まないよう気をつけていた。僕が自分に正直だったら、脚をからませるように組むポーズを取ると思う。それって、僕が相手の男性に性的関心があるというボディーランゲージだから。

今でも忘れない、まだちっちゃいころ、脚を組んで、組んだ方の足の甲を反対の足首にからませてたら、家族から注意された。「こら、タン、そんな風に座るのはやめなさい。そんな風に脚を組むのは女の子がすること」まだ6つか7つだったけど、僕はあせった。どうしよう。女の子がすることを、僕、どうしてやっちゃったんだろう? 僕っておかしいのかな? 男らしく脚を組む練習をしてみた。ほんとうは『ゴールデン・ガールズ』の再放送を観たかったのに。ドラマに出て来るおばちゃんたちとチーズケーキを食べてる空想をしながら、居間でまったりしたかったのに、僕は観たくもないサッカー中継を無理やり観ているみたいな違和感と戦っていた。だけどこうやって脚を組む方が楽なんだけどな。女子はよくって、男子がダメって、そんなの関係なくない?


(後半につづく)

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