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もう少し力を抜いてほしい(1月30日〜2月5日の日記)

■1月30日
 予約して行った脱毛の勧誘がうざったかった。「ケアしてますか?」という質問が面倒なので「してます(大嘘)」と言ってみたら「やっぱり!!結果が出てますよ(^^)」と大袈裟に褒められた。まあこの人も雇われ人だろうし、医者でもないんだから適当なこと言って客の気分を乗せ、新しい商品を購入させる商売だしなあ。脱毛サロンの人も楽じゃない。

■1月31日
 朝からそわそわ頓服薬4錠。今日夜に元職場の人に食事に誘われているため、緊張が取れない。日中適当に仕事をこなし、夜に駅前で落ち合った。いつもよりも彼らとうまく話せたと思うし、いつもよりも私も楽しめたとは思う。でも結局人と会うたび、一人でいることの心地よさに気付かされる。来月中旬まで人と会う予定がないことを確認し、ほっとする。

■2月1日
 新年が明けてもう一ヶ月経ったのかと月並みに思う。
 オット氏が夜会食なので、レイトショーで「イニシェリン島の精霊」を観に行く。アイルランドの小さな孤島で起こる、おじさん二人の喧嘩の話。字面にするとあまりおもしろくなさそうだが、逆にこの何の変哲もないおじさんの喧嘩をここまでおもしろく描いた映画はないんじゃないか。田舎の閉塞感、人間のままならなさ、友情や人付き合いの難しさなど重複テーマが織りなす大作。アカデミー賞に作品賞をはじめ、がんがんノミネートされている作品だったので期待大だったし、期待を裏切らないおもしろさだった。

■2月2日
 おそろしいことに何の記憶もない。

■2月3日
 今日もオット氏が会食なので、夜はネットをしたり本を読んだりして時間を潰す。先日の結婚報道からKis−My−Ft2が気になり、調べ、公式YouTubeにアップされているライブ映像までしっかり見た。ジャニオタではないが、キラキラした格好で歌い踊る人間が好きなので、気まぐれにこうやって調べ、楽曲を聞く。人を喜ばせる職業をプロとしてやっている人を見るのはおもしろい。
 Netflix映画の「さよなら、私のロンリー」という作品を見た。窃盗や詐欺を生業とする両親に育てられた娘が主人公。親から盗みや詐欺の英才教育を受け、子供としてではなく“窃盗団のひとり”として育てられた主人公は愛を知らない。そんな主人公がある出会いから生き方を探すお話。物語のあるシーンで過干渉な親が出てくるのだけど、うちの親かと思った。

■2月4日
 土曜日。急に自分の価値が不安になる。「自分は自分のままでいればそれでいい」と強気でいられる時期もあるけれど、足元がおぼつかない状況を直視してしまい自信がなくなる時期が必ずやってくる。だいたい三週間おきに、だ。
 日本人だからか、「みんなと一緒が心地いい」という感覚が根強く自分の中にある。でもそれはとっくに無理になっていて、性自認の面でも、精神疾患の面でも、人と違うことに慣れていなかければいけないと思う。別にどうしようとか、解決策は求めていなくて、ただ自分に不安なサイクルがあることを知っている。
 夜はオット氏のリクエストで「プーと大人になった僕」というディズニー映画を観た。大人になったクリストファー・ロビンとプーとその仲間たちが再び交わり、クリストファーの大人の悩みや葛藤をプーたちと過ごすことによって解決していく。ゆるふわな顔と声で、人生の真理を突く質問をプーさんがどんどんしていて、胸が痛くなった。

■2月5日
 頓服薬二錠。じつは昨日の夜、原稿チェックの返事があり、ここをやわらかく言い直してほしいという修正の依頼が来た。それで面食らって動揺している。また私の悪い癖が出て「原稿は完璧でなければならなぬ」とか「私が書いた原稿で相手を傷つけてしまったのかもしれない」とかあらぬ妄想が始まってしまった。
 何度も自分に言いたい。私は完璧じゃないし、失敗もする。ミスがあるのが人間で、相手が怒っていると考えているのは私の心の中だけだ。仕事なのだから指摘もあるだろう。事実ではないことを極端に実体化し、自分を苦しめているのはいつも自分なのだから、もう少し力を抜いてほしい。
 薬の量が増えるのは変化の途中だから仕方ないと主治医に言われているので、堂々と薬を飲み、淡々と原稿の修正をした。死ぬわけじゃないんだから、私喚くのはやめてほしい。
 午前中に原稿修正を終え、夕方新大久保の銭湯に行き、ネパール料理を食べた。ネパール料理は味が濃く塩気が強いので明日はむくむだろう。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!