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今の時代、「発信しなければ存在しないのと同じ」ってのはマジ?

自分の分身、SNSアカウント

以前読んだ本に「発信しなければ存在しないのと同じ」と記載があった。要は、TwitterやInstagram、noteなどSNSツールを通して写真や言葉、文章を発信しなければ、誰もあなたの存在には気づきませんよ、ということである。

2010年頃、TwitterやInstagramが広まり、一人につき1アカウントが当たり前となった。アカウントは自分の分身。学生なら、学校で会った出来事やテストの情報、担任の先生のおもしろネタなどを投稿し、しばしば”楽しげを語る”ツールとしてその権威が確立されていったように思う。社会人はSNSをビジネスツールとして使い、会社に所属していようが個人で活動してようがお店を持ってようが、情報発信元として使いPRに役立てていった。

SNSができるメンタル

今年56歳になる母は、TwitterもInstagramのアカウントを持っていない。しかし、流行に敏感な父は世の中の流れについていこうとFacebookは始め、義母はInstagramに愛犬の写真を投稿しているところを見ると、SNSをやるメンタルを持ったおじさんやおばさんならば、誰でもSNSを始めることができている。

若い世代が当たり前にSNSをやっているかというと、そうではない。

顔面偏差値が韓国アイドル級なのでおそらくSNSを始めれば有名人になれそうな弟はかたくなにSNSをやらない。強い生き方の意思を持ち、自分の生活を全うしてる私の友達の主婦は一枚も生活が匂うような写真をInstagramには上げない。

SNSをやるには、自分をさらけ出すという勇気が必要で、例えば「25歳/デザイナー事務所で働いています。お仕事のご連絡先はこちらまでaaa@aiueo.cam(だいたいここはgmailのアドレスな)」的な自分アピールのためのプロフィール欄を作るにはいろんな恥を捨てなくちゃいけないし、それを見てくれない人のこととかを考えるとあれ、私SNS文化に踊らされているピエロじゃん!って自分にツッコミを入れるしかことの終わりの収集がつかなくなる。

苦手である。私はライターだけど、実名で仕事のアピールだったり、そういうことをするの、とっても苦手である。本当は文章を書いて誰かに批評されて自分が書いた文章をそのまま世の中に産み落としてみたいのだけど、苦手なんだからそれができない。

SNSができない人の価値はどこへ行く

「発信しないと存在しないのと同じ」という言葉にとても違和感がある。この時代に生まれたから、そのような価値観を押し付けられているんじゃないの?と。だったらSNSがない時代の人たちは無価値になってしまうの?と。言葉がヘタだったり、電子機器をうまく使いこなせなかったり、そういう人たちはどう生きていけばいいのでしょう。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!