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底抜けの実感を貯めるための記録

 去年は二度、「母と和解した」と私は宣言をしたらしい。パートナーに、それを俺は日記に書いてるから事実だからねと念を押された。「あなたは一度起こったことを、経験値に数えずにいつもなかったことにするよね」とも。
 母と和解したのは確かだが、その後、都度湧き上がる幼少期の怒りの感情や、「もうこのひとたちのことは親として諦めたのだ」という諦念、自分ひとりで生きていく心地よさなどに毎度揺さぶられるたびに、母と和解した事実は私の中でなくなってしまう。感情や経験をストックしておく私の瓶の底は抜けている。これは病気によるものなのか、性格によるものなのか、わからない。
 今日起きたできごとも書き留めておかないと、またその感情があなたの体に貯まらずに、父を憎み続けるだけだ。と、パートナーに焚き付けられたのでとりあえず下記に書こうと思う。しかし記録することに前向きではない。私が不本意なのはわかるだろう。疲れるのだ、父とのことを考えるのは。でも今後のためにも記す必要がある。枝毛がどんどん割れていくみたいに、ひとつひとつの感情を追ってしまうとパンクするから、出来事と事実だけを記す。

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 家族のことで最近揉めていた。母の還暦祝いを、盛大に祝いたい人と、面倒に考えている人の両方がいたからだ。私はどちらかというとそのときは面倒で、勝手にやればいいと思っていた。私たち3きょうだいの配偶者を含めた迷惑なLINEグループをはりきった父が突然立ち上げたこと(そんなLINEグループ、気を使って誰も発言できなかった)。弟夫婦に生まれた子どものことを考えずに「旅行に行こう」などと無鉄砲なことを弟1と父が言い出したこと(1歳未満の赤子の遠出の大変さを慮る想像力がない)など不具合がいくつか起こり、わたしは疲れ果てていて、今日父がある料亭の予約を誰の意見も聞かずに勝手にした報告ラインがきたとき、ついに堪忍袋の尾が切れ、気づいたら怒りながら父に電話をしていた。「あなたが民主主義的ではない物事の決め方をしたせいで、不信感がある」と。私、怒ると怖い。自分でもびっくりするが病気のせいもある。昔よりはリミッターが外れるのを自制できるようにはなったものの、ちゃんと声を荒げる。怒ってはいたものの、一方的な意見を押し付けたのではなく、双方が話し合ったという実感があった。私は自分の本音を話そうとするとひとりでに涙が出てきてしまう厄介な癖があるのだが、今回も例によって話しながら涙をだらだら流していた。これはアダルトチルドレンによくある習性らしい。

 最初は父も反論や言い訳をしていたもののきちんと私の意図を話すと、たしかに俺のやり方がよくなかった。ママの還暦が迫ってきているのに何も決まらない状況に焦ってしまった。などと、陳謝した。父が謝った。パートナー曰く「ひさこちゃんは“父に謝られたことなど一度もない。未来永劫ないに違いない”と言うが、そんなことはないと今日新たに心に刻んでほしい」と、私は自分の認識を改めなければならない。父は謝れる人間だった。昔から謝れる人間だったのか、最近謝れる人間になったのかは、わからないが、父は謝れる人間だったのだ。

 詳細を書くとまた疲弊してしまうので控えるが、この件は父が謝ったことで解決した。昨日大好きな宮藤官九郎の新しいドラマ「不適切にもほどがある!」を観た影響なのかもしれないな。新入社員と入社7年目の社員のすれ違いに対し「話し合おう」とミュージカル調で歌うシーンがあったおかげで、父と話し合おうという気になったのかもしれない。

 そしてその後父と長く話す時間があった。家ではひさこちゃんの話ばかりをする。昔のひさこに対する自分の対応を悔いることがある。ああしておけばよかった、あれを言わなければよかったなどと反省するが、過去を振り返っても仕方がないしな。前だけ向こうかなと思っている。昔もひさこちゃんはかわいかったが、いまもいちばんかわいい。

「お義父さんからそう言われたことを、忘れないでいてください。忘れないように書き留めてください」とパートナーがそっと言ってくれた。そしていま書いた。言葉には羽があり、飛んでいかないように書き留めておかねばならない。



今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!