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バージョン《D》(短編小説;10400文字)

<あるデバイスが、家庭も会社も世界も変える ── 怖いSF>


「課長、10分ほどお時間をいただいてもよろしいでしょうか!」
 快活な声に書類から眼を上げると、── 驚いたことに ── 倉田が、顔を輝かせて立っていた。
「え? あ……い、いいけど?」
 こちらが戸惑った。
「今、うちの課で素案を議論している、地方都市再活性化プロジェクトの具体化計画ですけど、僕なりの考えを企画書にまとめてみました。説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
「企画書? 君が? 本当か? ……あ、いや、はは話を聞かせてもらおうか」
「では、そちらのミーティングテーブルまでお願いできますか?」
「ああ……」
 私は目をこすりながら立ち上がった。
 倉田は昨年入社した新卒で、出身校は一流だが、配属の1週間後には既に、〃使えない奴〃というレッテルを貼られていた。いつもおどおどした素振りで、ぼそぼそと要領を得ない話し方をする。質問をしても、自信無げにうなずくか首を振るかのどちらかで、頼りないことこの上なかった。

 私が勤める建設会社には、営業などの対人業務が難しそうな事務屋を、とりあえず企画に回す、という悪習があった。
(そもそも、誰がこんな奴を採用したんだ! 責任とれよ!)
 日に何度か怒りが湧くが、本人に直接ぶつけてはパワハラ扱いされる。なんとか自信をつけさせようと簡単な仕事から任せ、丁寧な助言を心掛けた。しかし、なかなか教育成果が見えないまま、1年近くが経とうとしていた。
(今の仕事は向かないのかもしれないな……とはいえ、営業も無理だし……)
 倉田に向いた仕事はないか、他部署と相談を始めようとしていた矢先のことだった。

「……というように、初期投資もこの金額で抑えられますし、5年後には黒字が見込めます」
 数字を挙げて明確に言い切る倉田には ── この言葉を使う日が来ようとは夢のようだが ── 〃頼もしさ〃さえ感じた。
「なるほど、── 将来性もあり、現実的でもあり、だな」
「はい、どうでしょうか、課長、賛成いただけるのでしたら、来週までに営業サイドの支持も取り付けてきますが?」
「お、そ、そうか、頑張ってやってくれよ。きき、期待してるぞ」
 私は席に戻る倉田の背を見送った。
(俺の教育が功を奏したのだろうか? ……いや、それにしては変化が急激すぎる)
 部下の変貌はうれしかったが、あまりの豹変ぶりだった。
(知らないところで、何かとてつもないことが起こっているんじゃないか……)
 その晩、都心から郊外への長い帰宅途中も、彼の大きく見開いた目と、自分と会社の未来を微塵みじんも疑わない明るい声が、頭から離れなかった。

「……そういうわけでさ、暗くて使えなかった部下が、突然輝きだしたんだ」
 夕食の席で妻に話してみた。
「…いい薬…でも…あるのかしら」
「そういえば、ビジネスマンが抗鬱剤を飲むのが流行ってるらしいね。人格が明るくなる、ってさ」
「それより…亮介のこと…なんだけど」
 また、愚痴が始まった。私の帰宅前に食事を済ませ、いつものように自室にこもってゲームをしている息子が、どうやらクラスでいじめにあっているらしい、と言う。
「あいつ、要領が悪いからなあ」
「自分の子に…そんな言い方…しないでよ」
「担任の先生に相談したら?」
「それが…だめなの。教育大出て…3年目らしいんだけど…参観日に行っても…授業中、私語が多いし…立って歩く子までいるの。それを久保先生…注意もできないの。学級崩壊…じゃないかって言う…親もいるし。…男の子なんだから…あなた…亮介と…話してよ」
「話してって言われてもなあ……」
 最近は父親と眼も合わせようとしない、小学4年の息子の顔を思い浮かべた。
 ゲームばかりに夢中なので装置を取り上げたことがあったが、機嫌を損ねて不登校になりかけたため、返してやるほかなかった。
「あいつにも、いい薬があればなあ……」

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