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九丁目の鬼(短編小説;4,600文字)

「……今日はあの日ね」
 開店前の朝礼で、小池さんが山口さんに耳打ちした。
「ええ、……来るわね、──《鬼》が」
「……来る来る」

《鬼?》
(……節分はまだ、何カ月も先でしょ)

 開店とほとんど同時にお店に乗り込んで来た女性を見て、小池さんがささやいた。
「来たわよ!」
「ええっ?」
 年齢は40代後半ぐらい、こざっぱりとした服装で口もとには笑みをたたえたきれいな人だった。
「あの人が ── 《鬼》?」
 そのお客は、穏やかな表情でカートにバスケットを載せた。
「今にわかるわ。歩美あゆみちゃん、今日は野菜売り場の『ヘルプ』でしょ?」
「……ええ」

 スーパー・らくだでも、近頃ではレジ専任はいなくなり、お客様の動向に応じて、レジに出たり、商品を並べたり、機動的に配置につく。
 開店早々なので、担当がいるレジは1ラインのみ、他の店員はそれぞれの売り場に散っている。

──《鬼》は野菜果物売り場に直行した。

 今日の目玉は、ミカンの《詰め放題》。
 何個ぐらい詰めることができるかは、事前にテストを行っている。ビニール袋にうまく詰めれば、15-6個はいけるから、1個あたりの値段はいつもの袋詰め販売の半額程度になる。
 それを見越して、契約農家さんから安く大量に仕入れているのだ。

──《鬼》は《詰め放題》に直行した。

「始まるわよ!」
 後ろを通った山口さんがささやいた。

 その人は《詰め放題》の透明プラスチック袋を左手に、そして右手は、うず高く積まれた黄色の山に突っ込んだ。

 彼女の「詰め方」は明らかに他のお客さんとは違ってた。
 ミカンひとつひとつ、袋の隅から慎重に詰めた後、指で押して ── それも、顔を歪めるほどの力で ── 球形だったミカンが押し潰され変形するほどの力で……。

(あっ……あわわわっ!)

 ミカンは潰れて果汁が洩れ出し、透明な袋の下に溜まり始めた。
 そして ── 彼女の顔は徐々に険しくなり、目が吊り上がり、やがて真っ赤になり、歯を食いしばり ──

《鬼》になった!

 「詰め放題」に挑戦し始めた周りのお客さんも、驚いてこの《所業》を見ている。

(いち、にい、さん、……すごい!)

 本来球形に近いミカンだから、どれだけうまく詰めても隙間はできる。
 後から調べてみたら、同じ大きさの球を理想的に最密充填さいみつじゅうてんした場合でも、空間の「充填率」は74%にとどまるんだって。

 でも、《鬼》はその球を破壊して、隙間なく詰めようとしている。つまり、26%あるはずの「空隙率」を限りなくゼロに近づけようとしている!

すごい! 《鬼》ってすごい!

 アタシはほとんど感動していた。
 もう、ここには「《詰め放題道》を究めたい」とでもいう《求道ぐどう精神》しかない。「食物としてのミカン」はどうでもいいんだ!

****************

「……すごかったですね ──《鬼》
「でしょ? 他のお客さんは予想通り15-6個だったけど、鬼頭さんは23個詰めたって!」
 休憩室は《詰め放題の鬼》の話でもちきりだった。

「鬼頭さんっていうんですか? どんな人なんですか?」
「うーん。九丁目の戸建てに住んでる、普通の奥さんよ。子供の手が離れてから会社勤めしてるみたい。でも、《詰め放題》の時だけは朝イチで乗り込んでくるから、有給でも取るのかしらね」
 さすが中島チーフ、お客さんのことはよく知ってる。

「え、会社休んで? ……生き甲斐なのかしら」
「うーん。少しでも安く買いたいっていう《目的》のための《手段》だったはずじゃない、本来《詰め放題》って。その《手段》が《目的》に変わっちゃったのよ」

「ミカンは裂けて潰れて、袋の中も《鬼》の手も汁だらけだったけど、詰め終わった時には、なんだか《憑き物》が落ちたみたいに晴れやかな顔でしたよ! アタシも一緒になって大きく息をついたくらい!」

「……でもね」小池さんはため息をついた。
「ミカン農家の人が見たら、どう思うかしら。『詰め放題企画』に乗ってもらって、いつもより安く出荷してもらった、そのミカンがあんな風に……」
「それそれ」山口さんも言った。
「いつだったか、お茶の『詰め放題企画』があったじゃない? あの時も鬼頭さん、一番に乗り込んできて、お茶の葉を指で潰すようにして詰め始めたのよ」
「そうそう。『この人、り潰して《抹茶》にする気かよ!』と思ったくらい」
「あの時、私も、お茶の栽培農家さんが見たらどう思うかしら、って考えたもの」
「……そうよねえ」
「干しシイタケの時も粉々にしちゃったし……」
「……あれもひどかったわね」
 休憩室の空気は重かった。
 アタシは、ひとりだけ面白がってた自分が恥ずかしくなってきた。

「……ま、いいんだけどね」
「……まあ、本人がそれでいいなら」
「……潰しちゃいけないとか、細かいルール作ってもね。対象者は結局、ひとりだけなんだし」
「……でも、あのミカン、どうするのかしら」
「……ジュースにでもするのかな」

「うーん」
 考え始めたアタシに、中島チーフは釘を刺した。
歩美あゆみちゃん、言っておくけど、今度ばかりは動いちゃダメよ。《詰め放題》なんて、2カ月に1回ぐらいの企画なんだから。鬼頭さんも ── 確かに問題あるけど ── 楽しんでいただいてるんだから」
「……はあい」 

でもアタシ、考え始めたら止まらない!

「ねえ、歩美あゆみちゃん、なんかたくらんでるんじゃないの? ── 九丁目の《鬼》について」
 山口さんが心配そうに言う。
「……うーん」
「これまでと違って、ある意味、誰にも迷惑がかかっていないんだから、何もしない方がいいわよ」
「……そうなんだけど……」

 アタシはとりあえず、《詰め放題》以外の場面での《鬼》── 鬼頭さんを観察することにした。

 《鬼》── いやいや、鬼頭さんは平日は会社帰りだろう夕方、買い物にやってくる。穏やかな表情で、歩き方もおっとりしてる。
 夕食の支度のために早く買い物を済ませたい、でも、できれば値引きシールが貼ってある食材をゲットしたい ── 殺気立った《値引きハンター》たちが出没する時刻でもある。
 鬼頭さんはそんな人たちとは一線を画し、マイペースで買い物を続け、ひと回りするとレジに来る。

(普通の、いいお客さんじゃん!)

「アタシ、思ったんですけど」
 ある日の休憩室で話題にしてみた。
「鬼頭さんって、《詰め放題》の時だけ人格が変わるっていうか、《鬼》が出てくるんですね」
「そうなのよ」
 小池さんも頷いた。
「何か、過去にあったのかしらね。……でも、そんなこと探らなくたっていいわよ。中島チーフも言ってたじゃない、余計なお世話、しなくていいのよ」
「……わかってます」

 わかってる、でも ──
「アタシ、ミカンの時、最初は『すごい! ここまで徹底してるなんて!』って感心したんです。でも、後から思うと、他のお客さんがびっくりして ── ていうか、ほとんどあきれて見てましたよね。この休憩室でだって、こんなに噂になってます ── 《鬼》なんて徒名あだなまで付けられちゃって」
 そういうと、みんな顔を見合わせた。
「……なんだか、可哀そうになっちゃって」

「── 鬼頭さんから、《鬼》を追い出せばいいんじゃないかと思うんです!」
「……でも、どうやって?」
「豆ぶつけたりしちゃ、ダメよ!」
「それ! 《鬼》に豆をぶつけるんです! 《鬼》にだけ、ぶつけるんです!」
「それ、誰がやるのよ?」
鬼頭さん自身にやってもらうんです!」
「ええっ、どういうこと?」
「あ! ……でも、やっぱり、《応援団》が要るかなあ……」
「応援団?」
「鬼頭さんと一緒に、《鬼》に向かって豆をまいてくれる人たちです」
「ええっ?」
「……あ、そうだ!」

****************

「いよいよね、歩美あゆみちゃん」
「ハイ!」
「うまくいくかしら」
「大丈夫です!」
 午前中《詰め放題》の準備をしながら山口さんにそう言ったけれど、自信があったわけじゃない。
(でも、やるしかない)

 その《詰め放題》企画はアタシが提案した。
 といっても、一介のバイトにすぎないから、中島チーフに提案してもらったのだ。

「いつもと違って15時からの開始だけど、鬼頭さん、来るかしらね……商品も違うし……」
「……どうでしょうか」
 でも、スーパー・らくだで《詰め放題》企画はせいぜい2カ月に1回だ。この機をのがす《鬼》じゃないはず ── アタシはそう睨んだ。
「あ、来たわ、鬼頭さんよ!」

****************

「《鬼》、逃げて行ったわね、── 鬼頭さんから」
歩美あゆみちゃん、またやったわね」
「……はい、皆さんのおかげです」
 翌日の休憩室はその話題ばかりだった。

「でもね、歩美あゆみちゃん、どうしてあんなこと思いついたの?」
 中島チーフが尋ねる。
「……うーん……アタシ、鬼頭さん、どうしてかはわからないんだけど、《詰め放題》になると、何か『スイッチ』が入るんだなって思ったんです」
「それは……そうよね」
「で、『スイッチ』が入ると、自分が見えなくなるのかな、って思ったんです。だから、『鏡』が要るって思ったんです」
「……で、鏡?」
「ええ……でも、『鏡』だけだと ── 自分で豆をまくだけじゃなくて、やっぱり、周りの人がどう見てるかも知る必要があるのかな、って思ったんです。でも ──」
「大人、じゃあねえ」
「だから、お菓子にしたのよね」

****************

 15時開始の《詰め放題》前から、お菓子売り場に設けられたテーブル前は、小学校が退けた後の低学年の子供たちでごった返していた。
(《鬼》は必ず開始早々に現れる!)
 そう睨んだアタシは、小学2年の女の子がいる小林さんや3年の男の子を持つ山口さんに頼んで、15時前にはお友達を連れてきてもらってた。

 《詰め放題》は基本的に店側が少しだけ赤字になる集客企画だけど、大赤字じゃまずいから、今回詰めていいのは、大きな段ボール箱に入った、袋入りの駄菓子に限られる。

「はあい、開始でえす!」
 アタシは福引に使う《当たり鐘》を派手に鳴らした。
 歓声を上げながら、子供たちが厚めのビニール袋を受け取り、段ボール箱に突進した。何人かのお母さんやお婆さんらしい姿も混じってる ── その中に、鬼頭さんの姿もあった。

 最初はいつもの《詰め放題の鬼》だった。
 ── 眉間に皺が入り、ポテトチップスの袋を鷲掴みにして、ぐぐっと握り潰した。
 ── 袋が破れ、チップスの潰れる音に、
「うわわっ!」
「お菓子っ!」
「おばさんっ!」
 周りの子供たちが反応した。

(── そりゃそうよ、大事なお菓子を食べれなく ── 少なくとも、食べにくく ── しちゃうんだもん!)
 子供たちの視線が集まり、さすがの《鬼》も手が止まった ── そこで、鬼頭さんは初めて《詰め放題》用テーブルの前を見た ── そこには、今回の企画に備えて設置した、大きな鏡がある。

 鏡の中に何を見たのかは、鬼頭さんにしかわからない。
 でも、その後、彼女はもう菓子袋を握り潰すことはなく、静かにお菓子を詰め、詰め放題認定用の特設レジに持って来た。

 その顔は、とても穏やかだった。


〈初出:2022年11月23日〉

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