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地方創生Coach Note【復興へ向けての振り返り①】

これまでに約半数が二次避難を終えて、金沢から「通い」で能登手前のエリアへと向かうボランティア便がスタートし始めました。これまでの note でもお伝えしてきた通り、今後は予測通りに七尾周辺エリアの復旧、七尾エリアから奥能登エリアへという手順になっていくと思われます。

☆二次避難者への支援

ボランティア出来ない!! 政府遅い!という声も多いようですが、いや皆さん。各地へ散開した約半数の二次避難者への支援もまた必要とされていることを見落としています。
 
特にメンタルケア関連や未だにケチケチと「食事代は自腹ね!」とか「公的支援は社協を通じて(キリッ)」とか平時の対応をしてしまう行政ギャップの間をつないでいく支援も大切です。二次避難者を受け入れた自治体でも、こうした支援に関して門戸を開いていく、様々な団体から入ってくる支援金の使い道としては、ヘルスケアを意識した食事提供やカウンセリング。心身の健康という目的に沿った避難者への貢献を期待したいところです。
 
前回お伝えしましたように、遠隔地の二次避難所では「暇」を作らせないための「ワーク」をしてくれる方々には出番も多いところですし、僕自身も東日本大震災ではコーディネイト、マッチングしてきた経緯はここまで触れてきました。そして、この二次避難者への支援は、この後に続く仮設住宅での支援につながっていきます。必ず力になります
 
はい。そんなわけで、瓦礫の山で頑張る自分を見たいという欲求(映える自撮り)は、ボランティア精神とはかけ離れたものでしかありませんので、そんな人はいらんのです。
 
東日本大震災でも「よいボランティアさんだなぁ」という人と話すと、ほとんどの人が「大きな使命感とかないです」「むしろ元気をもらっているくらい」といった言葉を謙虚な態度で使われています。そんな「なんとなく」の動機でも「何かできるかも」と動き、「出来ることをやり続ける」人こそ、こうした有事に結果を出してくれます。
 
反対に、口だけの「使命感」や「凄い人(自称)」の意識高いだけ系は、早々と現場からいなくなります。このあたりは地方創生系あるあると一緒で、役立たずメンツの共通パターンとも言えますね。

☆ルールと運用

東日本大震災。特に石巻市は顕著な例でしたが「私有地は、公的機関による復旧エリアではない」とかの原則やらがあるようで、私有地、私道は無論、側溝や自治会(各組)の清掃片付けや泥だしといった居住エリアでの復旧作業は、ほぼほぼボランティア頼り(回収はしてくれる)。つまり、国道や市役所等は自衛隊や大型機械がやってくれますが、民間は全部手作業でやれってことです。今振り返っても、浸水した広大な街区をよくマンパワーだけでやりきったよねと。

しかも、既に有名なお話ですが、当時の石巻で床下まで入った泥はただの泥ではありませんでした。津波で崩壊した倉庫にストックされていた冷凍魚が一緒に流れ込み、そこで解凍、分解されて異臭を放ち、さらにウジが沸いて、大量の蠅の発生源になっていたのです。で、とにかくこれを除去しないと住むどころではないのですが、床下のような危険度の高い場所はボランティア保険の適用外となります。
 
結果、保険適用外を了承し、サインをして潜ったボランティアは、僕も含めて少なくなかったと思います。そしてもちろん、こうした特殊とも言えるケースにおいて、専門の業者による作業に災害関連の予算を使うことは誰でも考えます。しかし、こうした訴えや陳情は、行政からは門前払いされ続け、最後まで変わることはありませんでした。
 
おそらくですが、奥能登の2市2町でもこの原則とやらにより、東日本大震災時と同様に行政関連施設が最初にピカピカに復旧すると思います。そして、民間エリアの復旧は同様にボランティア頼みとなることは織り込んでおく方が心構えとして良さそうです(ポジティヴに期待してガッカリではなく、ネガティヴに分析し、リスクに備えてスタートする方が、結果としてポジティヴになる)。となれば、ボランティアが辿り着く導線がないと、復旧は一考に進まないということにもなるわけです。
 
七尾市等のエリアをボランティアの中長期滞在型拠点にしていく必要は、まさにここにあります。
 
普通に考えれば水道管を頑張って早期復旧させ、和倉温泉の復旧負担をする一方で、復旧後の試用期間中に滞在型拠点としての受け入れをしてもらう・といった形等は良いかと思います。が、先ほどのケースしかりで、政治行政ってこうしたお金の行先や優先度に見えないものが多すぎるんですよね。予備費使うレベルでサクッといけないかとも思いますが、はたしてどうなることか・。
 
というわけで、このあたりの状況やそれに対応していく時間的見込み、必要とされる物資と予算に対してどのようなビジョンを描き、戦略を構築するかが今、国、県に強く問われているところだと思います。首相が来る来ないのメンツ的話ではなく、今こそ、地元の政治家と対話していきしょうね!

*この地元選出二人による質疑はとても良かったです! ケチケチなサイコパス官僚原稿に突っ込んでいくの、とても大事。

☆現地自治体こそ主体的に

こうした復興に続く道のりは、政治におけるとても重要な役割です。その意味でも、基本設計を霞が関に丸投げしないことは重要だと考えます。
 
例えば、台風19号で被害を受けた長野県の千曲川流域では、こうした東日本大震災経験のフィードバックとそれを受けた議員、行政の方々が、素早く動いて広大なリンゴ畑のエリアからの泥だしに重機、小型機械を入れられるようにしていました。これは戦術レベルの話ではありますが、運用面での柔軟性を見せたことに価値があります。

東日本大震災においてもこうした議論は各地で山のようにありましたが、すべからく霞が関主導でとなり、テレビメディアでも「霞が関のエリートプランに逆らうわがままな被災地」的にプロパガンダのように扱われるようなケースもあり。結論ありきで住民は合意のアリバイ作りといわんばかりの対話集会があちこちで起こりました。
 
そして今は、そのエリートの机上の空論により失敗という結果だけが死屍累々と重なり、10年後レポートでも「想定外」というワードが並び、その責任を誰も取ってはくれません。しかし、三陸エリア現地においては、そこから生まれたダメージを今後も受け続けていくことすらあるわけです。 

先月には、こうした失敗を繰り返さないようにと岩手県の(株)雨風太陽の代表・高橋博之さんが宮城県石巻市(雄勝)から当事者を伴って輪島入り。東日本大震災の教訓からこれからをどうするかという熱の入った対話を繰り広げていらっしゃいました。いや、さすがです!
 
*というわけで、続きは次回に!


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