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批判と比較と意見と発信

大学生の頃はたくさんnoteを日記のように書いていた。
直接的に「岩田のnoteは変な事を書いている」というような事を言われたことはなかったけれど、おそらく「何を偉そうに書いているんだ」「しったかぶるな」という事を思っていた人はいたのではないかとは思っている。

最近に始まった話ではないけれど
SNSで発信した事に対して批判や誹謗中傷
そこまでに行かずとも意見を書いたり、比較をしたい、という人は多く観るようになった。

例えばドリブル塾の発信に対して
「そんなのは試合で使わない」

サッカーの監督のインタビューに対して
「そんなことは誰でもしっている。だからヨーロッパに勝てない」

サッカー選手や指導者が指導している様子を見て
「和式だ洋式だ」

これらのコメントが正しいかもしれないし、
批判的でも否定的でもコメントをしてくれている人はとても自分としてはありがたい。
僕はあまりわからないから。こういう意見もあるんだな、こういう意見も出てくるんだな、という参考になるので、評論家の方はどんどんそういう意見を発信して欲しい。僕はいろんな意見を見たいだけで、自分の中で「これだ!」という意見があるわけではないし、指導は自分の持っているものを伝える!というよりはその場の選手を良くする!という派なので。

ただ僕が思うのは仮に否定されている人物や組織があったとしても、発信の中で全てを伝えているとは限らないし、全てを伝えられるはずはない、ということは僕が思うことです。

それはこうして文章を書いたり、動画配信してみたり、みんなの前で発言をしてみたりするとわかること。

売り出し方やメディアも視聴数や儲けを狙って
みんなの目に留まりそうなシーン
を発信する。(それは当然のこと)

それをあたかも「その発言がその人物、その組織の全て」という拡大解釈をして人物や組織を叩くのはちょっとナンセンスだな〜と思うばかりです。

ナンセンスとは思いながらも僕のような
「いろんな意見を見ることが出来て楽しいな〜」と思ういつでも第三者になるような人は色んな情報を得る事ができてかなり得をします。
批判や意見の発信はみんながしてくれると僕の知識の肥やしになります。

みんなが発信側になったら、発信側の氣持ちに同情してしまい、振り切った批判が出来なくなる世界、は僕は面白さに欠けるので嫌です。
(かなり自己中心的な考え方ですが)

ただ、人格まで否定するのは違うと思いますし
そんなことはあってはならないと思います。

だからこうして今も1000字程度の文を書いていますが、これが岩田俊太朗の全てじゃないよ、これでまとめられる程文章力はもちあわせていないよ、
だから世の中の発信もたかだかXの140字や2分程度の動画、YouTubeだとしても長くて30分程の動画にその人の全てが入り込んでいるはずがない、企業秘密的な指導の秘伝のタレ的なものを、全てをそこに注ぎ込んでいる訳がないじゃないか!

という事が今日なんとなく書きたかったことです。

公式戦シーズンの秋口は色んなチームが叩かれますし、色んなチームが褒められます。
そういう意見をみるのが僕は好きです。もちろん自チームのことだとしても。

#サッカーコーチの独り言
#サッカー
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