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売れなかったけど、すごい本

 すごい、かどうかはわからないけれど(おそらくすごくはない、たぶん)、どの編集者にも、立案から愛着を持って取り組んだ本、というのがあります。「え、全部がそうじゃないの?」と心ある本好きは思われるかもしれません。そして「全部がそうです」と言い切れる編集者は、幸せで、かつ、そうとうデキる編集者です。全部がそうではない私は、幸せでないわけではないけれど、ほぼほぼデキない編集者といえます。
 今回のコラムは、おそらくすごくはないけれど、すごく編集者が愛着を持って作った、けれど、残念ながら売れなかった本、へのラブレターみたいなハナシです。内容がアレなので、詳しくは明かせませんが、仮に書名は『ターミネーターだけど大丈夫 ~愛の不時着でも特別出演』、ジャンルは自己啓発本、としましょう。

すべてが「作りたくて作った」本ではない? 


 本というのは、最初に作るロットの分だけでは利益は出ません。もちろん、原稿料やら図版代やら紙代やら印刷代やら宅配料金やらいろいろ事前に計算し、できる限り損が出ないよう、やりくりを重ねて制作するのですが、まあ利益は出ない。おそらく重版が2回くらいかかってようやくトントン、なケースが多いのではないでしょうか。
 だから、作る理由が「制作にかかる費用が少なくすむ」、という本もある
 また、「著者が新人時代に何かとお世話になった先輩社員(いまは役員)の昔からのお知り合い。その関係で先輩から頼まれて」という経緯で作る本もある。
 はては「この著者はたくさん自分で買ってくれるから」という理由で取り組む本もある。
 もちろん、スタートはそんな後ろ向きなスタンスだったとしても、制作中に思わぬ発見があったり、意外とその世界が好きな自分に気付いたり、やり取りを繰り返しているうちに著者が大好きになっていたり──、そんな理由で愛着がわく本もある。わかなくても、売れれば、かかわった人たちみんなが笑顔になってくれるので、その笑顔の分だけ愛情がわくこともある。
 悲しいのは、最初から愛着を持って取り組み、著者もデザイナーもイラストレーターもアイデア豊かで人柄も良く、何度も何度もやり直したけどちっとも苦じゃなくて、毎回仕上がりが楽しみで、ゲラをいろんなひとに見せて回ってはみんなが「面白い」といってくれて、それなのに売れなかった本、です。
 それが『ターミネーターだけど大丈夫』でした。

読みたい本が見つからないモヤモヤ。ならば自分が! 


 あるとき、私は病んでいました。いわゆる“仕事がうまく回らない”時期にあたっていました。
出す企画にことごとく茶々が入る。なんとかカタチにしようともがくけれど、いろんなひとの意見をミックスして練り上げた企画は、私が作りたいと思ったそれではなく、萎えるばかり。
また、人との関係もギクシャクしていました。デザイナーさんに、上手くコンセプトを伝えられない。わりあいうまく伝わったじゃん、というときでも、数日後に送られてくる案は、てんで方向違いだったりする。依頼した著者が、私の依頼した内容で、シレッと他社から新刊を出しているのを業界誌で知ったこともある。社内調整、いわゆる根回しの類もうまくいかず、なんで応援してくれないんだーと、悔しくてゴミ箱を蹴ったこともある(あとでバイト君が無言で片付けてくれて、いっそう落ち込んだ)。そして同僚がヒットを連発すれば、「誤植でも見つかればいいのに」と鬼舞辻無惨レベルの毒を吐く・・・・・。ああ、いくらでもあげられるわ。
 比較的大きな書店に行き、自己啓発本やビジネス書の背を見て歩くこと2時間。それを週に何度も、いろんな書店で繰り返しました。この病みと闇から、私を引っ張り出してくれる本に出会いたい、その一心で
 でも、出会えなかった。ある本は知っていることしか書かれていないし、ある本は深刻すぎて自分には当てはまらない。ある本はスピリチュアルに寄りすぎていたし、ある本はそもそも分厚くて読むのに時間がかかりすぎる。時間がかかっちゃダメなのだ、とにかく早くこの闇から抜け出なきゃならんのだから。
 ならば自分で作ってしまおう。ささっと読めて、とりあえず笑えて、気分が一新して、考え込むことなくすっと寝落ちできそうな本。そうして生まれたのが『ターミネーターだけど大丈夫』だったのです。

前評判はよかった、けれど・・・・・


 執筆を依頼した著者は、インストアマガジンで小さなコラムを書いていた人。自分から積極的に発信するタイプではありませんでしたが、こちらの提案には真摯に向き合い、グッドなアイデアも出してくれました。進行するにつれ何度かクラッシュを起こしかけましたが、上がってくる原稿が面白くて疲弊しない。ほかの場面では闇落ちしてしまいそうなことも、本書の制作場面ではそうならないのがふしぎでした。
 感触はよかったんです。ゲラを渡した人からの感想は上々だし、なぜか経理部の見知らぬ人から「あの本、ほしい」とメールがきたことも。たまたま部下が持っていて、数ページ読んだら面白く、まとめて読みたくなったから、と。ゲラを読んだアプリ制作会社からも「内容の一部を使わせて欲しい」と依頼がきました。「20代サラリーマンを元気づけるコラムを作っている。クスリと笑えて、明日もなんとか会社に行くかーって気にさせられるもの。本書の内容がまさにピッタリ」がその理由。これこそ、私が思い描いていた展開!! と浮き足立ちました
 でも、売れたとは言い難い結果でした。

自分と同じものを、世の中が欲しているとは限らない
がーん(←古い)。その思いは、いまもつねに私を悩ませ、ときに追い込みます。

 理由は、なんだろう。
営業担当者には、「宣伝努力が足りなかったんじゃない?」といわれました。
後輩からは「やっぱり著者がSNSとかで発信しないと……。◯◯さん(私のこと)も、そういうの、苦手ですよね」。
先輩からは「うちの会社はこのテの本を売るのは得意じゃないからね。あ、俺は面白く読んだけどね」(そういうフォローは要らない)。
 そして私が私にいうとしたら、「あらゆる努力が足りなかったんじゃない?」でしょうか
書影も、センスのよさとかちょっとした仕掛けみたいなことに凝ってみたけど、もっとベタなわかりやすい方向のものにしたほうがよかったのかもしれない。
本文の文字サイズも、もっと読みやすく大きくすればよかったかもしれない。
値段も、これじゃあ高かったよね。自己啓発本にしては、さくっと買える値段じゃなかった。
書名だって、何を伝える本なのか、読むとどんなヨイことが起こるのか、伝わりにくかったかもね・・・・・・。
そしてもうひとつ、「そもそも私が欲するものを、世の中は欲しているのか?」という自分への問いかけが足りなかったんじゃないか、ということ。

本作りと恋愛は、似ているかもしれない


 なんだか、本の話というより、恋の話みたいになってしまいました。愛して尽くしてみたけれど、それが相手には(世間にはorお客さんには)ちっとも刺さっていなかったのかも。恋愛も編集も、じつはベタが大事だからなー。
 失恋に終わってしまった『ターミネーターだけど大丈夫』を、いまもときどき読み返しては、クスリと笑っています。昔の恋人にとらわれているようで忸怩たる思いですが、やっぱり面白いんです。とくにちっちゃなトラブルで心がささくれ立ってるときにはよく効くんです。
 救いは、その後も著者は他社から声がかかり、すばらしい本を出版し続けていること。

売れなかったけど、すごい本。なんです、私にとっては。

(文/マルチーズ竹下)

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