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民主主義や意思決定は、欲望形成に基づく。

3年前に民主主義とデザインについて、マンジーニの捉えかたをもとに整理していた。いまみるとふわっとしてる記事だなと思うが、マンジーニによると民主主義とデザインの接続面は以下とされている。

1. 民主主義のデザイン(Design of Democracy)
2. 民主主義のためのデザイン(Design for Democracy)
3. 民主主義におけるデザイン(Design in Democracy)
4. 民主主義としてのデザイン(Design as Democracy)

https://note.com/siarrot/n/n2189fda41ba0

3年前に整理した時は、自分の運営するissuesは2つ目の回路に当たるな、くらいの解像度だった。1もRxCなど実験的な取り組みが出てきている。そういう面でシステム寄りの思考だったと思う。

正直4つめの参加型デザインなどを取り上げたところの解像度が高くなかったが、issuesで感じる問題意識や、公共とデザインでの活動などを経て自分なりに整理できた気がしている。

人間のリーンバックな性質と、デジタルポピュリズム

デジタルサービスはなんでもそうだが、基本はリーンバックに使われる。リーンバックとは後ろにもたれかかっている状態。リーンフォワードは反対に、前のめりになっている状態。

リーンフォワードの状態に持って行くサービス(個人的には、将棋ウォーズとかはリーンフォワードな状態じゃないと勝てない)もあるが、InstagramにせよFacebookにせよ、Xにせよ、基本toCでユニコーンになるサービスに共通しているのは寝転びながらでも使えることだと思う。

このリーンバックという考えがいろんな問題を引き起こしている。つまり考えずにものごとを判断したり、楽をしたいという欲望を利用した設計だから。

困りごとをテーマにして、議員を通して行政府に要望できるサービス「issues」でいうと、反射で押されるテーマとそうでないテーマが分かれる。たとえば、生活に密着した課題は押されやすいが、地球温暖化といった抽象度が高い問題は押されにくかったりする。

選挙における投票率の低さも、納得がいく。わざわざ足を運んで会場にいくということはリーンフォワードな行為だから。サービス作りの視点からすると、投票率40%は高いとすら思う。

リーンバックを利用し、政策づくりへの参加のハードルを下げる

issuesに参加してくれる人は元々投票にいっている人が多いといえば多いが、選挙以外で政治と接点があった人は少ない。これがなぜ使われているかというと、イシューの単位をその人が「ほしい」というものにしているから。

たとえば一番人気なのは「小学校の欠席届をオンライン化してほしい」「だったり「災害時にペットと一緒に避難できるようにしてほしい」だったりする。見てわかるように政治に意識が高くなくても参加できる、むしろそういった方に届くようなイシュー設定にしている。

これは「ほしい」ものを差し出している点で、リーンバック的な思想であり、デジタルポピュリズムも引き起こしかねないともいえる。しかし、確実に参加のハードルを下げているともいえる。

issuesを通して政治家から返信をもらい「こんなに真摯に動いてくれるとは思わなかった」「政策づくりの過程が報告してもらえて見方が変わった」という声も聞く。リーンバックを利用して新たな回路をつくれている手応えもある。

熟考・熟議の課題

デジタルポピュリズム的なものの懸念の一つが熟議の欠如です。以下の記事でも書いていますが、投票システムの改善だけではなく、市民自体の熟議・熟慮がない多数決はかえって正しくない政策を導いてしまうこともあります。

住民ニーズを知った上で、行政府の持っているお金やさまざまな政策、計画との兼ね合いを踏まえ提案をするといった、交通整理の役割として政治家が存在しますが、市民の票によって当選が決まる以上は多数決やデジタルポピュリズムの影響は受けざるをえません。

そう考えると人々のなかで、一定の熟議や対話が必要だと思えます。その重要性と事例については上記のnoteで書いているので割愛。

自分の欲望が形成されていないと、対話しようと言われても無理がある

熟議や対話しようと言うことは簡単です。でも、それだけでは全くやる気がしない。たとえば自分の場合、急に海洋ゴミ汚染の問題について話す会に誘われたとしても、時間を割いていこうとは思わない。そもそもいろんなイシューがあるなかで、そんなことやっていたらキリがない。

基本的に、わたしたちは自らとのつながりを感じられなければ能動的にものごとに関わろうとは思いません。たとえば自分なら、こういう記事を書いているように、社会システムやルールメイキングに関心があります。

これは最初から関心があったわけではなく、自分の生きづらさからそもそも社会の要因について考えるようになったり、前の記事で書いたようにデザインのアウトカムを考えてきた結果、社会形成の構造にアプローチするようなことをしたいと思ったからです。つまり、「こうしたい」という欲望が形成されている。

民主主義における欲望形成の支援

自分と関係あること、関心があることについて熟議や対話を深めてルール形成に接続する。大事なことです。ただこれはポピュリズムの延長といえば延長です。関心が多く集まるテーマだけが、熟議をされ続けるという点においては。

そう考えると「これは自分にも関係あるかもしれない」といった想像力をどう拡張できるのか。あるいはそもそも「自分はこういう暮らしをしたいのかもしれない」というのを個人のなかからも立ち上げていくことが重要に感じます。

表現と内省による、欲望形成の支援としてのデザイン

公共とデザインで行った「産まみ(む)めも」は、産むの選択を控える方々と、専門家・不妊治療経験者・養子縁組経験者・産まない選択をされた方などとの協働と、個人の内省・問いを深める表現プロセスを実践し、「こういう未来が自分にとって望ましい」という希望を作品制作などで明らかにしていきました。

参加者の作品の一部。

また公共とデザインの兄弟法人Deep Care Labでも、エコロジーとわたしの接続を図るワークやプログラムを手掛けています。下記は身近にあるゴミを供養することから、自らの生活とゴミ問題を結びつける意識変容のワークショップ。

昨日は亀岡・霧の芸術祭の一部、KIRIKIRI芸術大学にてゴミをテーマにしたワークショップを行いました。 ゴミへの関わり方を見つめ直す物語の創出などを行い、個人の実体験や感情的な側面から、問題に向き合い日常のまなざしを変える実験。参加して...

Posted by Deep Care Lab on Sunday, August 1, 2021

自分の生活と社会・環境といった大きな問題への接続はなかなかひとりでは難しい。エビデンスベースの「〜べき」議論はもってのほか。言語だけではなくて、遊び心を持って取り組めないと難しい。だからこそ、表現や内省のサポートで、欲望形成を支援することが重要だと考えます。

そこに表現や内省をサポートするデザイン的なプロセス支援の可能性を感じています。

現状issuesは意思決定の回路で、公共とデザインやDeep Care Labはその前の欲望形成や想像力の拡張を担っている。目先の経営では、どうやって事業として軌道に乗せるかの方がメインイシューだが、中長期的にはその接続やバランスを踏まえたプロセスづくりをしていくことで、反射的なポピュリズムや手触りを感じられない政治参加などにアプローチしていけるのではないかと考えている。

cf. 國分功一郎さんのいう「欲望形成支援」

この記事の展開は、國分功一郎さんの考え方に影響を受けています。

意思決定支援というのは新自由主義的ですね。「結局は自己責任」という考えが根底にある。一緒に欲望の形をハッキリさせていくというのはそれとは違いますね。つまり、「決定権を委ねます」「決定しました」「決定を受け取りました」というのは、徹頭徹尾、能動・受動の対立に基づいていますね。それに対し、「一緒につくっていきましょう」というのは中動態的だと言えると思います。

第1回 20分でわかる中動態――國分功一郎 http://igs-kankan.com/article/2019/10/001185/

意思決定をしようみたいなものは"ちゃんと考えられる個人"という前提に基づいています。そもそも自分も含めて、社会や政治なんて考えている人の方が少ないでしょう。政治も自己責任論ではなく、どういう未来が望ましいか、一旦こうあるべきを置いて自分たちの考え方を作り直して行くプロセスが重要に感じます。

國分功一郎さんはここでオープンダイアログという心理療法アプローチを事例にあげていますが、自分は民主主義や政治におけるオープンダイアログや協働の場とは?というところに関心があるのかもしれません。

オープンダイアログを実践する斎藤環さんも論考のなかで下記のように述べている。

意思決定支援を考える際に、一抹の違和感を覚える。それは治療者が患者の安定した治療意欲を前提にしているように見えるからである。

「意思決定支援」から「欲望形成支援」へ https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1230040179.pdf

これも民主主義や政治でもいえること。意思決定に至るまでの過程の、欲望形が民主主義の前提になりうる。この辺りの話しは10/11のイベントでも話す予定です。


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