素晴らしく難解な思考(東アフリカ)

最近は書店で購入する本と言えば
漫画か雑誌しか買わなくなりましたが
この本は買って手元に置いておこうかと
思うほど難しく素敵な本でした。

皆さん、本は出来るだけ
地元の書店で購入しましょうね。

どうも岩﨑です。

さて、内容に入りたいと思います。

東アフリカに位置するケニアに
トゥルカナの遊牧民族がいます。
彼らはラクダ、羊、牛、ヤギを飼育し
紙幣に交換したり、穀物と家畜を
交換したり、殺して食べたりします。
このような家畜の扱いを
原始貨幣と呼称します。

そして私的にこの本の最大の特徴は
彼らの生活様式に根付く「ねだり」
と言う交渉術の話になります。

私たち日本人とは話の前提が
別次元にあるので、読み進める
事は出来ても理解することが
非常に難しい内容になります。

所で皆さん、最近交渉はしましたか?
(私は、、、
子供とお風呂に入る交渉をしました)

交渉と言って思い浮かぶのは
事件解決のためのネゴシネーターや
裁判で登場する弁護士
住宅を購入するときの不動産とのやり取り
旦那のお小遣い値上げの交渉や
身近な例でいうと
車を買う時や家電を買う時にも
交渉は発生しますが
日常的に交渉してる?と言うほどでは
ありませんよね。

ちなみに商品の「定価」と言う概念は
誕生してまだ200年も経っていないと
言われています。
定価が生まれたのは180年くらい前の
フランスと言う話があります。

では、それまで人々は
どうやって商品を購入していたのか?
そう、実は毎回交渉していたのです。

手前みそな勝手なイメージだと
大阪の婦人の皆様は交渉がとても
上手なイメージであります。
(にいちゃんこれなんぼ?高いわ~的な)

そうなると、世界の中にはいまだに
定価が無い状態の地域があっても
普通の事だと思いませんか?

話をトゥルカナの人々に戻します。
彼らの最大の特徴「ねだり」ですが
東アフリカに限らず
貧しい国では日常的にねだりが
発生しているような・・・・気がします。
日本人も戦後は米兵に対して
ギブミーチョコレートとねだりを
常に挑んでいましたし
貧しい状態ではねだりは生き残る為に
有効な手段だと言う事です。

ですが、そこそこ豊かになった状態では
ねだりと言う行為はあまり行われなくなりました。
その理由として
モノをねだった後には感情の負債が生まれるからです。
私たちは物を通じて人間関係に上下を作り
物を送られた方は、送った方に「負債の感情」を
作り出します。
皆さんに分かりやすい言葉だと返報性の法則です。


https://pharm-kusuri.com/psychologia/henou.html

彼らのねだりには返報性の法則が生まれません(かなり生まれにくい)
↑ まずここが分かりにくいポイントで
彼らには「恩を売る」「貸しを付ける」的な
概念が極力薄いの事が分かります。
補足すると、それでも彼らは「分かちあう」事は
日常的にあります。
羊を食べる時はみんなで食べますし
人に言われなくても人に分け与えます。
(ただし、これにも違った問題があります)
ちなみに彼らが使う言葉に「ありがとう」と
該当する言葉はないそうです。

そして、彼らのねだりは強烈で
初めてねだりを受けた人は
何て上から目線で物を乞うことをするのだ!
と、誰もが感じるほど
強いねだりが始まります。

もともとアフリカには「持つ者」から
「持たざる者」が物をねだり乞う文化が
広く広まっています。
それを前提に考えても
彼らほど当然の様に物をねだる事は
アフリカでも珍しいほどです。

彼らにはねだる権利があると思っていて
物をねだり取った後でも、貰った人に
対して、自分の立場が弱くなると感じる
心やねだる事が恥ずかしいと思う事が
ありません。
よって、感情の負債が生ませません。

と言う事は
与えた側の「与えてやった」
「恩を送った」
「貸しを作ってやった」
と心の中で思う感情が
彼らには生まれにくいと言う事です。
(補足、彼らは冷たいわけではないです)

彼らのねだりを受けた
研究者が抱いた感情を記します

日本人、伊谷さんの場合
「彼らのねだりには本当に手を焼いた」
伊谷さんはアフリカ人の振舞に詳しく彼らの
感情や感じ方も詳しくわかるのですが
それでもトゥルカナの人達は
論理的にも感情的にも理解が困難だと示した。
「あんまりにねだりが続くので、彼らが
何回ねだりに来るか調べてみた。」
PM5:30から三時間の間に私の元に
ねだりにきたトゥルカナの人は42人。
これは4分20秒に一回のねだりを受けたことになる。

イギリス人人類学者ガリバーさんの場合
ガリバーは自分の妻とトゥルカナ男性の間に
おこった興味深い出来事を紹介した。

ある日、私たちの調査に協力してくれた男性が
やってきて「自分はなにをもらえるのか」と
訪ねてきた。私の妻は、「あなたはなにがもらえるのか
(要求するのではなく)待っているべきだ。
私たちの国では贈り物は要求するものではなく
友人関係があれば、しかるべき時に与えられるものだ。」と
答えた。  すると男性はすぐに「自分たちのやり方は違う」
と反論した。
ここでは欲しい物があれば要求する、そうしなければ
何も得られない。」
「でも私たちは(あなたたちに)いろんなものをあげたけど
だれもお返ししてくれなかった」と妻が言うと
彼は「ああ、あなたたちはそれを要求するべきなのだ」と
答えた。


「ねだり」の拒否

彼らのねだりは基本的には拒否ができません。
「お前の時計いいな、くれよ」
「買ったばっかりだからダメだよ」
と言う拒否が通じません。
何故拒否できないのか?
その理由は交渉の結果ではないからです。
「くれ」→「嫌だ」は交渉ではない。
この本の文中には数人の研究者が
彼らの事を研究していますが
本文の一説にこんな言葉がありました。
「ねだりを断る事は、その何倍もの努力が
必要になるだろう。」
「ねだり」は断っても相手が引き下がらない為
押し問答が続く。

言葉は悪い例えかもしれませんが
「交渉のプロ(やくざ)から
逃れるすべはない」的な感覚に近い
物なのかもしれません。
やくざさんなら警察が介入できますが
トゥルカナの人は一般の人ですし
現地には止める人がいません。
「ねだり」を断ることがほぼ
不可能だと言う事がわかるはずです。

彼らは
「外国人及び他民族に対してねだりを行う」
だから、ねだりの交渉が上手くいくのだろう?
と考える事も出来るかもしれませんが
彼らは彼らからもねだりを受けます。
仮に腕時計をねだり取ったら
その場で他のトゥルカナの人から
ねだりを受けます。
彼らは、彼らからも誰らでもねだるのです。

彼らにとってねだりとは?
彼らにとってねだりとは当たり前の行動で
子どもが成長するにしたがって
「自分の権利」と「名誉」を強く主張し
それを勝ち取る事
そして、自分の利益を防衛する事を
学ばなければならないのだ。
彼らも友人や知人からねだりの受け続けるのだ。
そして、ねだりの行為の中で
「恥」とか「立場が劣位になる」とは
思っていません。
「物をねだる事は当然の権利なのです。」

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