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何故、自殺未遂を繰り返すのか?私が経験したことを感じてしまったのなら…繰り返す原因になるかもしれない。

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私は、発作的に薬物過剰摂取ODをしてしまった。
退院の日、仲良くなった入院患者さんに私は、また戻って来るから、さよならじゃなく、またね!と笑顔で言われました。


その意味を書こうと思います。



両親、姉からのモラハラ。家族の希望。
それぞれがやりたい事を通すたび、その皺寄せは私のところへ回ってくる。

元旦那は、2年に1度のペースで問題を起こした。その尻拭いに追われ、私は、自分にもあったはずの夢とか、希望を捨てざるを得なかった。

一つ一つ、諦めていくたび、心にはヒビが入り、虚しさで溢れていった。我慢が限界を超えていた。


子供たちが成長する段階で、子供たちが味方になったり、助けてくれるわけでは無いと思い知らされる。

親だから、大人だから、性格がしっかりしてるから、そんなのは、あるわけがない。耐えているだけ。
大人でも子供的な部分は残しているし、親でも人間だから、信じていた人にそっけなくされると生きている意味がわからなくなる。

私は、現実を見ていくことに恐怖を感じ、薬物過剰摂取をした。



私は、問題が多い私の家族から、逃げたいと思いながら耐えてきた。
元旦那の借金が新たに発覚したときに、手が震えた。2度も勝手に作られた借金に付き合う心の余裕は、もう無かった。
娘に高校すら行かせられるか分からないと仕方なく話をした。なんとか行かせられるように頑張るけど、高校までが限界だと思う。正直に話した。

娘は国立に入る事を望んだ。合格したら、間違いなく3年が限界と話したより、2年長く扶養となる事だった。本当に推薦で合格し、親なら心から喜ぶべきことを私は、更に不安で押しつぶされそうだった。お金がなく、必死で搔き集めた。

母さん、もっと働くから、家の事やって欲しいと頼んだが、遊びたいさかり、友人を一番と考える年頃だし、弟の面倒は、見てくれず、その都度、言い訳を言われた。

娘の勝手さに、怒りを覚えてた。私は、年齢的にも再就職するには、限界の年齢だろうと感じていても協力してくれる人がいないと出来ない。葛藤が続く。

お金を用意しなくてはという焦りと元旦那の2年に1度起こされる問題行動に出口を見失っていた。

悩めば悩むほど、過眠症の症状は、ひどくなり、
そして、鬱も加速した。

この先、私は、どうしたらいいんだろうと病院で医師と相談し、生きてくために自分を障害者と受け入れ、自分を諦めた。

私は、私が我慢すればと思っていたが、我慢というグラスには、キャパを超えた水が注がれ、少しずつ溢れ出してきた感じであった。

沢山の人の選択や言葉に傷つき、グラスは、ヒビが入っていた。
お金がない、もう疲れた。よく意識が飛ぶようになって怖いと話しても協力は得られなかった。そして、何気ない家族の一言がそのグラスをとうとう割ってしまった。

私は、泣きながら薬物過剰摂取した。

退院後、離婚をするのだが、慰謝料をちゃんと払うから、私に息子を引き取れと言われた。
彼は、また嘘をついて、自己破産し、債務と扱われる慰謝料は、ゼロとなった。


思い切って息子にも18歳までしか面倒見られないと伝えた。
彼は、奨学金で大学に行くと言いつつも、自分がお金を借りることを嫌がってるのは、伝わった。

私は、21歳から子育てし、上の子と下の子の年の差が10歳もあったので、50になった今も子育てをしている

そして、息子は、俺が大学に行かないと後の人生が困ると。私は、あと4年も延びるのかと怖くなっていた。私が今、苦しく、人生に困っているのだけど…

ずっと苦しんでいるのに…なぜ伝わらないんだろう…

私は、息子を育てるために、再就職を試みた。営業の仕事に派遣から入り、正社員になった。

でも突然、脳がスリープモードに入る病気で、会社に入って半年の間に2度も安全な運転が出来なくなった事があった。
仕方なく会社へ連絡しコンビニの駐車場などで、頭が覚醒するまで待った。
申し訳ない気持ちでいたが、社長や上の役職の方は、分かって採用したのだから、気にせず安全を優先するように言ってくださった。その気持ちに応えたかった。
しかし、直属の上司には、伝わらず、薬が効かなくなっても運転して配達を頼む日もあると言われた。そして私は、それが出来ない理由を説明したが嫌がらせが始まり、ミスをしたわけでもないのに、お客様の前、他の従業員の前で怒号を浴びせられ、退職した。

離婚して3年出会いを求めても、私の病気を利用しようとする人ばかり。私の人間不信は、加速する。

1年近く付き合った人もいたが、体調を崩し我が家へ来て看病させ、症状が2日間で改善し、私に風邪が伝染ると自分の家に帰って行った。息子との関係が良くなかったのもある。帰りたそうだったので帰ってもらった。

私は、子宮筋腫で子宮を全摘して、療養中で免疫力が下がっていたため風邪をもらったせいで、2週間寝たきり、病院へ行く体力もなく、ひたすら耐えていた。そしたら、血痰がでて、地を這う感じで病院にいった。先生には、何故ここまでなるまで放置してたと怒られるも、どうしようもなかったのである。
立ち上がることすら出来なくなっていたから。

看病してくれた人が体調崩したら、家に帰る人間の気持ちってどうなんだろう。

私は、体調が悪くなり、彼に助けを求めたら、何故か息子の悪口を言われて、家族をとるのか?自分をとるのか?と聞かれた。何故かプロポーズをされた。意味がわからなかった。
結局、私は婚姻中も離婚しても看病してくれる人はいない寂しさをまた、味わった。
プロポーズは断った。


私が出会う相手は、運悪く、身体目当てで、おかしな提案されたり、罵倒され、私の心は碎けてしまった。

男性恐怖症に拍車がかかり、外へ出るのが億劫から恐怖に変わっていった。


今までも色々あったけど、最近本当に疲れと男性の理不尽さを感じていて、昔、ODしたことを思い出す。

そして、その時の事を鮮明に思いだしてしまった。

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