生徒の主体性を尊重すると言うが (教育問題)

「うちの塾では、生徒の主体性(積極性)を尊重しております。なので、宿題、課題は設けず当人の自習学習(目標設定)を何より尊重します。」

就活中にこんな謳い文句を並べた学習塾(企業)がありました。

競争心を超えてもはや闘争心を掻き立てているとさえ言ってもいい昨今の教育事情に懐疑的な私からすると、「ほー、生徒に合ったペースで学習をサポートするなんてそれは素晴らしい考えだ、是非志望してやろう」という気持ちでその会社にエントリーしました。

結果、とてつもない詐欺文句であったことが発覚致しました。

面接の時に、勉強合宿の様子を映したDVDを見せられたのですが、そこには、一切「生徒の主体性」を尊重する姿勢はありませんでした。

いや、なかっただけなら、まだ良かったです。分かりやすく「ワーク20ページやってこいよ!!!」と学校風にやっているのであれば、わたしもブチギレはしなかったです。

奴らがやっていたのは、むしろ主体性を損なわせる迎合教育でした。

塾講側「ワーク何ページするん?」
生徒「10ページします」
塾講側「は?そんなんで成長できんの?」
生徒「……」
塾講側「好きにしたらええやん、それでええと思うなら」
生徒「30頁頑張ります…」
塾講側「おう、ほなそれでええ」

DVDに写った塾講側と生徒側のやり取りです。

これの何が主体性を尊重しているのでしょうか?ただただ無言の圧を与えて、生徒の目標設定を捻じ曲げるのが主体性の尊重だと言いたいのでしょうか?馬鹿なのでしょうか?

むしろ、奴らがやっているのは、生徒に顔色を伺わせる習性を身につけさせる教育(?)です。「主体性」という言葉を理解していると到底思えません。

これ一応最終面接だったんですけど、胸くそ悪くなったので、言いたいこと全部言ってこっちから志望は辞退しました。

私は、やはり哲学に畑を持つ人間なので、昨今の教育について、「自分の頭で思考すること」と「自分の意見を言えること」を育んで欲しいなと日頃思っています。

しかし、この学習塾の一場面は、自発思考と意見の表現力を育むことへの阻害でしかなく、邪魔者でしかありません。

教育問題と言うと学校の在り方問題に主軸がおかれます。もちろん、それを否定するつもりは毛頭ございません。
教育機関の顔はやはり、学校施設だと思います。そこに問題があるならしっかり熟議していくべきです。

しかし、教育問題を論じる上で果たして学校だけに責任があるのか?ここまで見てもらえばお分かりの通り、私はそう思いません。

自分の頭で考えることが出来ない人間を排出している要因には、学校教育のみならず塾側にもその功罪があると私は思います(もちろん全ての塾がこの事例に該当するわけではないでしょうが)。

以上、過去の体験談を交えつつ教育問題について書いてみました。
いつも古典とか哲学じみた話が多いですが、法学部時代に憲法と並んでいじめ防止対策推進法をガチるぐらいには、教育問題には関心があります笑

以上、駄文にお付き合い頂きありがとうございました!

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