バランスってどう取るんでょうね?

今回は、結論も何も無い相当雑なブログですので、ご無理なさらず読み流して下さい笑

バランスを取るのって大切ですよね?単純な例だと体重でしょうか。あり過ぎても、無さ過ぎても不健康です。

この例の場合、健康に害が出ないのなら、バランスが取れていると言えます。
しかし、世の中の問題はそう分かりやすいものでは、ありません。

例えば、コスパ・タイパが良いとされる現代社会。
最近、流行りの書籍や学者達がこのコスパ・タイパ傾向に警鐘を鳴らしています。

しかしだからと言って、効率性と言った部分が完全に削ぎ落とされるのも、また別の問題が出てきそうな気はします。

では、どこでバランスを取ればいいのでしょうか?タイパ偏重でも無ければ、非効率偏重にもなっていないバランス的な部分は?

こんなことを考え始めたことには、理由があります。
それは、植原亮という哲学者の方が書いた『遅考術』という本を知ったのがきっかけです(未読)。

文字通り、即断即決をするのでなく、「遅く考える」つまり、熟考することの大切さを訴えかけている本(ぽい)です。

私も、この主張には概ね賛同です。即断即決が求められる場面があるとは思いますが、妥当な考えを打ち出す上で、遅考という名の熟考は必要不可欠だと思われます。

では、どこまで遅く考えればいいのでしょうか?早計な判断が蔓延る世の中、遅く考えることは大事ですが、さすがにどこかで思考を切断しなくてはいけません。
 
立命館大学の千葉雅也先生なら、非意味的切断、つまり、限界を感じたタイミングや、他のことに興味を感じたタイミングで終われば良いと言う気がします(多分)。

自分も原則この立場です。しかし、「これぐらいでバランスが取れた!」と言えるような妥当な基準は無いのでしょうか?

おそらく、この妥当な基準は、皆の「平均値」とは、なり得ないと思います。
(哲学的な問題においては)

周りの考えを聞いてみようとしても、大抵その周りの人も煽られていて、過剰な側にいる可能性があります。
炎上している事件絡みとかは、特にそうです。

よって、皆の平均値(に近い考え)は、当てにならない、過剰な考え・行為である可能性が捨てきれません。

マジョリティーは、過剰で熱しやすいという点は、フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンや、スペインの哲学者オルテガの著作を参照してみると分かりやすいでしょう。

であるのなら、どこに妥当な基準を求めれば良いか?或いは、そんなものは無いと言える根拠をどこに探しに行けばいいか?

これが私の今考えてることです笑

一つ有り得そうな事態として、妥当な基準Aが見つかっても、その妥当な基準Aを妥当にする為の妥当な基準Bが必要となり、そしてこのBを妥当という為の基準Cが必要になり…… これを繰り返す(無限遡行になる)はめになりそうな気がします。

この無限遡行に陥らないような、基準に辿り付けるのでしょうか?
とりあえず、暇な時にまた考えてみます笑

以上

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