見出し画像

しなくて良い苦労はしない方が良いのか?

昨日の糸掛けの会。


リボーンという名前のデザイン。

レース編みのような模様で、好き。


模様の出し方は、
自分のさじ加減で微妙に違ってくるデザインなので、【どうしようかな~】と、
考え、迷う感じを
見守るのがなかなか良いです。


母が描いた顔彩画。

母の描く絵のキャラと
母自身のキャラが、私の中で少しギャップがあって、
どっちが、本当の母なんだろう?
と思うことがある。


私は、【母】を見ているけれど、
絵には、【母では無い】彼女が居るのだろう。


それは、私という人間を
子供たちが見る時もそうなのかもしれないなぁ。


なんて事を考える時、
自分のフィールドが多ければ多いほど、
自分を型どる面は多角になっていく。
多角になればなるほど、
マルに近付く。

その立場を体験(経験)していない以上、
共感もできない。


【しなくてもよい苦労はしなくてよい】


でも、苦労したのなら、
それを共感に変えて寄り添う役目があるんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?