不満を表明しちゃダメなんてことない
夏休みのnote 7日目。
ネタ切れだなぁと思い、下書きnoteを見返してみた。
下書きに淀んでいた感情
こんなタイトルの下書きがあった。
下書きを開いてみると本文は空白であった。
モヤモヤを言葉にしたかったが、力及ばずだったようだ。
今なら少しはこの気持ちを料理できるかもしれないから、今日はこれをテーマにしよう。
不満を表明していい側/ダメ側
当時思っていたことは多分こんなことだ。
世の中の人は2種類に分かれる。
"不満をぶちまけ空気を悪くする人"と
"不満を表明することを許されず抑圧される人"に。
世の中には様々な上下関係、権力関係がある。
親と子、上司と部下、先生と学生、コーチと選手。
そういった権力の構図の中で、
上から下へと叱責、アドバイスといった形の言葉や態度が飛んでいく。
そういう関係性の中で、
常に弱い立場にいる自分。
不満を表明することを"許されてない"。
なんで許されていないんだ。
抑圧されてしかない。
つらい。
そう嘆いていたと思う。
不満を表明"してはいけない"
権力構造の中で下位の者は不満を言っては"いけない"。
自分はそんな強固な価値観を持っている。
それが形成されたのは過去の経験によると思う。
小学生の時に、
そんなことで怒る?ということで親からめちゃくちゃ怒られた。
自分は返事をしたが届いておらず、スポーツ少年団のコーチから怒られた。
日常的に怒られる環境にいれば、大したことないと思うかもしれないが、そうではなかった自分にとってこの経験は、
どうしたら怒られるか分からないから必要以上に気を遣うようになり、怒られないために不満を言わないようにするという結果をもたらした。
時は経ち、それらは内面化され、強固な規範になっていた。
不満を表明していけなくはない
常に耐える側にいることは、自分に余裕があれば、なんとかやり過ごすこともできるだろうが、自分がいっぱいいっぱいの時にはとても耐えられないし。
それに、明らかに向こうが悪いだろ…というときもあれば、これはもっと改善できるだろという時もある。
そんなこんなで、不満を受ける専門ではいられないと思うようになった。
そうして初めて気づいた。
確かに上下関係において上位者の方が正しいことを言っている可能性は高い。
だからと言って、意見に反対すること、反対まではいかなくても納得できないことくらい伝えることは"絶対にしてはいけない"ことだろうか?
冷静に、自分事から離れて第三者的な視点で考えてみるとそうではない気がする。
というかむしろ、改善できるのに声を挙げないことは、相手に責任を押しつけて被害者の立場に居続ける、ある意味ズルいことでもある。
権威的なモノに従順であれば、対立なく過ごせ、安定したその先があると思っていたが、それは幻想にすぎない。
では、素直に気持ちを表明してすり合わせていくしかない。
不満を言ってはないが…
また別の側面から見て、今のままでは居られないなと思ったこともある。
確かに自分は反論していなかったが、不満そうな態度をしたり、頼みごとを断れずに結局いっぱいいっぱいになって抱え込み空気を悪くしたり。
言葉にはしないが態度で示してしまっていた。
これは良くない。
子供のころであれば、不機嫌になっていれば母(や母的な存在)が察して助けてくれた。
でも今はそうではない。
そうはいかないから、不満や弱音を言語化して、共有し(あるいは共有できないことに気づき)、解決にもっていくという、プロセスが必要である。
今日のまとめ
・立場が弱いものは不満を言ってはいけないと思っていた。
・不満を言っては"いけない"価値観は多分幼少期の体験で生まれた。
・不満を言うことは下位の者にも認められている。
・不満なら態度で示さずに、言葉で伝えよう
こんなこと書いてるけど日常に戻ったらまた苦しむんだろうなぁ。。
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